第14話 甲子園のアイドルを打ち取れ!①
バシィッ!!
薄暗い空き地に空を切り裂くような鋭い音が響く。
その出どころは、壁に当たり地面をテンテンと転がる白い球。野球の硬球から発せられていた。
ベースボールキャップを深く被り、甘いマスクに似合わない泥と汗でぐちゃぐちゃになったユニフォームを身にまとうその青年、英智高校エース太田佳一の目は焦りに満ちている。
「だ、ダメだ! こんなんじゃ!」
膝から崩れ落ち、地面の土をつかむように右手を握りワナワナと震える。
太田の元へは、野球の未来を担う優秀な投手として、そしてその精悍な顔立ちから来る日も来る日もテレビや新聞の取材が押し寄せ、また甲子園の次期アイドルだと祭り上げられ、チームメイトやファン、周りの人から期待の視線を送られる。しかしそのプレッシャーを受け止めきるのはもはや困難であった。
(どれだけ投げても自分の思い通りのピッチングにならない……。これじゃあまたこの間のように打たれてしまう……。次の試合はあの夕柳高校だって言うのに)
実際彼は優秀な先発投手であった。彼の持つ肩力がチームの命運を担うと言っても過言ではない。
しかしこの頃の試合ではイマイチ球にキレがない。県大会に先発で出場し二試合とも1イニング内で点を抑えられず、エース番号に似合わないほどの失点を重ね、早々に中継ぎへの交代を余儀なくされる。
かろうじてチームメイトの頑張りによりなんとか勝ち進んだものの彼に向けられる視線はチヤホヤされていたことの反動なのか、あまり同情的とは言えない冷ややかなものばかりだった。
その時の光景が夕刻の暑さにあてられフラッシュバックされる。
「うぅ……、ぐっ、うわぁぁぁ!!」
しゃがみ込んで膝をつくその姿は、およそチームを率いるエースの姿とはあまりにもかけ離れた様相である。
自信を持って挑んでいた試合だっただけに、己の不調による不甲斐なさがあまりにも情けなく、そして辛い。ここに来てまさか《《イップス》》になるなどとは思いもよらなかった。
そんなうなだれる彼のことを陰で怪しく笑う者たちがいた。榎戸とジャシーンである。
悩みを抱え込む人間のオーラを感じ取り、それを次なるヘルガイストを生み出す様なチャンスをみすみす逃す彼らではなかった。
ジャシーンは訊ねる。
『野球……。たしか阿倍野晴明もやっていたはずだな』
「そう、そしてウチの高校は次回の三回戦にちょうどあそこにいる彼と当たることになっているんだ。注目選手だからメディアも多く来るはずだよ」
『となると、ヘルガイストの存在を衆目に触れさせられる絶好の機会ということか……』
「今絶不調の状態の彼にヘルガイストを与えて力を奪い取り、それをもって無防備な状態の阿倍野晴明達を襲わせるんだ……」
榎戸は暗い笑みを浮かべながら太田を見る。対してジャシーンは榎戸にとある提案をする。
『あの太田何某の不調を治してやるのはどうだろう?』
「どう言うことだ?」
突拍子もない発言に驚いて手に持つ水晶玉を目線まで持ち上げる。玉の中に写るエレメント・ジャシーンはククク……、と愉しげに笑いながら言う。
『あやつの不調を治すために 投球を指南するヘルガイストを埋め込むのだ。的確な助言を与え、完全に信頼させるよう促す』
「そうか、精神的に参っているならばそこに漬け込むチャンスなわけか。人間ああなって仕舞えば、何にでもすがろうとするからな」
感心する榎戸に向けてニタリと口角を上げて、続ける。
『左様、そしてよき模範として信じさせている間にもじわりじわりと力を吸い取り、試合の当日に巨大ヘルガイストとしての力を発揮させる。あれほどの力量を持つ者だ、きっと良い養分になるに違いない』
