二十五話「一人では届かない」
神楽坂玲の身体から広がった星素に、色はなかった。
光もない。
熱もない。
ただ、玲を中心とした空間から、あらゆる揺らぎが消えていく。
環境系ギフト――「絶対静界」。
通路を吹き抜けていた風が止まる。
崩れかけた天井から落ちた粉塵が、空中で静止する。
星殻兵の足音によって生じていた床の振動すら、玲の周囲へ届く直前に消えていった。
「森羅隊」
玲が右手を上げる。
「迎撃を開始します」
四体の星殻兵が一斉に動いた。
先頭の一体が床を蹴る。
黒い巨体が通路を駆け、玲たちへ一直線に迫った。
「土門さん」
「ああ」
岳が床へ触れる。
環境系クラフト――「地縫」。
星殻兵が踏み込んだ地点の床が隆起した。
左右からせり上がった岩盤が、黒い両脚を挟み込む。
星殻兵の身体が前方へ傾いた。
だが、倒れない。
外殻から赤黒い星素が噴き出し、脚を拘束する岩盤に亀裂が走る。
「長くは止められない」
「十分です。篠宮さん」
「探しています」
澄香の周囲を漂っていた露標が、星殻兵の全身へ張りつくように配置される。
透明な球体が、外殻を伝わる振動を拾い上げる。
岩盤を砕こうとする脚部。
身体を支える骨格。
内部を循環する赤黒い星素。
その中に一か所だけ、振動が不自然に吸収される場所があった。
「核を確認。正面から見て、胸部中央より十二センチ右。深さは約十四センチです」
涼介は既に脚部へ星素を集中させていた。
踏み込める。
今なら間に合う。
それでも動かなかった。
玲の合図を待つ。
拘束された星殻兵が右腕を振り上げた。
岳の作った岩盤が砕け始める。
「まだです」
玲の声。
涼介は両拳を構えたまま耐えた。
今までの自分なら、既に飛び込んでいる。
敵が止まった。
核の位置も分かった。
それだけで、攻撃する理由としては十分だと思っていた。
だが、玲は動くなと言っている。
星殻兵の拳が振り下ろされた。
狙いは岳。
岳は床へ手をついたまま、回避できない。
「神楽坂さん」
「そのまま」
拳が岳へ届く直前。
玲の絶対静界が、二人の間へ展開された。
星殻兵の腕そのものは止まらない。
だが、拳が生み出した風圧と衝撃が消える。
岳が身体を横へ倒す。
黒い拳が、その肩を僅かに掠めて床へ叩き込まれた。
本来なら通路全体を砕くはずの一撃。
しかし衝撃は、拳が床へ触れた一点から外へ広がらなかった。
「今です」
涼介が床を蹴った。
脚力に集中していた星素を、接近と同時に反応速度へ移す。
星殻兵が顔を上げる。
左腕が涼介へ向かう。
その軌道を見切り、身体を沈めた。
拳が頭上を通過する。
涼介は星殻兵の懐へ入った。
右腕へ星素を集中。
筋力を最大まで引き上げる。
「剛脈!」
拳が、澄香の示した一点へ突き刺さった。
黒い外殻が陥没する。
亀裂が胸部全体へ走り、その奥にあった核が砕けた。
星殻兵の身体が赤黒い粒子となって崩れ始める。
倒した。
そう認識した瞬間、涼介は反射的に次の個体を見た。
二体目は既に接近している。
このまま踏み込めば、先手を取れる。
「後退してください」
玲の命令。
涼介は右腕に残っていた星素を即座に解いた。
脚部へ移す。
星殻兵の拳が迫るより早く、後方へ跳んだ。
直後。
涼介が立っていた場所を、黒い腕が薙ぎ払う。
床と壁がまとめて抉られた。
もし追撃していれば、避けられなかった。
涼介は着地すると同時に、玲へ視線を向けた。
玲は既に三体の位置を確認している。
「二体目は土門さん。三体目を右へ誘導してください。四体目は私が進路を遮ります」
「核の特定が追いつきません」
澄香が報告する。
一体目の消滅によって生じた赤黒い粒子が、露標の観測を乱している。
「順番で構いません。正確さを優先してください」
「了解」
二体目と三体目が左右へ分かれた。
四体目はその間を抜け、避難区画へ向かおうとする。
玲は一歩前へ出た。
