第84話 ノースの資産家
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逆光の中。
その人物はゆっくりと部屋へ入ってきた。
小柄な老人だった。
白い髭。
磨き込まれた杖。
仕立ての良い外套。
だが。
一番目を引いたのは。
その目だった。
部屋に入った瞬間。
老人の視線が動いた。
机。
椅子。
窓。
壁のひび。
そして。
俺たち一人一人。
全部を。
順番に。
値踏みしていた。
「ふむ」
老人は小さく頷いた。
「思ったよりボロじゃな」
第一声がそれだった。
ミリアが固まる。
ハンスが慌てて頭を下げた。
「ヴォルグ様」
「いきなり失礼ですよ」
「事実じゃろ」
老人は悪びれもしない。
俺は思わず笑った。
「その通りだ」
「屋根は傷んでいる」
「窓も一部は板で塞いである」
老人の目が。
初めて俺を正面から見た。
「ほう」
「怒らんのか」
「事実は怒っても変わらない」
老人はしばらく俺を見ていた。
そして。
小さく笑った。
「ヴォルグじゃ」
「ノースで鉱山をいくつか持っておる」
席に着くと。
ヴォルグは杖を机に立てかけた。
「ハンスから話は聞いた」
「面白い仕組みを考える男がおるとな」
「売って」
「借りて」
「買い戻す」
ヴォルグは指を三本立てた。
「正直に言おう」
「ワシは屋敷を買いに来たのではない」
ミリアが首を傾げる。
「え?」
「では何を買いに来たのですか」
ヴォルグは俺を見た。
「仕組みじゃ」
部屋が静まり返る。
「屋敷など」
「このままならただの古い建物じゃ」
「だが」
「その古い建物から金を生む仕組みを考えた」
「そこが面白い」
イサクが横から笑う。
「爺さん」
「金を出すのは屋敷にだぞ」
「分かっとるわ」
ヴォルグはイサクを一瞥した。
「お前さんがラングのイサクか」
「騒がしいと聞いておったが」
「本当じゃな」
「まだ何も言ってないだろ!」
「顔が騒がしい」
部屋に笑いが起きた。
ミリアが小声で呟く。
「イサクさんが負けてる……」
◇◇◇
「さて」
ヴォルグの声が変わった。
重みがある。
「屋敷を見せてもらった」
「建物の価値は」
「ほぼゼロじゃ」
ダレンが息を呑む。
「じゃが」
ヴォルグは窓の外を指した。
「土地は別じゃ」
「港に近い」
「街の中心じゃ」
「道中、ハンスから聞いたよ」
「鮭が戻った」
老人の目が細くなる。
「町が生き返る土地は」
「必ず上がる」
俺は黙って聞いていた。
正確だった。
俺の見立てと。
ほとんど変わらない。
「三百金貨」
ヴォルグは言った。
「使用料は年二十金貨」
「三年後の買い戻しは三百三十金貨」
「どうじゃ」
俺は頭の中で計算した。
三年で使用料六十金貨。
買い戻しの上乗せ三十金貨。
三年間で九十金貨のコスト。
今のバルドに提示される条件としては。
破格に良い。
つまり。
この老人は。
別の何かを買いに来ている。
「安いな」
俺は言った。
「何が狙いだ」
ミリアがぎょっとする。
「レオン様!」
「いい話じゃないですか」
ヴォルグは笑った。
初めて。
楽しそうに。
「喜んで飛びつかんのか」
◇◇◇
老人は杖を握り直した。
「狙いは言った通りじゃ」
「この仕組み」
「ノースでも使えるだろう」
「坑道」
「精錬所」
「荷置き場」
「売って借りれば」
「新しい山が買える」
イサクが眉を上げる。
「なるほど」
「資金を寝かせずに山を増やすわけか」
「そういうことじゃ」
ヴォルグは俺を見た。
「その使い方を」
「考えた本人から直接聞けた」
「この仕組みを本人から直接聞けるなら」
「条件を安くする価値はある」
「ワシにとっては」
「勉強代だ」
筋は通っている。
だが。
この老人が。
全部を話しているとは思えなかった。
「契約しよう」
俺は手を差し出した。
ヴォルグは握り返した。
小さく。
乾いた手だった。
だが。
握る力は強かった。
◇◇◇
契約書を書き終えた時だった。
ヴォルグの視線が止まった。
机の端。
広げたままの図面。
加工所の図面だった。
「……何じゃこれは」
俺が答える前に。
老人は図面を引き寄せていた。
水路。
勾配。
高低差。
建物の配置。
ヴォルグの目が。
図面の上を走る。
「水で運ぶのか」
「ああ」
「勾配で流すのか」
「ああ」
「水車で上げるのか」
「そのつもりだ」
ヴォルグは顔を上げた。
「誰が造る」
部屋が静まり返った。
それが。
今朝からの問題だった。
「職人がいない」
俺は正直に答えた。
ヴォルグはしばらく黙っていた。
そして。
杖で床を一つ叩いた。
「おるぞ」
全員が老人を見た。
「ノースは鉱山の町じゃ」
「鉱石は重い」
「人では運べん」
「だからワシらは」
「水路で運ぶ」
「水車で上げる」
「百年前からな」
ロイドが立ち上がった。
「本当か」
「ワシの山の棟梁を一人」
「職人を連れて寄越してやろう」
「工事が軌道に乗るところまでは」
「ワシが話を通す」
ミリアが歓声を上げかけた。
その瞬間。
「ただし」
老人の声が。
一段低くなった。
「これは」
「貸しじゃ」
貸し。
金額を言わない貸しほど。
高いものはない。
俺はそれを知っていた。
「いくらだ」
俺は聞いた。
「今は決めん」
ヴォルグは笑った。
部屋の空気が重くなる。
ロイドが小さく首を振った。
乗るな、という顔だった。
イサクも黙っている。
だが。
職人がいなければ。
加工所は紙切れのままだ。
「分かった」
俺は言った。
「その貸し」
「借りよう」
◇◇◇
帰り際だった。
ヴォルグが外套を羽織る。
その時。
老人の視線が。
もう一度止まった。
机の横。
ダレンが片付けようとしていた。
もう一枚の紙。
街道。
橋。
船。
ラング。
王都。
全部が線で結ばれた。
あの図面だった。
ヴォルグは。
何も言わなかった。
ただ。
その紙を。
じっと見ていた。
杖を握る手に。
力がこもるのが見えた。
やがて。
老人は静かに目を逸らした。
「……なるほどの」
それだけ呟いた。
何がなるほどなのか。
誰にも分からなかった。
扉の前で。
ヴォルグは振り返った。
「レオンとやら」
「ワシはの」
「面白い男には」
「二種類の関わり方をする」
老人は笑った。
目は。
笑っていなかった。
「仲間にするか」
「潰すか」
そう言い残して。
老人は出て行った。
部屋に。
沈黙が残る。
ミリアが小さく聞いた。
「レオン様」
「あの人」
「いい人……ですよね?」
俺は答えられなかった。
分かっているのは一つだけだ。
あの老人は。
バルドの何かに。
値段をつけ始めている。
(第85話 水の職人)
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