第91話 最初の遅れ
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雪は。
夜の間も降り続けた。
翌朝。
現場は。
薄い白に覆われていた。
二基目の水車を据える場所には。
掘りかけの穴が残っている。
土台は。
まだ半分にも届いていなかった。
ミリアが。
恐る恐る聞く。
「間に合わなかったんですか?」
ガロンは答えない。
穴へ下りると。
積もった雪を足で払った。
つるはしを振り下ろす。
カン。
表面の土が。
薄い板のように割れた。
もう一度。
つるはしを入れる。
今度は。
深く刺さった。
「凍ったのは」
「表だけだ」
ミリアの顔が明るくなる。
「では」
「まだ大丈夫ですね!」
「今日ならな」
「明日は?」
「分からん」
ガロンは。
割れた土を拾う。
凍った部分は。
指の厚さもない。
だが。
一晩ごとに。
その厚さは増えていく。
「雪は」
「工事を止めん」
「払えばいい」
「止めるのは」
「その下の土だ」
◇◇◇
ガロンは。
二基目の土台を見た。
「今日は」
「町からの手伝いを」
「二基目へ寄せる」
ロイドが聞く。
「加工所の基礎は?」
「今日の作業は止める」
「二段目の水路は?」
「職人だけ残す」
「今日の最優先は」
「この土台だ」
ミリアが首を傾げた。
「でも」
「春になってから」
「続きを造ってもいいのでは?」
ガロンが。
ミリアを見る。
「水車は」
「いつ造る」
「冬ですよね?」
「ああ」
「軸も」
「羽根も」
「桶も」
「屋根の下で造れる」
「だったら」
「先に水車を造って」
「春に土台を合わせれば」
ガロンは首を振った。
「逆だ」
「水車は」
「土台に合わせて造る」
「この高さが決まらなければ」
「輪の大きさも」
「軸の長さも」
「桶をつなぐ長さも」
「決められん」
ミリアが。
掘りかけの穴を見る。
「つまり」
「この土台が終わらないと」
「冬の間」
「二基目の水車を造れない?」
「そうだ」
「先に土台を完成させ」
「その土台を基に水車を造り」
「据え付け」
「二段の水をつなぎ」
「鮭を入れた桶を試す」
ガロンは。
加工所の予定地を見る。
「春が来てから土台ができて」
「それから水車を作る」
「間に合わない」
「早くても」
「本番で試すことになる」
ロイドの表情が変わった。
「試運転もせずに」
「何千匹も流すのか」
ガロンは。
つるはしを肩へ担いだ。
「今」
「土台を終わらせる」
「冬の時間を」
「水車を造る時間に変える」
雪が来る前に。
急いでいた理由が。
ようやく。
一本につながった。
◇◇◇
工事が始まった。
二基目の土台へ。
町から来た者を集める。
ガロンの職人と石工が。
作業を指示する。
石を運ぶ。
土を掘る。
穴へ染み出した水をくみ出す。
だが。
何かがおかしい。
昨日まで続いていた。
石を運ぶ列が。
途中で切れている。
籠が。
地面へ置かれたまま。
動かない。
「人数は?」
俺が聞く。
ダレンが。
手元の紙を確認する。
「町からの手伝いは?」
「二十八人です」
「昨日は?」
「六十五人が来てくれました」
「半分以下か」
「はい」
怪我人が出たわけではない。
病が広がったわけでもない。
ミリアが。
町の方角を見る。
「皆さん」
「どうしたんでしょう?」
ダンが短く答えた。
「雪が降った」
「だからだ」
◇◇◇
町へ戻ると。
理由は。
すぐに分かった。
家々の前で。
男たちが薪を割っている。
屋根へ上がり。
板を打ちつける者。
家畜小屋へ。
干し草を運ぶ者。
女たちは。
保存食を小屋へ移している。
老人も。
子供も。
落ちた枝を拾っていた。
「冬支度……」
ミリアが呟く。
ダレンが頷いた。
「初雪が降れば」
「町の者は」
「冬支度へ戻ります」
「毎年か」
「はい」
俺は。
