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第26話 鮭より早く

※この作品は毎日更新予定です。

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 その夜。

 いや。

 まだ夜ですらなかった。

 ミリアは完全に不機嫌だった。

「人間の時間じゃありません」

「そうか」

「夜です」

「ああ」

「寝る時間です」

「ああ」

「なぜ歩いているんですか」

「ダンが来いと言ったからだ」

 ミリアが天を仰いだ。

「意味が分かりません」

 俺も半分同意だった。

 だが。

 確かめたい。

 鮭より先に来い。

 あの言葉の意味を。

 やがて。

 川へ到着する。

 まだ真っ暗だ。

 ダンは既にいた。

 昨日と同じように。

 腕を組んで立っている。

 そして。

「来たか」

 それだけだった。

 今日は遅いと言わない。

 ミリアが小さくガッツポーズをした。

「勝った……」

「何にだ」

「知りません」

 意味不明だった。

「ついて来い」

 ダンが歩き出す。

 俺達も後を追った。

 昨日よりさらに奥。

 川幅は狭くなり。

 流れは速くなる。

 足場も悪い。

 やがて。

 ダンが立ち止まった。

「ここだ」

 周囲を見る。

 何もない。

 川しかない。

「待て」

 またそれだった。

 俺達は黙って待った。

 しばらくして。

 東の空が少しだけ白くなる。

 その時だった。

「……来た」

 ダンが呟く。

 川を見る。

 最初は分からなかった。

 だが。

 水面の下で何かが動く。

 一匹。

 また一匹。

 さらに一匹。

 違う。

 数が違う。

 十匹。

 二十匹。

 三十匹。

 次々と上流へ向かう。

 銀色の群れ。

 川そのものが動いているようだった。

「これは……」

 ダレンが息を呑む。

 ミリアも言葉を失った。

 昨日見た数とは比較にならない。

 ダンは何も言わない。

 ただ川を見ている。

「なるほど」

 俺は呟いた。

「昨日は本当に逃したんだな」

「ああ」

 ダンが頷く。

「ここを通る時間は短い」

「毎日同じか」

「違う」

「季節も変わる」

「天気も変わる」

「水量も変わる」

 静かになる。

 俺は少し笑った。

「面倒だな」

「魚だからな」

 初めてダンが笑った。

 ほんの少しだけ。

「昨日」

 ダンが言う。

「何匹いた」

「二十五匹だ」

「違う」

 俺はダンを見る。

「違う?」

「あれは二十五匹見えただけだ」

 静寂。

「魚の数じゃない」

 ダンは川を指差した。

「お前は数字を見ている」

「ああ」

「だが魚は数字じゃない」

 川が流れる。

 銀色の魚影が消えていく。

「魚を見るな」

 ダンが言った。

「川を見ろ」

 ミリアが首を傾げる。

「どういう意味ですか」

 ダンは答えない。

 代わりに。

 川岸を指差した。

「見ろ」

 岩。

 深み。

 流れ。

 小さな支流。

 倒木。

 全部が違う。

「鮭は川を選ぶ」

 ダンが言う。

「川が死ねば鮭も死ぬ」

「川が生きれば鮭は戻る」

 俺は黙って聞いていた。

 なるほど。

 昨日まで。

 俺は魚を見ていた。

 だが。

 ダンは違う。

 川を見ている。

「レオン様」

 ダレンが小声で言った。

「かなり戻っているのでは」

「ああ」

 俺は頷いた。

 そして。

 ダンを見る。

「昔はどれくらいいた」

 静寂。

 ダンは少しだけ遠くを見る。

「この程度じゃない」

「どれくらいだ」

 ダンは答えた。

「川が銀色だった」

 誰も喋らなかった。

「朝になれば」

「川全部が鮭だった」

 ミリアが目を丸くする。

「そんなに?」

「ああ」

 ダンは頷く。

「今の十倍」

 十倍。

 俺は川を見る。

 今でも十分多い。

 だが。

 昔はさらにいた。

 なら。

 まだ戻る余地がある。

 その時だった。

 ダンがぽつりと言った。

「だが」

 声が低かった。

「また同じことをやれば」

 川を見る。

「今度こそ終わる」

 静かになる。

 十五年守った男の言葉だった。

 軽くはない。

 俺は頷いた。

「ああ」

 そして答えた。

「なら終わらせない方法を考えよう」

 ダンは何も言わなかった。

 だが。

 初めて。

 俺から目を逸らさなかった。


(第27話 川が銀色だった頃)



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