色のない星素が、通路の床と壁へ染み込む。
星殻兵が大きく踏み込んだ。
その瞬間、前方の床が崩れる。
老朽化していた通路が、星殻兵の重量に耐えられなかった。
身体が僅かに沈む。
星殻兵はすぐに足を引き抜こうとする。
だが、崩れた床はそれ以上動かない。
砕けた破片も。
沈み込もうとする足場も。
絶対静界によって、その場へ固定されている。
星殻兵の身体ではなく、周囲の環境だけを止める。
動くためには、自ら足を挟み込んだ床ごと破壊しなければならない。
「土門さん」
「分かってる」
岳が拳を床へ叩きつけた。
隆起した岩盤が二体目と三体目の間を分断する。
二体目の足元から石柱が伸び、片脚を持ち上げた。
体勢が崩れる。
「二体目、核を確認!」
澄香の露標が震える。
「左脇腹。正面からでは届きません!」
「鏡さん。右へ回り込んでください」
「了解!」
涼介が走る。
二体目が涼介を追って上半身を反転させた。
腕が振るわれる。
反応速度へ配分。
軌道を読む。
身体を外側へ流して回避。
脚力へ切り替え、さらに奥へ踏み込む。
視界の端に、三体目が映った。
岩盤を破壊し、涼介へ向かおうとしている。
一撃で倒さなければ、挟まれる。
焦りが生まれた。
涼介は右腕へ星素を集めようとする。
「まだです」
玲の声が飛ぶ。
「でも、三体目が!」
「見えています」
玲は三体目へ向けて左手を伸ばした。
色のない星素が、崩れた壁面へ広がる。
三体目が踏み込んだ瞬間。
頭上から落下しかけていた梁が、進路を塞ぐ位置で静止した。
星殻兵は構わず突進する。
梁へ肩をぶつけ、破壊しようとする。
だが、絶対静界によって固定された梁は動かない。
玲が止めているのは、敵ではない。
敵が通過するために動かさなければならない障害物だった。
「あなたは目の前の一体だけを見てください」
「……了解!」
涼介は二体目へ意識を戻した。
星殻兵の右脇を抜ける。
背後へ回り込み、左脇腹の位置を確認する。
「今です!」
澄香の声。
星素を右腕へ集中。
涼介の拳が脇腹へ突き刺さる。
外殻を貫き、内部の核を粉砕した。
二体目が崩壊する。
「後退!」
玲の命令と同時に、涼介は拳を引き抜いた。
脚部へ星素を戻す。
後方へ跳ぶ。
次の瞬間、三体目が梁を粉砕した。
黒い破片が通路へ飛び散る。
玲の絶対静界が、そのすべてを空中で止めた。
「次です」
玲の声に乱れはない。
涼介は着地し、そのまま三体目へ身体を向けた。
息が上がっている。
両腕の痺れも強くなっていた。
それでも、星素はまだ動く。
「篠宮さん」
「観測中です。少し待ってください」
三体目が涼介へ突進する。
まだ核の位置は分からない。
攻撃はできない。
涼介は反応速度へ星素を配分した。
星殻兵の拳をかわす。
二撃目を左腕で受け流す。
耐久へ切り替えたのは、接触する直前だけ。
衝撃を殺すと、すぐに星素を解放する。
反撃はしない。
核の位置が分からないまま外殻を殴っても、星素を消耗するだけだ。
三体目が両腕を広げる。
涼介の退路を塞ぐように迫る。
「鏡さん。左へ三歩」
玲の指示。
涼介は迷わず左へ踏み込んだ。
星殻兵も進路を変える。
「そのまま、二歩後退」
従う。
星殻兵が追う。
涼介の背後には壁がある。
これ以上下がれば逃げ場がない。
それでも玲は攻撃を命じない。
三体目が涼介へ拳を振り下ろした。
「伏せてください」
涼介が身体を沈める。
拳が壁面へ突き刺さった。
「土門さん」
「地縫」
壁の内部から岩盤がせり出す。
星殻兵の腕を挟み、そのまま固定した。
岳は最初から、この位置へ星殻兵を誘導していた。
「見つけました!」
澄香が目を開く。
「核は右肩の後方。腕の接合部に近い位置です!」
「鏡さん」
「はい!」
「破壊してください」
涼介が踏み込む。
星殻兵は空いている左腕を振るう。
反応速度。
回避。
脚力。
接近。
筋力。