そのことを知らなかった。
バルドへ来てから。
まだ一年も経っていない。
最初の雪が。
町の暮らしを。
どう変えるのか。
知らなかった。
昨日まで。
工事へ来ていた男が。
家の前で斧を振っている。
俺たちに気づくと。
斧を止めた。
「領主様」
「すまねえ」
「冬支度が終われば」
「また行く」
家の中から。
女が顔を出した。
「いつ終わるんだい」
「薪も足りない」
「屋根だって」
「まだ穴が空いてる」
女は。
家の横に積まれた薪を指す。
「これじゃ」
「ひと月も持たないよ」
「水路ができても」
「この家が冬を越せなかったら」
「何になるんだい」
男は。
何も言えなかった。
俺も。
言葉を返せなかった。
◇◇◇
領主館へ戻る。
ダレンが。
町に残った仕事を書き出した。
薪割り。
屋根の修理。
家畜小屋。
保存食。
雪囲い。
「工事へ来てくれていた家の多くが」
「冬支度を残しています」
「終わるまで」
「どのくらいだ」
「早い家で三日」
「遅ければ」
「七日は必要です」
俺が。
ガロンに聞く。
「今の二十八人で」
「二基目を終えるには?」
「六日だ」
「六十五人なら?」
「三日」
だが。
六十五人には。
水路より先に。
終わらせなければならない。
自分たちの暮らしがあった。
◇◇◇
ミリアが手を挙げる。
「賃金を払えば」
「来てもらえるのでは?」
イサクが首を振った。
「金を渡しても」
「薪は割れん」
「屋根も直らん」
「では」
「別の人へ頼めば」
「その者にも」
「冬支度がある」
ミリアの手が。
ゆっくり下がった。
現場へ出れば。
家の仕事が止まる。
家へ戻れば。
現場が止まる。
一人の人間が持つ一日は。
金では増えない。
◇◇◇
ガロンが。
机の上の日程表を見る。
「領主」
「昨日の六十五人は」
「いつまで来ると聞いていた」
俺は。
答えられなかった。
「皆が」
「ここまで来てくれた」
「だから」
「工事が終わるまで」
「来てくれると」
「思っていた」
「人数は」
「間違っていない」
ガロンは。
日程表を指で叩く。
「抜けているのは」
「日数だ」
胸を突かれた。
「六十五人が」
「何日来られるのか」
「それを確認していない」
「ああ」
「人の数は見た」
「だが」
「その者たちの暮らしを」
「見ていなかった」
俺なら。
会社の計画で。
人数だけを確認し。
働ける日数を。
確かめないことなどない。
だが。
この土地の一年を。
俺は知らなかった。
知らないのに。
聞かなかった。
ダレンが口を開く。
「私が」
「お伝えしていれば」
「違う」
俺は首を振った。
「俺が」
「確認しなかった」
六十五人は。
突然いなくなったのではない。
この土地で。
毎年続けてきた暮らしへ。
戻っただけだった。
◇◇◇
翌朝。
現場へ来た住民は。
さらに減っていた。
二十二人。
ガロンは。
何も言わず。
二基目の穴へ下りる。
雪を払う。
つるはしを振り下ろす。
カン。
凍った表面が割れる。
その下へ。
もう一度。
つるはしを入れる。
まだ掘れる。
だが。
昨日より。
凍った層は厚い。
「今の人数なら」
ガロンが言う。
「あと七日だ」
「土は?」
「七日」
「待つとは言っていない」
ミリアが。
小さく聞いた。
「どうするんですか?」
俺は。
町の方角を見る。
煙突から。
細い煙が上がっている。
工事へ戻ってもらうには。
先に。
町の冬支度を。
終わらせなければならない。
水車の土台とは別に。
俺たちが。
終わらせなければならない工程が。
そこにあった。
最初の遅れは。
雪が作ったのではない。
雪が。
見えるようにした。
俺の工程表から。
抜け落ちていた。
この町の冬だった。
(第92話 善意の値段)
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