第135話 売ったのは塩じゃない
第135話 売ったのは塩じゃない
「それで」
ベルンが言う。
「この港は」
「今の姿になった」
閉じた。
倉庫。
止まった。
窯。
海風だけが。
通っている。
「何が」
「あった?」
ベルンが。
俺を見る。
「知らんのか」
「ああ」
「王都のことも?」
「ああ」
男は。
しばらく。
俺を見た。
「なら」
「見せてやる」
◇◇◇
製塩所の。
奥。
大きな窯が。
四つ。
並んでいた。
火があるのは。
一つ。
「昔は?」
「全部だ」
塩屋は。
第三港に。
何軒もあった。
だが。
その中でも。
ベルン家の塩は。
評判が良かった。
「何が」
「違ったんです?」
ミリアが聞く。
「作り方だ」
ベルンが答えた。
海水から。
塩を作る。
それだけなら。
どこでもできる。
だが。
海水の扱い。
火を入れる順番。
止める時。
結晶を。
取り出す時。
ベルン家には。
代々。
積み上げたやり方があった。
「同じ海水でも」
「取れる量が違う」
「薪の量も」
「違う」
「味もな」
ミリアが。
窯を見る。
「秘密だったんですか?」
「ああ」
「家の者しか」
「知らなかった」
◇◇◇
二十年ほど前。
王都から。
役人と。
商人が来た。
ベルン家の塩を。
王都で売りたい。
そう。
言った。
「最初は」
「断った」
製法は。
見せない。
塩だけなら。
売る。
それが。
ベルンの父の。
答えだった。
「向こうは?」
「何度も来た」
そして。
最後に。
条件を出した。
「ベルン家の塩を」
「作れるだけ」
「全部買う」
窯を。
増やしてもいい。
人を。
雇ってもいい。
できた塩は。
王都が。
全部引き取る。
「それで?」
「親父が」
「折れた」
◇◇◇
王都の人間が。
製塩所へ。
入った。
窯を見た。
海水を。
どう扱うか。
見た。
火を。
いつ強くし。
いつ弱くするか。
見た。
職人が。
何を見て。
判断するか。
聞いた。
「全部?」
「ああ」
「全部だ」
ベルンの父は。
隠さなかった。
これから。
作る塩を。
全部買ってくれる。
なら。
隠す理由は。
ない。
そう。
考えた。
◇◇◇
注文は。
増えた。
窯を。
二つ増やした。
人も。
雇った。
倉庫も。
借りた。
「一番」
「忙しかった頃は」
「ここだけで」
「今の四倍は」
「作っていた」
だが。
三年ほどして。
注文が。
減った。
「急に?」
「最初は」
「少しずつだ」
翌年。
さらに減った。
そして。
王都から。
文書が来た。
『第三港からの輸送費が高く、
これ以上の取引継続は難しい』
ベルンが。
笑った。
笑っているのに。
目は。
笑っていない。
「それだけ?」
ミリアが聞いた。
「それだけだ」
◇◇◇
だが。
その後。
分かった。
王都の近くで。
新しい製塩所が。
動き始めていた。
そこで。
作られていた塩。
「同じだった?」
「完全にじゃない」
ベルンが言う。
「でも」
「うちのやり方だった」
窯の使い方。
海水の扱い。
火の入れ方。
ベルン家が。
見せたものが。
使われていた。
王都の近くなら。
運賃は。
安い。
第三港から。
重い塩を。
運ぶ必要もない。
「つまり」
ミリアが。
言葉を。
止めた。
「作り方を」
「覚えて」
「自分たちで」
「作った?」
「ああ」
「それで」
「ここの塩は」
「運ぶと高いから」
「要らないって……」
「ああ」
◇◇◇
俺は。
窯を見た。
商品を。
奪われたのではない。
客を。
奪われただけでもない。
もっと。
根にあるもの。
作り方。
そのものを。
渡してしまった。
前の世界なら。
特許。
あるいは。
営業秘密。
技術そのものを。
守る方法があった。
権利にする。
契約で。
縛る。
それが。
できないなら。
見せない。
だが。
ベルン家は。
「全部買う」
その言葉と。
引き換えに。
一番大事なものを。
渡した。
◇◇◇
「契約は?」
俺が聞いた。
「何?」
「全部買うという」
「約束だ」
「紙はあった」
「期間は?」
ベルンが。
黙った。
「量は?」
「……」
「何年間」
「最低どれだけ買うと」
「書いてあった?」
「なかった」
ミリアも。
黙った。
全量を。
買う。
聞けば。
強い約束に見える。
だが。
何年。
いくら。
最低何袋。
それがなければ。
明日。
注文を。
ゼロにしても。
約束を。
破ったことには。
ならない。
「親父は」
ベルンが言った。
「商売が」
「続くと思った」
「ああ」
「俺もだ」
◇◇◇
「それで」
「王都が嫌い?」
ベルンが。
俺を見る。
「嫌いだ」
今度は。
迷わなかった。
「だが」
「騙されたのは」
「こっちだ」
その言葉に。
俺は。
ベルンを見た。
「親父も」
「俺も」
「塩を売ったつもりだった」
ベルンが。
窯に。
手を置く。
「違った」
「俺たちが売ったのは」
「塩じゃなかった」
少し。
間を置く。
「作り方だった」
◇◇◇
ミリアが。
小さく。
帳簿を閉じた。
「じゃあ」
「もう」
「誰にも見せない?」
「ああ」
「俺にも?」
「当然だ」
「分かった」
ベルンが。
少し。
驚いた顔をした。
「見せろと」
「言わんのか?」
「必要ない」
「なぜだ」
「俺が欲しいのは」
「塩だ」
作り方ではない。
必要な時に。
必要な量。
決めた品質で。
届けばいい。
「春になったら」
「バルドで」
「塩が要る」
「その時」
「値段と」
「量を決める」
「製法は?」
「ベルン家のものだ」
男が。
俺を見る。
長かった。
「……変な領主だな」
俺は。
答えなかった。
◇◇◇
帰り。
ミリアが。
振り返る。
閉じた窯。
閉じた倉庫。
「技術って」
「売れるんですね」
「ああ」
「でも」
「売ったら」
「なくなることもある」
「ああ」
物。
土地。
船。
金。
目に見えるものだけが。
資産ではない。
作り方。
経験。
人が。
長い時間をかけて。
積み上げたもの。
それも。
資産だ。
しかも。
一度。
外へ出せば。
取り戻せない。
守るべきものは。
金だけではない。
第三港の。
閉じた窯が。
それを。
教えていた。
「一つ」
「聞いていいか」
「何だ」
「今の塩も」
「王都に教えた作り方で」
「作ってるのか?」
ベルンが。
初めて。
笑った。
「まさか」
「二十年前の」
「作り方なんぞ」
「とっくに捨てた」
(第136話 二十年後の塩)