一瞬ごとに配分を切り替える。
右肩の後方。
澄香が示した一点へ拳を打ち込んだ。
核が砕ける。
三体目が赤黒い粒子となって消えた。
残る一体。
足元を固定されていた四体目が、周囲の床を破壊しながら拘束を抜け出す。
その頭部は、涼介たちを見ていない。
背後の避難区画。
連絡橋を渡っている学生たちへ向けられている。
四体目が両拳を床へ叩きつけた。
衝撃が通路の下部を走る。
狙いは玲たちではない。
連絡橋の支柱。
「橋が!」
森羅隊員の一人が叫ぶ。
橋を支えていた金属柱に亀裂が走った。
避難中の学生たちが足を止める。
連絡橋全体が大きく傾いた。
涼介は反射的に駆け出そうとした。
自分の速度なら、橋へ到達できる。
近くにいる学生だけなら助けられる。
「動かないでください」
玲が告げた。
涼介の足が止まる。
「でも、橋が崩れます!」
「あなたの担当は星殻兵です」
「このままでは学生が!」
「香坂先輩」
玲が背後へ呼びかける。
「固定をお願いします」
「了解しました」
白い星素が、傾いた連絡橋の下から広がった。
造形系クラフト――「繭殻」。
橋の側面と支柱が、白い殻状の構造物に覆われていく。
落下しかけた床板が繋ぎ止められ、傾斜が止まった。
その上を、青白い影が駆け抜ける。
鳴海颯真。
転倒した学生を抱え、橋の反対側へ運ぶ。
すぐに戻り、次の学生を支える。
「止まらないで! 僕が支えるから、そのまま進んで!」
学生たちが避難を再開する。
真琴は繭殻へ星素を送り込みながら、橋の支柱を見上げた。
「卒業してから、こんな形でこの橋を守ることになるとは思わなかったわ」
「真琴先輩、余裕ありますね!」
「独り言よ。颯真は足を動かして」
「動かしてます!」
颯真が再び青白い光となる。
玲は二人の到着を確認していた。
だから涼介を動かさなかった。
一人で何もかも守る必要はない。
避難を支える者がいる。
崩落を防ぐ者がいる。
涼介に求められているのは、目の前の敵を倒すことだけ。
「鏡さん」
「……はい」
「四体目を止めます」
岳が地面へ両手をついた。
四体目の周囲から、複数の岩柱が立ち上がる。
星殻兵が腕を振るい、一本目を砕く。
二本目。
三本目。
破壊されるたび、岳が次の岩柱を生み出す。
「篠宮」
「あと少し」
澄香が露標を四体目の周囲へ集中させる。
星殻兵が再び床を殴ろうとする。
避難路への攻撃。
涼介は拳を握った。
今なら背後から殴れる。
核の位置が分からなくても、動きを止める程度ならできるかもしれない。
だが、玲はまだ命じていない。
涼介は踏みとどまった。
四体目の拳が床へ落ちる。
衝撃が生まれる。
玲の絶対静界が、その衝撃だけを消した。
床には拳の形をした陥没が残る。
しかし亀裂は広がらない。
連絡橋にも届かない。
「核を確認!」
澄香が叫ぶ。
「腹部中央。外殻の奥、深さ十八センチ!」
「鏡さん。正面からです」
「了解!」
涼介が駆ける。
星殻兵が涼介へ顔を向けた。
右腕が迫る。
反応速度へ配分。
拳を紙一重でかわす。
左腕。
耐久を高めた腕で受け流す。
脚力へ切り替え、一気に懐へ入る。
腹部中央。
右腕へ星素を集中させる。
「剛脈!」
拳が外殻を打ち抜いた。
深い。
これまでの三体よりも核が奥にある。
拳の先が、僅かに届かない。
「くっ……!」
涼介がさらに星素を送り込もうとする。
星殻兵の両腕が動いた。
この距離で挟み込まれれば逃げられない。
「そのまま押してください」
玲の声。
涼介は退かなかった。
両側から迫る黒い腕。
その直前。
星殻兵の足元が沈んだ。
岳の地縫。
右脚だけが床へ引き込まれ、星殻兵の上半身が傾く。
腕の軌道がずれた。
「右へ二センチ!」
澄香の修正。
涼介は拳を引かず、肘の角度だけを変えた。
残る星素を右腕へ集める。
外殻の内側で拳を押し込む。
硬いものが砕ける感触。