そういうとジャシーンはヘルガイストの素体を召喚し、榎戸へ受け渡す。受け取った榎戸は素体を右手に持ち、目を瞑って念に集中しながら呪文を唱える。素体が怪しい光を発しながら揺らめきながら大きく成長した時、榎戸は目を見開き、勢いよく右手を太田がいる方向へ前に突き出して素体を撃ち込む。
太田の一瞬、自身の身体にビリッと電流が走る。その妙な感触に畏怖を覚え、辺りを見回した時、それまで誰もいなかったはずのこの場所にボウッとたたずむ黒い人影が現れる。
ギャッと声を上げたのも束の間、逃げ出そうとする太田の襟をヘルガイストが掴むと、怪力で無理やりに引き戻される。自分と同じ背格好だが、あまりにも暗くて表情は読めない、人でない事は彼にも分かる。
ゴロンと地面に転がされた彼は、目の前の存在と状況に頭が混乱する。
「な、なんなんだ! 俺が何したってんだ!」
襲われると思い手元に転がるボールを握り、投げつける。だが、ヘルガイストはその問いかけに応えることはない。人差し指をちょんちょんとあさっての方向に向けて、青年に視線の誘導を促す。
その先は太田がさきほどまで一心不乱に白球を投げ込んでいた壁だった。
何をしているのか未だ分からぬままにへたり込んでただ見ていると、ヘルガイストはおもむろに振りかぶって投球モーションにはいる。
その姿は幾度となくビデオで見た彼自身の投球フォームであった。
思わず見惚れていたが、ハッとなり後ずさる。だが相手はその場から動かず、頭だけ太田の方へ向けると、転がるボールを指差し、投げるようにと指示する。
実際に音は発していないが聞こえる、まるで『投ゲロ』と言わんばかりの、気味の悪いテレパシーのようなものを感じ取ったが、不思議とそうする事が当然かの如く受け入れられた。
恐る恐るボールを拾い、先ほどのフォームを思い出しながら、しかし頭の中はスッキリとさせながら、振りかぶって投げる。
ズバァァァンッ!!
快感だった。
溜まっていた膿が全て流されるような心地よさがあった。
久々のキレのある速球の感触に指先がピリリと痺れる。
太田が喜びをかみしめながら幽霊の方を向いた時、見えない筈の口元がニヤリと上がったように見えた。
☆☆☆☆☆
「ということは何だ、マネージャーの視方が正しいとすれば、太田佳一のイップスは脱したということか?」
夕柳高校野球部部長の丹生谷凌平は部室のパイプ椅子に腰を掛け、腕を組みながらテレビの画面を凝視する。
そこに映りこんでいるのは、先日までテレビで放映された英智高校の試合と、マネージャーが撮影してきた最近の練習風景を編集した動画であった。
「どうします部長……?」
「どうもこうも、予定通りうちもエースをぶつけていくしかないだろ。それに太田が復活した今、レギュラーで奴に対抗できるのは晴明ぐらいだろうしな……」
予想外に真面目な面持ちでそう言い放つ凌平をマネージャーは意外に思いキョトンとする。
「部長って、普段後輩の事をボロカスに言うくせにツンデレですよね。かなりツンが強いけれど……」
「何を言うか、俺は常に後輩にやさしいぞ」
「あー……。はいはい、そういうことにしておきます」
あしらうような言い方に凌平は納得いっていなかったが、流されてしまったのでそれ以上問いただすことはできなかった。ひとまずオーダー表をまとめると、部室を出てグラウンドにいる部員たちのもとへ向かう。
☆☆☆☆☆
「「え……。太田が復活?」」
部員たちの驚愕と動揺、落胆の入り混じった反応は予想通りのものだった。確かに一番攻略し難いエースの不調が自分たちの試合目前にして治ってしまうのだから運がないと嘆くのもチーム全体の士気にかかわってしまうため無理もない。だが、
「今更言っても始まらんだろうが。そもそもウチの実力じゃあ、たかだかエースひとりの調子が良かろうが悪かろうが勝率は変わらん! 《《一塁》》《《の望み》》に掛けようとするのが間違ってるんだ!」
「部長……、【一縷の望み】です……」
