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第98話 事実の並べ方

※この作品は毎日更新予定です。

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 翌朝。

 監査室の机には。

 三つの契約書が。

 並べられていた。

 領主館。

 橋。

 水路と水車。

 ベルクが。

 最初の契約書へ手を置く。

「確認します」

「領主館は」

「ヴォルグ殿へ売却された」

「ああ」

「領地資産を」

「王都の許可なく売却した場合」

「明確な違反です」

 ミリアの顔が。

 青ざめる。

 俺は。

 契約書を開いた。

「最後まで読んだのか」

 ベルクの眉が。

 わずかに動く。

「読みました」

「なら」

「これは単純な売却ではないと」

「分かるはずだ」

「契約書には」

「売買と書かれています」

「表題の話はしていない」

「中身の話をしている」

 部屋の空気が。

 張り詰めた。

◇◇◇

 俺は。

 契約書の一行を指す。

「売却後も」

「領主館は」

「バルドが継続して使用する」

「賃貸契約によって、です」

「ヴォルグは」

「バルドを退去させられるか?」

「できません」

「用途を変えられるか?」

「できません」

「第三者へ売れるか?」

「バルドの同意なしには」

「できません」

「賃料を」

「自由に上げられるか?」

「契約期間中は」

「できません」

「買い戻す金額は?」

「最初から」

「定められています」

「では」

「ヴォルグが自由に使える」

「領主館の権利は」

「どこにある」

 ベルクは。

 答えなかった。

 代わりに。

 ヴォルグを見る。

「ヴォルグ殿」

「あなたは」

「領主館を買ったのですか?」

「金は払った」

「質問に答えてください」

「買ったとも言えるし」

「貸したとも言える」

「曖昧ですね」

「世の中の取引は」

「お前の帳簿ほど」

「きれいには分かれん」

 ベルクの目が。

 細くなる。

「では」

「何を得たのです?」

「賃料を受け取る権利」

「それと」

「金が戻らなかった時の」

「担保じゃ」

「領主館を使う権利ではない?」

「わしが」

「こんな辺境の屋敷に住んで」

「どうする」

 ミリアが。

 少しだけ。

 頷いた。

◇◇◇

「売買契約と」

「賃貸契約を」

「同時に結んだ」

 ベルクが言う。

「形式上は」

「売却です」

「形式上はな」

「だが」

「実質は」

「領主館を担保にした資金調達だ」

「所有権は」

「移っています」

「使用権は移っていない」

「処分権も制限されている」

「買い戻す条件も」

「最初から決まっている」

「言葉だけを見れば売却」

「契約全体を見れば」

「期限と返却を前提にした」

「リースバックだ」

 ベルクが。

 俺を見る。

「聞き慣れない言葉ですね」

「売った資産を」

「そのまま借りて使う仕組みだ」

「資産を失わずに」

「今必要な金を作る」

「失っていないというのは」

「言い過ぎでは?」

「完全には失っていない」

「だから」

「ぎりぎりの線だと」

「俺も分かっている」

 ベルクの手が。

 止まった。

「違反ではないと?」

「単純な売却なら」

「違反だ」

「だが」

「これは単純な売却ではない」

「違反にするなら」

「どの権利を」

「永久に失ったのかを示してくれ」

 ベルクは。

 契約書を。

 最初から読み直した。

◇◇◇

 次は。

 橋だった。

「橋の管理権を」

「外部へ渡しています」

「ああ」

「通行料を得る権利です」

「期間限定だ」

「公共施設の収入を」

「民間へ渡したことに変わりはない」

「橋そのものを」

「渡したわけではない」

「管理権も」

「領地資産では?」

「管理する義務と」

「修繕費も渡している」

 俺は。

 契約書をめくる。

「料金は」

「勝手に変えられない」

「二社の同意が必要だ」

「契約期間が終われば」

「管理権は戻る」

「橋の所有権も」

「通行を許可する権限も」

「最初からバルドに残っている」

「なら」

「何を渡したのです?」

「一定期間」

「橋を維持し」

「通行料から費用を回収する権利だ」