四体目の動きが止まった。
全身が赤黒い粒子となって崩壊する。
涼介は前へ倒れかけた身体を、左足で支えた。
正面通路の四体。
すべて撃破。
だが、終わっていない。
右側連絡路を塞いでいた壁に、大きな亀裂が走った。
「来る」
岳が振り返る。
隆起させた岩壁が内側から砕けた。
二体の星殻兵が、破片を押し退けて現れる。
さらに、澄香の露標が上方を向いた。
「上層階の一体も動きました!」
天井から強い振動。
七体目が真上を移動している。
避難完了まで、残り一分。
「土門さん。右側の二体を分断してください」
「一体が限界だ」
「一体で構いません」
玲が即答する。
「篠宮さんは手前の個体を観測。鏡さんは防御に専念してください」
「攻撃は?」
「核が見つかるまで禁止します」
「了解」
右側から現れた二体が同時に突進する。
岳が床を引き裂いた。
二体の間に巨大な岩壁が立ち上がる。
奥の一体が遮られ、手前の一体だけが玲たちの側へ入った。
涼介が前へ出る。
星素を耐久と反応へ分けた。
敵の拳を避ける。
次の蹴りを両腕で受ける。
衝撃に押され、床を滑った。
右腕の痛みが強い。
先ほどの上位個体との戦闘。
四体の核を破壊した負担。
剛脈の切り替え速度も落ち始めている。
星殻兵が追ってくる。
涼介は筋力へ星素を移しかけた。
迎え撃つ。
そう考えた瞬間、玲の命令を思い出す。
防御に専念。
涼介は筋力強化を止めた。
反応速度を維持する。
拳をかわす。
身体を回転させ、背後へ抜ける。
星殻兵が振り返る。
涼介は攻撃しない。
距離を取り、次の動きを待つ。
「どうして反撃しないんですか」
避難していた学生の一人が呟く。
「攻撃できないのか……?」
違う。
涼介は攻撃できる。
目の前には何度も隙が生まれている。
だが、核の位置が分からない。
今の自分に、外殻を無駄に殴る余力は残されていない。
一人なら、焦って拳を振るっていただろう。
倒せなければ、もっと強く。
届かなければ、さらに星素を集める。
それしか知らなかった。
今は違う。
澄香が見つける。
岳が止める。
玲が命じる。
自分は、その瞬間に拳を届かせればいい。
「核を確認!」
澄香の声が響いた。
「背面。肩甲部の下です!」
「土門さん」
「やる」
岳が拳を握る。
星殻兵の足元から岩の突起が伸び、右足を跳ね上げた。
体勢が崩れる。
「鏡さん。左から背後へ」
「了解!」
涼介が踏み込む。
脚力。
反応。
星殻兵の左腕をかわす。
再び脚力。
側面を抜ける。
筋力。
右拳を背面へ叩き込んだ。
核が砕ける。
五体目が消滅した。
同時に、岩壁の向こうから轟音が響く。
残る一体が壁を破壊した。
黒い腕が岩盤を貫き、岳の腹部へ伸びる。
「土門さん!」
涼介が叫ぶ。
岳は地面へ手をついたまま動けない。
涼介は脚部へ星素を集めた。
間に入る。
だが、玲の声が先に届いた。
「下がってください」
岳が身体を後方へ倒す。
岩盤を貫いた拳が、その胸元を通過した。
玲の絶対静界が周囲の破片を空中へ固定する。
岳は破片の隙間を転がり、攻撃範囲から離れた。
「無事ですか」
「問題ない」
玲が六体目を見る。
星殻兵は壊れた岩壁を抜けると、玲たちを無視して避難区画へ向かった。
連絡橋に残る学生は三人。
颯真が二人を同時に抱えて対岸へ運ぶ。
残る一人は、橋の中央。
六体目が床を蹴った。
「鏡さん。追ってください」
「はい!」
涼介が走る。
脚部へ星素を集中させる。
しかし身体が重い。
六体目との距離が縮まらない。
星殻兵が連絡橋へ踏み込む。
涼介は出力を上げようとした。
そのとき。
頭上の天井が崩れた。
「上です!」
澄香の警告。
七体目の星殻兵が、天井を突き破って落下してくる。
狙いは橋の中央にいる学生。
涼介の正面には六体目。
頭上から七体目。
二体を同時には止められない。
「鏡さんは前だけを見てください」
玲の声が届く。
