第17話 突撃、台風の目①
『大型台風16号は勢力を強めながらゆっくりと北上し、明日から明後日の未明にかけて本州へ直撃する見込みです。今年の観測史上最大規模とされるこの台風に、政府も警戒を呼び掛けており――』
ニュースの画面と窓の外の空模様を交互に見ながら、カケルは大きく肩を落とした。
近日に社会科見学があるというのに、台風の接近に伴い中止になってしまうかもしれないからだ。
それに、行き先はお菓子工場の見学だ。楽しみでないはずがない。もし中止になろうものなら、肩透かしもいいところである。
その事実が、さらに彼をがっくりとさせていた。
「はぁ〜あ、普段の授業の時は学校休みにナンないくせにこう言う時に限って《《オトナの判断》》が早いからな〜……」
ぶつくさと愚痴りながら、子どもらしくせっせとてるてる坊主を作り始める。無力な彼に出来ることといえば、ただただ早く台風が過ぎ去ることをひたすらに祈るばかりだ。
しかし、そんな小さな祈りに反して、空は重く、大きく唸り始めていた。
☆☆☆☆☆
「いやマジかよ……。何もわざわざこんな時に合わせてくるこたぁねえよな……」
カケルが嘆いているのと時を同じくして。こちらも朝食をとりながらテレビで台風情報を見て、うなだれている男がいた。晴明である。
「台風直撃する日は創立記念日だぞ、創立記念日。せっかくド平日に学校が休みだってのに遊びにも行けやしないじゃないか……。まったくこれだから公立ってのは融通が利かんのだ。いっそのこと今日から休みにしろよな〜」
箸を口に咥えたまま、フガフガと文句を垂れる晴明。
呆れ顔の母親、明衣子は後頭部をおぼんでコンコンと小突いた。
「アンタ、行儀悪いわね。自宅待機とも休校とも連絡が来てないんだから、おとなしく行きなさいよ」
「まだ上陸すらしていないのにこの雨と風だぞ? 途中で転んだり飛ばされたりしたらどうするんだ」
「運動神経《《だけ》》はあるあんたが、この程度でどうにかなるわけないでしょうが。バカなこと言ってないでとっとと支度して学校に行きなさい。ただでさえ《《バカ》》なのに、まったく」
さも当然のように罵倒がするりと出て来る母親に、「ありえない」というような顔を向ける。が、当然のように無視。しかたなく茶碗の中の白飯をかっ喰らい、しぶしぶ学ランに袖を通して、玄関に立てかけてある傘を手にとり、外へ出た。
――その瞬間。
ゴォォォォッ!!
突風が傘を叩きつけるように煽った。
「うおっ!」
傘の無能さを今日ほど痛感したことはない。数分も経たないうちに全身ずぶ濡れになる。おまけに数歩歩けば目の前の長い石段だ。彼のやる気を削ぐには充分すぎるほどだった。
「今日外に出るのは危ないな。階段から滑り落ちるかもしれないし……。帰るか」
踵を返した、その時だった。
「コラー! なーに、戻ろうとしとんじゃー!! おとなしく降りてこーい!!」
石段の下から晴明の背中を刺すように、怒声が飛ぶ。
覗き込むと、こちらもずぶ濡れのめぐるが鬼の形相で晴明を睨んでいた。
このまま無視して引き返したら、妖怪濡れ女のごとく勢いで這い上がってきそう
だったので、仕方なく晴明は石段を慎重に降りていく。
「お前も家出た瞬間に帰ればよかったのに……」
「家を出た時はそこまでじゃなかったけど、この有様よ」
めぐるは制服の端をひょいと摘み上げる。
ポタタッ――、と滴り落ちる水は、まるで銭湯の打たせ湯のよう。
「もうここまでびしょ濡れになったら今更引き返せないし、誰か一人でも巻き添えにしないと気が済まないじゃない? ほら、制服濡れ透けでちょっとセクシーだから嬉しいでしょ?」
