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第87話 図面は生きている

※この作品は毎日更新予定です。

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 翌朝。

 俺たちは。

 再び土手の上に立っていた。

 男の名はガロンというらしい。

ヴォルグがそう呼んでいた。

 昨日。

 ガロンが打ち込んだ三本の杭。

 地面に引かれた長い線。

 その先には。

 最初の図面と同じ加工所の配置が描かれている。

 夜が明けても。

 俺たちは。

 その意味を理解できていなかった。

 ミリアが。

 真っ先に口を開いた。

「昨日の」

「水を建物へ連れて来るって」

「どういう意味ですか?」

 川を指差す。

 次に。

 土手の向こうの杭を指差した。

「水は下に流れます」

「加工所は上ですよ?」

「水は坂を上りませんよ!」

 素っ頓狂な声が。

 朝の川辺に響いた。

 だが。

 全員が同じ疑問を抱いていた。

 ヴォルグが小さく笑った。

「ガロン」

「こやつらにも分かるように」

「説明してやれ」

 ガロンは。

 地面に置かれていた棒を拾った。

 昨日描いた長い線を。

 ゆっくりとなぞる。

「まず」

「お前たちの水車が」

「なぜ使えんのか」

 俺は川を指した。

「水位が変わるからだ」

「春は雪解けで水が増える」

「川幅も広がる」

「水の少ない時期は」

「川幅が狭くなる」

 ダンが頷く。

「春と夏じゃ」

「同じ川とは思えねえ」

 ガロンは地面に。

 三本の線を引いた。

 一番上。

 春の水位。

 真ん中。

 普段の水位。

 一番下。

 渇水期の水位。

 ロイドが腕を組んだ。

「水の少ない時期にも届かせるなら」

「大きな水車がいる」

「だが」

「春に水が増えれば」

「水車がまともに流れを受ける」

 ダンが続ける。

「壊れるか」

「そのまま流される」

 イサクが言った。

「なら」

「小さな水車ならどうだ」

 ガロンがイサクを見る。

「水が少なくなれば」

「水車まで届かん」

 イサクは苦笑した。

「大きくても駄目」

「小さくても駄目か」

 ミリアが勢いよく手を挙げた。

「では」

「春用と夏用を造りましょう!」

「二つとも流される」

「ですよね!」

 ミリアがすぐに手を下ろした。

◇◇◇

 ガロンは。

 地面に描いた川から。

 長い線を引いた。

 だが。

 その線は加工所へ向かわない。

 土手に沿って。

 川幅の変化が届かない場所へ延びていく。

「川に水車を置くから」

「水位に振り回される」

「水車を」

「川から離す」

 ミリアが瞬きを繰り返す。

「水車を川から離したら」

「回らないのでは?」

「水を引けばいい」

 ガロンは線の途中に。

 細長い四角を描いた。

「ここに取水口を造る」

「川底が動きにくい場所を選び」

「石で固める」

 そこから。

 何本もの短い線をつなげていく。

「半分に割った太い木を」

「長くつなぐ」

「木の水路だ」

「水は」

「この中だけを流れる」

 ロイドが顔を上げた。

「川幅が広がっても」

「木の水路は動かない」

「ああ」

「川の流れと」

「水路の流れを分ける」

 ガロンは。

 水路の終わりに四角を描いた。

「ここに水門を置く」

「水が増えれば門を絞る」

「水が減れば門を開く」

「必要な量だけを流す」

 ダンが地面の線を見つめる。

「川が暴れても」

「水門の先には」

「同じだけの水を流せるのか」

「完全に同じではない」

「だが」

「水車を回すだけの水は保てる」

 俺はようやく理解した。

 川の水位へ。

 水車を合わせるのではない。

 川から切り離した水路の中に。

 水車が使える流れを造る。

 ガロンは。

 川そのものを使おうとしていなかった。

 川から。

 必要な部分だけを取り出していた。