「……。ともかくだ、今回は確かにせっかくのチャンスを、というのがフイになってしまったかもしれないが、俺たちで一致団結すれば気迫では勝てるかもしれん! 試合は時の運。このチームの良い所は負けん気の強さだ、最後まで気持ちで負けなければ運命もひっくりかえせる!」
「「ぶ、部長……!」」
凌平の熱い言葉に部員はみな感銘を受ける。だがそんな言葉を発した彼も少し顔を曇らせて、うつむく。
「それに、今回の試合で俺たち3年は引退だ……」
「「ぶ、部長……」」
誰もが思わず息をのむ。そう、夏の大会で負けてしまえば秋はない。三年生たちは引退し、それぞれの進路へ向けて歩みだす。その言葉の重みを実感し、感傷的な空気感が流れる。
「だからもし、弱腰になって下手な試合でもしてみろ……?」
「「ぶ、部長……?」」
空気が変わる。
「――俺がOBになってもお前らの様子を見に来きたとき、いい加減なことをしていると全員を追いかけ回すからな……」
「「ぶ、部長……ッ!?」」
恐怖政治。丹生谷凌平が率いるチームの強さの根幹はそこにあるといっても過言では無かろう。この絶対的権力者がソルジャーを育てて、アーミーを完成させる。
俺たちゃ裸がユニフォーム、白球さえも赤く染め上げ、アパッチさえ逃げ去る夕柳野球軍。
「全員、整列!!」
「「了解ッ!!」」
「ヨシッ! 各員、己のポジションにつけ! 千本ノックから始める! 球をこぼしたヤツは生きて帰れないと思え!」
先ほどまでの夏の清涼感あふれる風が吹き抜ける雰囲気から一変し、一人でも多くを地獄に引きずり込む灼熱の熱風へと早変わりした。
☆☆☆☆☆
練習では相変わらず重みの乗った良い球を投げる太田の姿があった。次の試合では期待に添えそうなほど上々の仕上がりと言える。
だがしかし、その好調に反して彼の顔は目に見えるほどやつれていた。
顔は土気色で頬が少し痩せ、何よりも目は落ち窪みギロリとした眼光を持っており、およそハンサムとは言い難い出立をしている。
それもそのはず、太田のそばにはまだあのヘルガイストがおり、彼の正気を吸い取り続けて成長をしているからだ。
チームメイトも心配になって声をかける。
「おい、圭一……。お前少し休んだ方がいいんじゃないか? 最近、ピッチングの調子がいいとはいえ疲労感が半端じゃないぞ」
しかし、そんな心配もよそにひたすら練習に打ち込む。ゼェゼェと肩で息をしているのに、球威は衰えることを知らない。ヘルガイストの姿が見えなくとも皆、太田の変貌っぷりに何かに取り憑かれているのでは? と、感じる。
だが、本人が頑として認めない上、指摘しようものなら鋭い眼光で睨んでくるものだからそれ以上何も言えなくなる。
「……俺の、俺の邪魔をするな」
「誰も俺の邪魔をするな……ッ!」
ブツブツと呟きながら投げ続ける彼の背中に痛々しさと狂気さえ覚える。
☆☆☆☆☆
それから数日後、県大会地区予選第3回戦目の執り行われる日となった。
誰もが一目、太田を見ようと地方大会とは思えぬほどの観客が押し寄せる。特に若い女性の姿が多く、その誰もが『太田推し』グッズを手に持ちながら黄色い声援を浴びせる。
無論彼女らは現在の太田の様子など知る由もない。ただただ彼がマウンド上に現れるのを今か今かと待っている。
晴明のみ、球場に漂う妙な気配を若干ではあるが感じ取っていた。康作もそんな晴明に気付いて耳打ちする。
「どうしたんじゃ晴明。なんかおるんか」
「……いや、微かにヘルガイストな気配を、気のせいだといいんだが、向こうの……三塁側から感じる」
「おい、そろそろ俺たちの番だ。準備急げよ」
「「は、はいっ!」」
凌平の呼びかけに2人は返事する。ヘルガイストのことも気掛かりではあるが目の前の試合に集中しなければならない。万が一に備えて胸元に護符を忍ばせておき、用心する。
☆☆☆☆☆