「売却ではない」

「運営委託だ」

「名目を変えただけでは?」

「なら聞く」

 俺は。

 ベルクを見る。

「橋が壊れた時」

「誰が直す」

「契約上は」

「管理する二社です」

「費用は?」

「二社が負担する」

「バルドは?」

「所有権を保持する」

「契約終了後は?」

「修繕された橋と」

「管理権が戻る」

「それを」

「売却と呼ぶのか」

 ベルクは。

 答えなかった。

◇◇◇

 最後は。

 水路と水車。

「これは」

「さらに問題です」

 ベルクが言った。

「領地の生命線となる施設を」

「ノースとラングへ」

「三年間管理させる」

「ああ」

「収入も」

「半分ずつ与える」

「ああ」

「事実上の支配では?」

「一社では」

「何も決められない」

「ヴォルグとイサク」

「双方の同意が必要だ」

「二社が結託すれば?」

「鮭を出すかどうかは」

「ダンたち漁師が決める」

 ダンが。

 壁際から答えた。

「値段も」

「獲る数も」

「俺たちが決める」

 ロイドも。

 続ける。

「俺との五千匹の契約も」

「そのままだ」

「ラングにあるのは」

「新しく加工する鮭への」

「優先交渉権だけだ」

「独占権じゃない」

 イサクが。

 契約書を指す。

「水路と水車の修繕費は」

「私とヴォルグが」

「半分ずつ負担します」

「三年後は?」

「すべて」

「バルドへ渡します」

 ベルクが。

 書類を見つめる。

「つまり」

「既存の領地資産を」

「売ったのではない」

「そうだ」

「存在していなかった施設を」

「外部の資金で造った」

「ああ」

「その費用を」

「三年間の運営収入で回収させる」

「その通りだ」

「回収後は」

「領地資産になる」

「ああ」

「では」

「王都が失うものは?」

「ない」

「バルドが失うものは?」

「三年間の収入の一部だ」

「代わりに」

「今すぐ必要な施設を得る」

◇◇◇

 ベルクが。

 椅子へ深く座った。

「領主殿」

「あなたは」

「ずいぶん都合よく」

「契約を解釈しますね」

「都合ではない」

「目的と結果だ」

「規則は」

「目的だけで曲げられません」

「曲げていない」

「では」

「なぜ事前申請をしなかった」

「待てなかったからだ」

「それは昨日聞きました」

「なら」

「もう一度答える」

 俺は。

 机へ手をついた。

「バルドには」

「金貨十二万枚の借金がある」

「返済できなければ」

「王都も金を失う」

「鮭を加工できなければ」

「来年の収入は生まれない」

「水車を造れなければ」

「加工所へ鮭を運べない」

「冬までに土台を造れなければ」

「水車そのものが間に合わない」

「王都へ申請し」

「返事を待つという選択は」

「何もしないという選択と」

「同じだった」

「だから」

「領主一人で決めた」

「ああ」

「失敗した場合の責任も?」

「俺が取る」

「領地資産は」

「あなた個人のものではない」

「だから」

「誰か一人に支配させない契約にした」

「ヴォルグにも」

「イサクにも」

「ダンにも」

「ロイドにも」

「俺にもだ」

 ベルクの目が。

 初めて。

 鋭く揺れた。

「あなたにも?」

「俺一人では」

「料金を変えられない」

「鮭の値段も決められない」

「漁獲量も決められない」

「権利を分けたのは」

「責任から逃げるためではない」

「誰にも」

「バルドを奪わせないためだ」

◇◇◇

「ですが」

 ベルクが。

 声を強める。

「規則を守らない領主を」

「一人認めれば」

「次の領主も同じことをします」

「町を救うためだったと」

「全員が言い始める」

「その結果」

「公共資産が」

「地方豪族へ売り渡される」

「だから監査がある」

 ベルクが。

 初めて。

 机を強く叩いた。

「あなたが有能かどうかは」

「関係ない!」

「善意だったかどうかも」

「関係ない!」

「権限を持つ者が」

「自分だけは正しいと考えた時」

「不正は始まる!」

 部屋が。

 静まり返る。

 俺は。

 ベルクから目をそらさなかった。

「その通りだ」

 ベルクが。

 言葉を止める。

「俺も」

「王都で」

「同じことを言っていた」

「なら」

「なぜ」

「理解できない?」