「上は私が止めます」
玲の星素出力が跳ね上がった。
それまで色を持たなかった星素が、一点へ集まる。
七体目。
落下する黒い巨体だけを捉えた瞬間。
玲の星素が、鮮烈な赤へ変わった。
「絶対静界――朱」
赤い星素が七体目を貫く。
落下していた星殻兵が止まった。
空中で。
学生へ腕を伸ばした姿勢のまま。
外殻も。
内部を巡る赤黒い星素も。
核から放たれる力も。
すべてが完全に停止している。
空を止めたときと同じ、対象一体への完全固定。
だが、あのときのように長くは維持しない。
一秒にも満たない。
玲は最初から、その一瞬だけを狙っていた。
「篠宮さん!」
「上の個体、核は背中! 首の付け根から十八センチ下です!」
「颯真さん!」
「任せてください!」
颯真が最後の学生を抱える。
青白い光となって、停止した星殻兵の下を通過した。
対岸へ到達する。
「避難完了!」
玲が朱を解く。
赤い星素が消えた。
七体目の時間が再び動き始める。
伸ばしていた腕が空を切った。
その身体が連絡橋へ落下する。
玲の膝が僅かに揺れた。
額に汗が浮かんでいる。
それでも倒れない。
空を止めたときには、全星素を注ぎ込んでも制御できなかった力。
今回は対象を絞り、時間を削り、必要な一瞬だけを止めた。
「香坂先輩。上の個体をお願いします」
「了解」
真琴が両手を広げる。
連絡橋を覆っていた繭殻が形を変えた。
白い殻が七体目の両脚へ巻きつき、その場へ固定する。
「篠宮さん、核の位置をもう一度」
「背面。首の付け根から十八センチ下!」
「颯真さん」
「はい!」
「背後へ回れますか」
「回れます!」
颯真が床を蹴る。
七体目の正面を横切る。
星殻兵の頭部が、その動きを追った。
颯真は攻撃しない。
青白い光を残しながら、何度も方向を変える。
七体目の上半身だけが、その動きに合わせて回転する。
背中が玲たちの側へ向いた。
「香坂先輩」
「固定します」
繭殻が収縮する。
七体目の動きが止まった。
「土門さん」
岳が床へ拳を置く。
橋の下から岩柱が伸び、七体目の背中を押し上げた。
核のある位置が露出する。
「篠宮さん」
「そこです!」
「森羅隊、破壊!」
一人の森羅隊員が造形した槍を投げた。
別の隊員が風圧で軌道を加速させる。
槍が七体目の背中へ突き刺さり、核を貫いた。
星殻兵の身体が粒子となって消えていく。
その一方。
涼介は六体目を追い続けていた。
星殻兵は避難が完了したことを確認すると、進路を変えた。
対岸へ逃げた学生ではない。
涼介へ顔を向ける。
「俺が、次の標的か」
六体目が踏み込む。
涼介の脚は限界に近い。
右腕には感覚がほとんど残っていない。
それでも、玲の命令は変わらない。
「鏡さん。攻撃せず、こちらへ誘導してください」
「了解!」
涼介は六体目へ背を向けた。
逃げるためではない。
仲間のいる場所へ連れていくため。
脚力へ残る星素を集める。
走る。
背後から六体目が追う。
足音が近づく。
追いつかれる。
涼介は振り返ろうとした。
迎撃するべきか。
一人で止めるべきか。
「そのままです」
玲の声。
涼介は前を向いた。
星殻兵の腕が背後から迫る。
「右へ!」
玲の合図。
涼介が右へ跳ぶ。
黒い腕が空を切った。
その先。
岳が待っていた。
「地縫」
床が左右から閉じる。
六体目の両脚が岩盤へ埋まった。
「篠宮さん」
「核は胸部左上!」
「香坂先輩」
「繭殻、展開」
白い殻が六体目の両腕を包み込む。
星殻兵が抵抗する。
岩盤へ亀裂。
繭殻が軋む。
長くは保たない。
玲が涼介を見る。
「鏡さん」
「はい」
「最後です」
涼介は六体目へ向き直った。
呼吸を整える。
残った星素を確認する。
多くはない。
最大出力の一撃を放てば、それで尽きる。
だが、最大である必要はない。
核へ届く分だけ。
必要な場所へ。
必要な量を。
必要な瞬間だけ。