◇◇◇

 ミリアが安心したように頷いた。

「なるほど」

「水は水門まで来ました」

 そして。

 土手の上にある加工所を見た。

「でも」

「やっぱり下ですよね?」

「加工所は上ですよ?」

「水は坂を上りませんよ?」

 ガロンは。

 水門の隣に円を描いた。

「一つ目の水車だ」

「水路の流れで」

「この水車を回す」

 円の横に。

 小さな木桶を何個も描く。

 それらを。

 一本の輪でつないだ。

「水車の軸に」

「木桶をつけた鎖をかける」

「下で水をすくい」

「回りながら上へ運ぶ」

「上まで来れば」

「桶が傾いて」

「水が中段の水路へ落ちる」

 ミリアが。

 両手で円を描く。

「桶が」

「ずっと回り続けるんですか?」

「ああ」

「下ですくって」

「上でこぼす」

「下ですくって」

「上でこぼす」

「水車が回る限り」

「水は止まらん」

 ロイドが息を呑んだ。

「水車で」

「水を上へ運ぶのか」

 ガロンは頷く。

 そして。

 中段の水路をさらに延ばした。

 その先に。

 もう一つ円を描く。

「ここに」

「二つ目の水車を置く」

 ミリアの目が。

 さらに大きくなった。

「二つ目ですか!?」

「一つ目で中段まで」

「二つ目で」

「加工所より高い場所まで上げる」

 ガロンは。

 二つ目の円から。

 加工所の一番上まで線を引いた。

「二段で上げる」

「上まで来れば」

「あとは下りだ」

「加工所に高低差をつけておけば」

「水は順番に流れる」

「洗う場所」

「さばく場所」

「塩をつける場所」

「樽へ詰める場所」

「すべてを一本の水路でつなげられる」

 ロイドが図面を見つめたまま呟く。

「一度上へ運べば」

「後は水が働く」

「ああ」

◇◇◇

 イサクが二つの水車を指した。

「春も」

「二つとも使うのか?」

「春は一つだけだ」

 ミリアがまた声を上げた。

「せっかく二つ造るのに!?」

「春は川の水位が高い」

 ガロンは。

 水門の上側にもう一つ出口を描いた。

「水が多い時期は」

「水門から直接」

「中段の水路へ流せる」

「一つ目で上げる必要がない」

 俺は地面の図を見つめた。

「水が少ない時期は」

「下の水門から一つ目へ」

「春は」

「上の水門から中段へ直接流す」

「ああ」

「季節で水の道を切り替える」

 ミリアが指を一本立てた。

「春は」

「水車一つ」

 次に二本立てる。

「水が少ない時は」

「水車二つ」

 ガロンが頷いた。

「そうだ」

 ミリアが胸を張った。

「完全に理解しました!」

 俺たちも。

 ようやく全体が見えていた。

 水は一年中。

 川から木の水路を通り。

 水門まで流れてくる。

 春は一段。

 水の少ない時期は二段。

 二つの水車が。

 加工所より高い場所まで水を運ぶ。

 これなら。

 川幅が変わっても。

 加工所は影響を受けない。

◇◇◇

 ミリアが。

 満足そうに何度も頷いた。

 だが。

 突然。

 動きを止めた。

「待ってください」

 全員がミリアを見る。

「水が上がるのは分かりました」

「加工所まで水が流れるのも分かりました」

「でも」

 ミリアは川を指差した。

 次に。

 土手の上の加工所を指差す。

「鮭は?」

 誰も答えなかった。

「鮭は坂を上りませんよ!」

 ミリアの声が。

 川辺に響いた。

 俺も。

 同じことに気づいた。

 水だけが加工所へ届いても。

 鮭を人の手で運ぶなら。

 最初の構想と変わらない。

 何千匹もの鮭を。

 川辺から加工所まで担ぎ上げることになる。

「やはり」

「鮭は人が運ぶのか」

 俺が聞くと。

 ガロンは。

 初めて大きく笑った。

「水だけを上げるために」

「こんな仕掛けを造ると思ったか」

◇◇◇

 ガロンは。

 地面に描いた木の水路へ。

 いくつもの四角を描いた。

「船から降ろした鮭は」

「この木桶へ入れる」

「木桶?」

