第42話 引退した船乗り
その日の午後。
ダンの案内で港の外れへ向かう。
「遠いですね」
ミリアが不満そうに言う。
「引退した船乗りだからな」
「引退したら家も引退するんですか」
「意味が分からん」
「私も言ってから分からなくなりました」
午後からも平常運転だった。
◇◇◇
丘の上に小さな家があった。
海が見える。
古い船の舵輪が庭に置かれていた。
「ここです」
ダンが扉を叩く。
「師匠」
しばらくして。
中から老人が出てきた。
白髪。
深い皺。
そして鋭い目。
「ダンか」
「久しぶりです」
「金の無心なら帰れ」
皮肉めいた笑い
「違いますよ」
老人は俺を見る。
「バルドの領主様か」
何かを察しているようだ。
「ああ」
「話を聞きたい」
老人は嫌そうな顔をした。
「面倒事の顔だな」
◇◇◇
家の中へ通される。
酒瓶が並んでいる。
船の模型もある。
船乗りらしい家だった。
「何を聞きたい」
老人が言う。
「十年前の鮭だ」
老人の顔から笑みが消えた。
長い沈黙。
「やっぱり、その話か」
「四枚の話です」
ダンが言う。
老人は目を閉じた。
「忘れたと思ったんだがな」
「皆そうです」
ダンが答える。
「誰も話したがらない」
「当然だ」
老人は苦く笑った。
「ラングは知っていたのか」
俺は聞く。
「何をだ」
「四枚で買い続ければどうなるか」
老人は首を振る。
「本当の目的までは知らん」
「だが」
「おかしいとは思った」
「どうおかしい」
「儲かり過ぎた」
即答だった。
「四枚で買う」
「王都で売る」
「南方でも売る」
「利益は出る」
「出過ぎるほどな」
老人は窓の外を見る。
「最初は皆喜んだ」
「だが数年すると」
「誰も喜ばなくなった」
「なぜだ」
「鮭が減ったからだ」
静かな声だった。
「港の連中でも分かる」
「今年は少ない」
「来年はもっと少ない」
「皆そう言っていた」
俺は黙って聞く。
「それでも四枚だった」
老人は続ける。
「誰も値段を変えない」
「誰も出し抜かない」
「だからおかしいと思った」
「だが」
老人は笑う。
「儲かるからな」
部屋が静かになる。
「止められなかった」
老人は自嘲気味に言った。
「商人も」
「船乗りも」
「漁師もだ」
◇◇◇
「いや」
俺は首を振った。
「一人いた」
老人の目が細くなる。
「ダンか」
「ああ」
俺は頷く。
「四枚はおかしい」
「来年の鮭がいなくなる」
「そう言っていた」
老人は深く息を吐いた。
「正しかったよ」
「だが」
「誰も聞かなかった」
長い沈黙。
やがて。
老人が酒棚の奥へ向かった。
「本当は」
小さく呟く。
「墓まで持って行くつもりだった」
古い木箱を取り出した。
埃をかぶっている。
「何だ」
俺は聞く。
老人は箱を机に置いた。
「航海日誌だ」
俺の手が止まる。
「ラングB商会の連中と乗った時の記録だ」
「証拠になるかは分からん」
「だが」
「今見ると変なことが書いてある」
老人は静かに言った。
「十一枚になる少し前からだ」
俺とダンは顔を見合わせた。
ようやく。
当時を知る人間の言葉ではなく。
当時に書かれた記録へ辿り着いた。
(第43話 航海日誌)
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