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第32話 違和感

 バルドへの帰り道。

 ミリアは大きな欠伸をした。

「眠いです」

「そうか」

「それだけですか」

「事実だからな」

「冷たいです」

 ダレンが苦笑する。

「若いですね」

「若くありません」

「若い」

 俺も頷いた。

「レオン様まで?!」

 納得いかないらしい。

◇◇◇

 しばらく歩く。

 ミリアがぽつりと言った。

「昔は儲かっていたんですよね」

「ええ」

 ダレンが頷いた。

「とても裕福とは言えませんでしたが」

「漁師も」

「農家も」

「林業も」

「皆、それなりに暮らしていました」

「鮭も?」

「ええ」

「鮭もです」

 ダレンは少し懐かしそうだった。

「翌年も鮭が戻るように」

「獲り過ぎないようにしていました」

 自然な話だった。

 商売は続いていた。

 少なくともその頃は。

◇◇◇

「でも」

 ダレンが続けた。

「ある年から変わりました」

「鮭が帰ってこなくなってきた?」

 ミリアが珍しく真剣な顔で聞く。

「いえ」

 ダレンは首を振った。

「価格です」

 俺は顔を上げた。

「急に高くなったんです」

「いいじゃないですか!」

 ミリアが即答した。

「私なら毎日獲ります」

「皆、そう思ったのでしょう」

 ダレンは苦笑する。

「今までの倍近くになったそうです」

「倍?」

「ええ」

「それで皆、鮭を獲り始めました」

「漁師以外も?」

「漁師以外もです」

 ダレンは遠くを見る。

「畑を休む者もいた」

「山へ入らなくなる者もいた」

「漁具を買う者もいた」

「川沿いに小屋を建てる者もいた」

「鮭を獲れば儲かる」

「そんな空気でした」

 静かになる。

「漁師達も喜んだんですか」

 ミリアが聞いた。

「ああ」

 ダレンは頷く。

「喜んだ」

「漁場を巡って争うこともあったそうです」

 その声は少し重かった。

◇◇◇

「でも」

 ミリアが首を傾げた。

「儲かったなら良かったんじゃないですか」

「最初はですね」

 ダレンはそう言った。

「最初は?」

「気付いた時には」

 ダレンの表情が曇る。

「値段は元より安くなっていました」

 風が吹く。

「え?」

「安く?」

「ああ」

「しかも」

 ダレンは一度言葉を切った。

「ラングの商人達は、皆同じ値段だったそうです」

 俺は立ち止まった。

 聞いたことがある。

 川辺の老人。

 潰れた漁師組合。

 あの時だ。

 ラングの商人達は皆同じ値段だった。

 確かに聞いていた。

 だが俺は、その意味を深く考えなかった。

 鮭の数ばかり見ていた。

 販路ばかり考えていた。

 価格の意味を見落としていた。

「領主様?」

 ミリアが首を傾げる。

 俺は答えない。

◇◇◇

「それでも皆、獲ったんですか」

 ミリアが聞く。

「ああ」

 ダレンは頷いた。

「獲りました」

「どうしてです?」

「やめられなかったんです」

「やめられなかった?」

「ええ」

 ダレンは苦い顔をした。

「道具を買った人もいた」

「小屋を建てた人もいた」

「家を建て替えた人もいた」

「他の仕事を休んだ人もいた」

「もう、鮭で稼ぐしかなかった」

 しばらく沈黙が続いた。

「昔は」

 ダレンが静かに続ける。

「庁舎に来る人達はいろんな話をしていました」

「畑の話」

「山の話」

「漁の話」

「税の相談」

「家族の話」

「でも、あの頃は違いました」

「皆、鮭の話しかしなくなった」

 風が吹いた。

「鮭が獲れた」

「もっと獲れる」

「来年はもっと儲かる」

「そんな話ばかりでした」

◇◇◇

 ミリアが黙っていた。

 珍しい。

 やがて小さく聞く。

「その人達は、どうなったんですか」

「色々です」

 ダレンは答えた。

「儲かった人もいました」

「でも」

「借金を返せなくなった人もいた」

「夜逃げした人もいました」

「夜逃げ……」

「ええ」

 ダレンは頷く。

「ある朝、家族ごといなくなっていた」

「庁舎でも騒ぎになりました」

「私は覚えています」

 ミリアは何も言えなかった。

◇◇◇

 頭の中で数字が動く。

 最初は高い。

 皆が集まる。

 皆が鮭に賭ける。

 他の仕事を薄くする。

 生活が鮭に寄る。

 そして価格が下がる。

 それでも獲る。

 やめられない。

 逃げ場がない。

 高く買ったんじゃない。

 集めたんだ。

 鮭に。

「……そういうことか」

「え?」

 ミリアが聞く。

 だが俺は答えなかった。

 まだ証拠がない。

 だが。

 嫌な予感だけはあった。

 誰かが儲けている。

 鮭だけではない。

 バルドの人も。

 仕事も。

 未来も。

 まとめて食い物にして。

 それも、とてつもなく。

◇◇◇

「ダレン」

「はい」

「十五年前からの記録を集めろ」

「記録ですか?」

「ああ」

「税も」

「取引も」

「借入も」

「残っているもの全部だ」

 ダレンが固まった。

「全部ですか」

「全部だ」

 ミリアが嫌そうな顔をした。

「また帳簿ですか」

「ああ」

「嫌な予感がします」

「俺もだ」

 珍しく意見が一致した。

「何かあるんですか」

 ダレンが聞く。

「まだ分からん」

 本当に分からない。

 だが。

 もし俺の考えが正しいなら。

 これは鮭の話ではない。

 バルドが衰退した理由そのものだ。

 俺は歩き出した。

 たぶん。

 数字が答えを知っている。


(第33話 税収の崩壊)



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