「えぇ、めっちゃ迷惑……。雨の不快さが勝ってスケベ心も湧かんわ……」
悩殺ポーズを決めるめぐる。だが、近くで見るとより悲惨な状況で、晴明にはもはや憐憫しか湧かなかった。
そんな彼の視線に気が付いためぐるの無言のチョップが、脳天を突く。
しばらく歩いていると、ポケットの中のスマホがブルルと震えた。
通知を確認すると。
あぁ、なんというタイミングか。学校からの《《休校》》のお知らせが届いていた。
「……おっせぇ。マジで今更過ぎる」
「え?」
「休校だとよ」
「……なんて、なんて無駄な時間を過ごしたの、私たち……」
「……まったくだ」
二人はその場で膝から崩れ落ちた。激しい雨風の中で男女が膝まづくその姿は、まるで映画のワンシーンのような悲壮感を漂わせている。
だが立ち直りも早い。両者ともスックと立ち上がる。
「めぐる、とりあえずウチに寄れ! そのままじゃ風邪をひく」
「お言葉に甘えさせてもらおうかな。せっかく休みになったってのに、風邪をひいて倒れてちゃあ、やってらんないもん!」
「そのとおりだ! さあ戻るぞ!」
先ほどまでのテンションはどこへやら。休校という事実は次第に二人を後押しし、駆け足で元来た道へ引き返させる。
しかし、 この時彼らはまだ気づいていなかった。
いっそう激しさを増すこの荒天に。
そして――。
《《渦を巻くように》》降り続ける雨と、獣のようなうなりを上げる風のどこか異様なこの様に。
☆☆☆☆☆
誰もがため息をつくような曇天の下で、ジャシーンだけが愉快そうに、しかし笑っている。
榎戸は水晶の中で揺らめくエレメント姿の彼に不満を述べる。
「こんな雨を降らせるだけのヘルガイストなんて、本当に意味があるのか? 普段の台風とどこが違うんだ。もっと派手に暴れてやればすぐにでもDタイザンは出て来るだろうに……」
その問いかけに、ジャシーンはさらにギィィ……と、口角を上げる。
『派手……か。貴公もなかなか俗っぽいところがあるのだな』
バカにするような物言いに、榎戸はムッとする。だが、意にも介さずジャシーンは続ける。
『元来、天気というものは人間の生活を左右するものであった。我も古からこの地を観てきたが、人間どもはこの天気の動向をはじめとする万物の現象を
霊魂や神の意志をして捉えてきた』
「いわゆる、アニミズム的思考って奴か、歴史で習ったな」
『左様。……しかし時代が移ろうごとに科学的な根拠をもとにすべての事象が解明されてきた。現代では人々からそのような信仰心は失われつつあるが、このヘルガイストの力で、今一度呼び起させてやろうというのだ』
「それは……、どういうことだ?」
ジャシーンはメラメラと身を揺らしながら、含むように『ククク……』と笑う。そんなもったいぶる態度、とこの鬱陶しい天気が榎戸の癇に障る。だが、彼の打ち立てた計画を聞いた瞬間、その態度は百八十度変わることとなる。
☆☆☆☆☆
「シャワー、いただきました~」
晴明の部屋へ、彼の母親から借りたラフな格好をしためぐるが、バスタオルで髪を拭きながらやってくる。
晴明も「おう」、と答えて、風呂に向かおうと立ち上がろうとした瞬間、彼のスマホに着信が入る。
手に取ると、画面には康作の名前が表示されており、スワイプして応答する。
「もしもし、どうした~?」
『おお! 晴明か! やったな、休校になりおったわい!』
「だな、俺もさっきめぐると喜びを分かち合ってたぜ。なあ?」
「そだよ~」
めぐるが呑気な返事を返した瞬間、烈火のごとく大声がスピーカーを貫く!