「行けます」
「では」
玲が右手を下ろした。
「破壊してください」
涼介が床を蹴った。
脚力へ最小限。
一歩。
反応速度へ切り替える。
星殻兵の抵抗によって飛び散る岩の破片を避ける。
二歩。
右腕へ星素を移す。
すべてではない。
拳を外殻へ届かせ、核を砕くために必要な量だけ。
三歩。
涼介の拳が、六体目の左胸へ触れた。
「剛脈」
大きな轟音はなかった。
衝撃波も生まれない。
拳へ集めた星素のすべてが、外へ逃げることなく一点へ流れ込む。
外殻が穿たれる。
その奥で、核が砕けた。
六体目の身体が静かに崩壊する。
赤黒い粒子が消えると同時に、涼介はその場へ片膝をついた。
星素が尽きたわけではない。
意識もある。
ただ、立ち続けるための力が残っていなかった。
「七体すべて、反応消失」
澄香が告げた。
岳が床から手を離す。
真琴は連絡橋を覆う繭殻の状態を確認した。
颯真が対岸から大きく手を振る。
「学生の避難、完了しました! 負傷者も全員引き渡してます!」
玲が戦術通信端末を開く。
「東側避難区画、確保。星殻兵七体を撃破。学生の避難も完了しました」
《確認したよ。お疲れさま、玲》
蘭の声。
玲は通信を切らず、周囲へ目を向けた。
崩れた通路。
砕かれた壁。
繭殻に支えられた連絡橋。
森羅隊員に重傷者はいない。
学生にも、新たな負傷者は出ていない。
玲は片膝をつく涼介の前へ立った。
「立てますか」
「少し待てば」
「なら、今はそのままで構いません」
涼介が玲を見上げる。
「俺が倒したのは、六体だけです」
「正面の四体と、最後の二体ですね」
「でも、一人では一体も倒せませんでした」
核を見つけたのは澄香。
敵を止めたのは岳。
避難路を守ったのは玲と真琴。
学生を運んだのは颯真。
自分は、示された場所を殴っただけだ。
「それでいいのです」
玲が答えた。
「一人で倒せない敵を、一人で倒す必要はありません」
「でも……」
「あなたが勝手に動けば、篠宮さんの観測は無駄になります。土門さんの拘束も、私の指示も、あなたを守れません」
玲は涼介が破壊した最後の個体へ目を向けた。
既に赤黒い粒子も残っていない。
「私たちは、それぞれ一人分の力しか持っていません」
玲が続ける。
「だから、重ねるのです」
見る者。
止める者。
守る者。
運ぶ者。
そして、壊す者。
一つでも欠ければ、七体すべてを倒すことはできなかった。
「あなたは命令を守りました」
「はい」
「それが、今回のあなたの戦果です」
涼介は自分の拳を見る。
上位個体には、一人で挑んだ。
何度殴っても届かなかった。
空は、その相手を一撃で倒した。
圧倒的な強さだった。
だが、今の戦いは違う。
誰か一人が圧倒したわけではない。
それでも、七体すべてを倒し、避難者を守り切った。
「これが、部隊で戦うってことですか」
「その入り口です」
玲が僅かに表情を緩めた。
「初めてにしては、悪くありません」
涼介が息を吐く。
「ありがとうございます」
「ただし」
玲の声が戻る。
「あなたが先ほど避難命令を破った件は、別の話です」
涼介の表情が固まった。
「……聞いていたんですか」
「当然です」
「今は任務中だから、あとで説教すると獅堂隊長が」
玲が僅かに目を細める。
「それなら、覚悟しておいた方がいいでしょう」
「そんなに怒る人なんですか」
玲は少し考えた。
「空隊長は、命令違反そのものよりも」
連絡橋の向こう。
救助された学生たちが、医療班の誘導で安全区画へ移動している。
「あなたが自分の命を軽く扱ったことに怒ると思います」
涼介は答えられなかった。
◇
統合管制室。
東側避難区画の表示から、七つの敵性反応が消えた。
日和は各区画の状況を確認していく。
「東側、避難完了。南側も残り二十六人です。西側の星殻兵は創雅隊が制圧しました」
「北側は?」
「空隊長と堂前副隊長が対応中。残り二体です」