「理解しているから」

「すべての書類を出した」

「日付も変えない」

「数字も隠さない」

「契約も燃やさない」

「俺が正しいと」

「決めてくれとは言っていない」

「契約を」

「正しく見てくれと言っている」

「売却なのか」

「一時的な資金調達なのか」

「権利の譲渡なのか」

「期間限定の運営委託なのか」

「ガルディア公爵が」

「並べた言葉ではなく」

「書かれている条件で」

「判断してくれ」

◇◇◇

 ベルクは。

 何も言わなかった。

 一枚。

 また一枚。

 契約書を確認する。

 領主館。

 退去させる権利はない。

 用途変更もできない。

 第三者への売却も制限される。

 買い戻し額は固定。

 橋。

 所有権はバルド。

 料金変更は制限。

 修繕義務は管理者。

 期間終了後。

 管理権は返る。

 水路と水車。

 新たに建設する施設。

 資金は外部。

 運営期間は三年。

 変更には双方の同意。

 鮭の価格と漁獲量は。

 漁師が決める。

 三年後。

 施設はバルドのものになる。

 ベルクは。

 何度も。

 条文を読み返した。

 やがて。

 書記官へ言う。

「暫定措置の書類を」

「出してください」

 書記官が。

 昨日の支払い停止命令を渡す。

 ベルクは。

 その紙を。

 二つに破った。

 ミリアが。

 目を見開く。

「え?」

「支払い停止命令を」

「撤回します」

「では」

「水車を造っていいんですか?」

「構いません」

「木材も?」

「購入して構いません」

「職人への支払いも?」

「止める理由はありません」

 ガロンが。

 小さく頷き。

 すぐに部屋を出た。

 仕事へ戻るためだ。

◇◇◇

「監査の結論は?」

 俺が聞く。

 ベルクは。

 三つの契約書を重ねた。

「領主館については」

「通常の売却とは認定しません」

「継続使用」

「処分制限」

「買い戻し条件が」

「一体となっている」

「担保を伴う」

「期限付きの資金調達と判断します」

「橋は?」

「所有権の移転ではなく」

「期間限定の管理委託」

「水路と水車は?」

「民間資金による建設と」

「期限付き運営」

「三年後の返還が」

「契約上、保証されている」

「では」

「違反は?」

 ベルクは。

 俺を見る。

「重大な違反は」

「認められません」

 ミリアが。

 大きく息を吐いた。

「よかった……」

「ただし」

 ベルクが続ける。

 ミリアが。

 再び固まる。

「事前報告を行わなかった点は」

「手続き上の不備です」

「処分は?」

「必要ありません」

「今回の契約書」

「資金の流れ」

「事業の目的」

「返還条件をまとめた」

「事後報告書を」

「王都へ提出してください」

「それだけか」

「それだけです」

「今後」

「契約条件を変更する場合は」

「事前に報告を」

「分かった」

◇◇◇

 ベルクは。

 ダレンが作成した報告書を。

 机へ置いた。

「この報告に」

「嘘はありません」

「ああ」

「ですが」

「領主館を売却した」

「橋の管理権を渡した」

「公共施設を外部へ委ねた」

「それだけを並べれば」

「領地を切り売りしたように見える」

 ベルクが。

 契約書へ手を置く。

「一方で」

「三年後に返る」

「一者では支配できない」

「修繕義務を負う」

「買い戻し条件がある」

「そこまで並べれば」

「別の事実が見える」

「事実は」

「同じです」

 ベルクは。

 ガルディア公爵の申し立てを。

 静かに閉じた。

「違うのは」

「並べ方です」

◇◇◇

 監査は。

 終わった。

 水車は。

 止まらなかった。

 加工所も。

 春に造れる。

 だが。

 一つだけ。

 はっきりしたことがある。

 ガルディア公爵は。

 監査で。

 真実を確かめたかったのではない。

 真実の一部を並べ。

 バルドを止めようとした。

 そして。

 今回は。

 止められなかった。

 なら。

 次は。

 別の手を使う。

 監査が終わっても。

 まだ。

ガルディア公爵は。

 こちらを見ていた。

(第99話 公爵の次の手)



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