試合が始まった。礼の後、選手はそれぞれのポジションに。マウンドに立った康作は投球練習を終えたのち、チョーク袋を手で弄びながら、まっすぐ晴明の方に視線を送る。
ヘルメットに軽く手を添えて会釈し、バッターボックスに入ってきた相手選手は、グリップを効かせながらバットをギュッギュッと握りしめて構えを取る。吹奏楽の鳴り物が大きな音を立てて球場に響く。
晴明はそのバッターからは特に異様な気配を感じないことを確かめると、康作にサインを送り、コクンと頷くのを確認する。まずは内角高めのストレートを放り込ませるべく、ミットを構える。
康作が放った球はヒュッと音を立てて、気付いた時には晴明の手元に収まっていた。
「ストラィィィッ!」
アンパイヤの掛け声と共にバックスクリーンの黄色いランプが点灯する。その初球に打者はただ唖然と見逃すほかなかった。
そう、この田端康作という男、太田ほどではないにしろ、二年生にして伊達に夕柳高校の先発を任されているわけではない。
その実力をもって、前の二試合を勝ち進んできたといっても過言ではない。
「舐めちゃ困るぜ、俺たち夕柳のバッテリーをよォ!」
「ばんちょー、流石ぁ! 良い肩してるよ!」
「先輩! 頑張ってください!」
晴明の笑みと共にめぐるやサキをはじめとする一塁側の声援が三塁側を圧倒するのに、さして時間は要さなかった。
☆☆☆☆☆
一回の表を三者凡退に抑えた夕柳ナインがベンチに戻る中、晴明のもとに康作が駆け寄る。
「ナイスプレーだ、康作。次の回もあの調子で行くぞ」
「おうよ。ところで、不審な奴はおらなんだか?」
「最初の3人はな。ただ気になることが一点、挨拶を交わすときに見た太田の様子がな」
「確かに、動画や写真で見た時よりもちょっとやつれてたのう」
「ただの疲労か、はたまた……。奴の登板ですべてが分かるかもしれんな……」
攻守が交代し、英智高校の選手がそれぞれの守備位置へ。そして太田も小走りでマウンドへと向かう。同時に彼のファンからの歓声が一気にワァッ! と上がり、向けられた本人もグラブをつけた左腕を頭上に、応える。
「なんでぇ、余裕そうに。アイドル気取りかよ」
その一連を見た凌平が不機嫌そうにぼやく。彼の妹が実際にアイドルなのでその言葉に思わず笑いそうになったが、その事実は晴明だけしか知らないため口を抑えて我慢する。
だが確かに、世間では太田が人気だとは知っていたが、実際にこの光景を目の当たりにすると流石に想像以上に圧倒されてしまう。それを証拠に自軍の先頭打者は少し気が引けている様子だ。すかさず部長が喝を入れる。
「おい、始まる前からビビってんじゃねぇぞ」「けどよ、凌平……」
「いいから聞け。相手はトッププレーヤーかもしれんが、一度打席に立っちまえばそこは真剣勝負の場だ。技術だけならまだしも、気合で負けちまうと本当の勝負所を見誤るぞ。わかったらさっさと行け」
「お、おう!」
発破を掛けられたことで少しは気合が入ったのか、堂々とバッターズサークルに向かう。
太田の投球練習が始まる。その姿は映像で見た以上で、少し前まで不調だったということを忘れてしまうくらいみごとなものだった。確かに誰もが注目するだけの事はある。あながち甲子園のアイドルという肩書は間違いではないと感じざるを得ない。さしもの普段から強気な凌平でさえ押し黙り、喉の奥を鳴らすほどだ。
(あれ? なんだ……?)
ただその中で唯一、晴明だけが別の所を注視していた。
(目の錯覚か? 《《太田の姿がダブって見える》》」
目をゴシゴシとこするが変わらない。マウンドに立つ青年の姿がぼんやりと蜃気楼に包まれたように見える。最初に感じた妙な気配の疑念が確信に変わろうとしている。
引き続き第14話後半もお楽しみに!!
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