「もう終わるね」
蘭は大型画面を見つめた。
校内へ侵入した星殻兵の数は減り続けている。
候補者十二人の位置も、すべて安全区画へ移っていた。
敵の目的が候補者の選別、あるいは回収だったのなら、襲撃は失敗している。
それでも、蘭の表情は緩まなかった。
「日和ちゃん。最初に防衛機構が解除された場所、もう一度出して」
「はい」
士官学校の立体図が切り替わる。
最初に開かれた正門。
閉鎖された避難路。
星殻兵が侵入した複数の経路。
すべて旧統合管理権限によって操作されている。
「解除された順番を、星殻兵の移動経路と重ねて」
日和が二つの記録を重ねた。
複数の線が校内を走る。
星殻兵が候補者を追った経路。
戦闘が起きた場所。
撃破された地点。
それらは無秩序に散らばっているように見えた。
だが、蘭は別のものを見ていた。
「これ……」
日和が気づく。
「全部、地下の一点を囲んでいます」
星殻兵が破壊された七つの地点。
その中心。
士官学校の地下深くに、現在は使われていない区画が存在している。
「旧星脈観測施設……」
士官学校が建設される以前。
この土地を流れる地下星脈を観測するために造られた研究施設。
老朽化によって閉鎖され、現在は士官学校の基礎構造の一部として残されている。
「蘭さん」
日和の声が震えた。
「地下へ、星素が流れ込んでいます」
撃破された星殻兵が残した、僅かな赤黒い星素。
通常なら大気中へ散って消えるはずの残滓が、校舎の壁、床、配管を伝い、地下へ集まっている。
蘭が観測範囲を広げる。
医療区画。
東側避難区画。
西側訓練棟。
北側校舎。
校内の各所から、赤黒い星素が旧観測施設へ流れ込んでいた。
「星殻兵は、倒されることまで計画に入っていた……?」
「分からない」
蘭が答える。
「でも、候補者を追っていただけじゃない」
候補者と戦う。
能力を観測する。
可能なら回収する。
そして、倒された場所へ星素の残滓を残す。
複数の目的が、同時に進められていた。
日和の画面に、新たな警告が表示された。
「地下で星素反応が急上昇!」
士官学校全体が大きく揺れた。
照明が明滅する。
複数の観測機器に、同時に異常が発生した。
「東側地下で地盤変動!」
「北側の配電設備に過電流!」
「旧訓練棟で急激な温度上昇!」
「地下水路の水圧も上がっています!」
一つではない。
地盤。
電気。
熱。
水。
大気圧。
校内の異なる環境が、同時に乱れ始めている。
さらに、屋外観測装置から異常が届く。
「気温が低下……南側校庭で凍結を確認!」
「植物区画の根が急成長しています!」
七つ。
異なる自然現象が、士官学校全域で同時に発生していた。
日和は表示された数値を見つめる。
「これを、全部止められる人なんて……」
「いるよ」
蘭が通信回線を開いた。
《碧。聞こえる?》
短い沈黙。
すぐに、落ち着いた声が返ってくる。
『聞こえている』
《星殻兵の残滓が、旧星脈観測施設へ集まってる。そこから七種類の環境異常が発生し始めた》
『場所を送って』
《もう送ったよ。ただ、地下への通路は閉鎖されてる。校内全域でも同時に――》
『蘭』
碧の声が遮る。
『学生たちの避難は?』
《東側は完了。残る区画も、あと三分以内に終わる》
『分かった』
画面上。
士官学校中央棟に表示されていた碧の位置情報が動き始める。
向かう先は、地下へ続く旧管理区画。
『三分、持たせて』
《そのあとは?》
碧は静かに答えた。
『私が全部止める』
その直後。
旧星脈観測施設から噴き上がった赤黒い星素が、七つに分かれた。
風。
水。
大地。
炎。
雷。
氷。
そして、生命。
まるで、何かを呼び出そうとしているかのように。
七つの異なる波形が、士官学校全域へ広がっていく。
そのすべてが、
天城碧の「七環神威」が支配する、七つの自然現象と完全に一致していた。