 ミリアが聞き返す。

「ああ」

「鮭を入れた木桶を」

「水路に浮かべる」

 ガロンは指で四角を押し。

 水門まで滑らせる。

「水が」

「木桶ごと運ぶ」

「人が担ぐ必要はない」

 ミリアが目を見開いた。

「鮭が」

「桶に乗って流れてくる?」

「ああ」

「でも」

 ミリアは一つ目の水車を指した。

「ここから上は?」

 ガロンは。

 水を運ぶ小さな桶の横に。

 もう一つ。

 大きな木桶を描いた。

「水車の軸には」

「もう一本の鎖をかける」

「こちらには」

「鮭を入れた木桶を引っかける」

「水車が回れば」

「水を入れた桶と一緒に」

「鮭の木桶も上へ運ばれる」

 ロイドが身を乗り出した。

「同じ水車で」

「水と鮭を上げるのか」

「ああ」

「中段まで来たら」

「また水路へ浮かべる」

「二つ目の水車まで流し」

「もう一度引き上げる」

 ガロンは。

 二段目の上まで木桶を動かした。

「木桶はそのまま加工所の水路流れる」

 沈黙。

 誰も。

 すぐには言葉を出せなかった。

 最初に声を上げたのは。

 やはりミリアだった。

「水車が」

「水も運んで」

「鮭も運ぶんですか!?」

「そうだ」

「しかも二階建て!?」

「二段だ」

「ほとんど同じです!」

 イサクが吹き出した。

 だが。

 すぐに地面の図へ目を戻す。

「船から降ろす」

「木桶へ入れる」

「水路で水門まで流す」

「水車で中段へ上げる」

「また流す」

「二つ目の水車で上へ」

「そこから加工所を下る」

 ロイドが続けた。

「鮭を担ぐ人間は」

「ほとんどいらねえ」

「運搬も」

「水洗いも」

「一つの仕組みでできる」

 ダンが川を見ながら笑った。

「川の鮭が」

「そのまま加工所へ登っていくのか」

◇◇◇

 ヴォルグが俺を見た。

「どうじゃ」

「領主殿」

 俺は。

 地面に描かれた仕組みから。

 目を離せなかった。

 俺は。

 加工の順番を考えた。

 人の動きを減らし。

 水を利用し。

 工程をつなげた。

 だが。

 水をどこから取り。

 どう上へ運び。

 季節ごとの水位へどう対応するか。

 鮭を水車でどう持ち上げるか。

 そこまでは。

 思いつかなかった。

「俺には」

「無理だった」

 素直に認めた。

経営なら。

人と金と工程を組み合わせられる。

だが。

「水と土地を組み合わせるのは」

「技術だ」

 ヴォルグは満足そうに頷いた。

「領主が」

「棟梁になる必要はない」

「自分にないものを知り」

「持っている者を使う」

「それも」

「上に立つ者の仕事じゃ」

 俺はガロンを見た。

 専門家とは。

 俺たちが見落とした問題を解く者ではない。

 俺たちには見えなかった。

 答えそのものを見る者だった。

◇◇◇

「これなら」

 ロイドが笑った。

「建てられる」

 イサクも頷く。

「川幅が変わっても」

「水位が変わっても」

「加工所は動く」

 ミリアが両手を上げた。

「解決ですね!」

 だが。

 ガロンだけは。

 笑っていなかった。

「まだだ」

 ミリアの両手が止まる。

「今度は何ですか?」

 ガロンは。

 地面に描いたものを順番に指した。

 長い木の水路。

 二つの水門。

 二基の水車。

 水を運ぶ桶鎖。

 鮭を運ぶ木桶。

 中段の水路。

 上段の水路。

「これは」

「安くは造れん」

 イサクの表情が変わった。

「いくらかかる」

 ガロンは答えた。

「今の予算に」

「少なくとも」

「三百金貨は上乗せになる」

「木材はいい」

「高いのは」

「水車の軸と金具」

「それに」

「二つの水門に使う鉄だ」

 誰も。

 喜べなかった。

 技術の壁は。

 越えた。

 だが。

 その向こう側に。

 また数字の壁が立っていた。


(第88話 デッドロック)





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