『な、何ィ!? お前ェッ、めぐるちゃんとおるのか!?』
「うるせっ! 途中まで通学してたが、知らせを受けて俺んちに引き返したんだよ。めぐるに風呂貸しててな、今上がってきたんだ」
『ふ、風呂じゃとぉ!? ハレンチな! 貴様、まさか一緒に……!?』
「アホか! んなワケねぇだろ、別々だわ! このむっつりスケベ!」
康作の妄言に、晴明も少し想像して顔を紅潮させる。
後ろからかすかに「えっち……」と聞こえてきたが、無視した。
『くそう……。ワシが休校と呼んで自宅待機しとったばっかりに、こんなイベントを逃すとは……。田端康作、一生の不覚……。……くそう』
「おい、切るぞボケ」
『ま、待つんじゃ! 今からワシもお前んちへ行く! 待っとれよォ!!』
ガチャッ! ツー、ツー……
唖然としたまま、スマホの画面をただ眺める晴明。めぐるは依然として頭をゴシゴシ拭きながら、彼に視線を合わせて、「やれやれ……」という表情だけ見せる。
その後、ものの数分でびしょ濡れの巨人が、息をハァハァ……、と切らしながら参上した。
☆☆☆☆☆
日本列島の遥か上空。
現在北上を続ける台風の渦の中心に、数十キロにも及ぶ雲の無い空洞部分があった。すなわち《《台風の目》》である。
そのさらに中心部に位置する場所に、黒く小さな球体が1つポツンと浮遊している。その物体こそ、ジャシーンが生み出したヘルガイストの卵だ。
ジャシーンの視点が、榎戸が手にする水晶越しに投影されており、ドクン……ドクン……と脈を打つそれは、今にも産声を上げようとしている。
『この台風が本土を通過するたびに、川は溢れ、山は崩れ、灯りは消える。自然現象に抗えず、ただただ通り過ぎるのを待つしかない。そしてその恐怖の源を、神の与えたもう試練だと思い込む』
「つまり、自然を前にした自分たちの無力さを思い出すわけだ」
『ククク……、その通りだ。その時人間どもは、空へ祈る。「早く、止みますように」、と。本能的に科学に頼らない、まったく純粋な信仰心を取り戻す。』
一呼吸置いたのち、ジャシーンは静かにしかし高らかに謳う。
『恐怖にすがるその瞬間――、奴らの心はヘルガイストの餌となる!』
まさにその時、黒い浮遊物体が眩いほどの光を放ち、肥大化していく。大きな一文字に成長したそれは、上下がゆっくりと広がっていき、やがて端の尖った楕円状になる。上部からぐるんと瞳が現れ、その周囲には枝のように赤い線が伸びると、さながら血走った『巨大な単眼』のような姿へと変貌する。
☆☆☆☆☆
一方、ヘルガイストによって能力が付与された台風の被害が甚大になっていくことなど知る由もない阿倍野家では、晴明と康作はテレビゲームを、めぐるは寝転んでマンガを読むなどして、思い思いに、突然訪れた休日を満喫してた。
雨足は徐々に強くなっていく。しかし誰も気にしていない。
そんなさなか、康作のもとに、妹のいなほから一通のメッセージが届く。
『いなほ:お兄ちゃん今どこにいるの!?』既読
『康作:晴明んトコじゃ』既読
『いなほ:自宅待機してたんじゃないの!! なんでそんなところに!?』既読
『いなほ:(怒りのスタンプ)』既読
『いなほ:ニュース見てないの? 大変なことになってるんだから!』既読
「ニュース? 晴明ちょっとリモコン借りるぞ」
「ん? おお。いなほちゃんからか? なんて?」
康作は、晴明のわきに置かれたテレビのリモコンをとり、チャンネルを地上波に変更する。するとそこには衝撃の映像が映し出されていた。
激しい雨風に見舞われ、土砂災害や洪水が発生しており、家屋や電信柱の倒壊などのせいで混乱に陥っている人々の様子をリポーターが報道していた。
しかし何よりも驚きだったのが、それらが発生しているエリアが夕柳町からほど近いところに位置する場所であることだった。
「バカな!? 今朝のニュースでは明日明後日に上陸っつってたぞ!!」
「早まった……? にしては、あまりにも早すぎるけど……」
テレビを凝視していた康作は、目を見開いたまま、何も言わずにスッと立ち上がり、窓際へ行き、思い切り窓を開ける。
ビュウオォォォッ!!
部屋の中へ強風と雨が流れ込んでくる。突然の彼の奇行に晴明は「わッ! 何してんだ」と怒声を浴びせる。
「ばんちょー! 早く閉めて、濡れちゃうじゃない!」
めぐるの叫びにも答えず、康作は天に向かって真剣なまなざしで睨みつけながら言い放つ。
「違う、これは《《普通の雨じゃありゃせん》》……」
「な、何言ってんだお前。普通の雨じゃないって――?」
康作は窓を閉めて、ゆっくりと振り返る。だが、晴明たちと目を合わせようともしない。
普段とガラリと急に変わった彼の雰囲気に圧倒されて、思わずたじろぐ2人。そして再び口を開いたかというと、康作はこう言った。
「畑の様子を見てくる」
「アホか、死ぬぞ」
晴明の鋭いツッコミが、部屋中のさらなる静寂を誘った。
引き続き第19話後半もお楽しみに!!
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