第100話 栄える町の妖魔
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王都へ帰るはずだった。
ベルクの足が。
馬車の前で止まっている。
「ノースに」
「大量のゴブリンですか」
「ああ」
ヴォルグは。
急使から受け取った書状を。
短く読む。
そして。
乱暴に折り畳んだ。
「鉱山の周囲」
「北の街道」
「西の居住区」
「三方向から」
「町へ向かっておる」
「守備兵は?」
俺が聞く。
「百二十」
「鉱山警備を合わせれば」
「もう少しおる」
「なら」
「すぐには落ちない」
「数が」
「分かればな」
ヴォルグが。
急使を見る。
「どれほど見た」
「少なくとも」
「二百」
「森の中には」
「まだ……」
急使が。
言葉を詰まらせる。
「鉱山からも」
「出てきたのか」
「はい」
「旧坑道の周辺から」
ヴォルグの目が。
細くなった。
「そうか」
その声には。
驚きがなかった。
恐れていたことが。
ついに起きた。
そんな声だった。
◇◇◇
「ヴォルグ殿」
ベルクが言う。
「王都へ」
「何か伝えることはありますか」
「伝えて」
「何ができる」
「援軍の要請なら」
「緊急報告として提出できます」
「王都が」
「兵を出すのか」
「それは」
「私には約束できません」
「何日で届く」
「早馬なら」
「五日ほどです」
「審議に何日かかる」
ベルクは。
答えなかった。
「兵を集め」
「ノースへ送るのは」
「さらにその後じゃ」
ヴォルグは。
鼻で笑った。
「町が喰われた後に」
「死体の数でも」
「数えに来るのか」
「ヴォルグ殿」
「ベルク」
「お前さんを責めてはおらん」
「王都に」
「何ができるのかと」
「聞いておるだけじゃ」
ベルクは。
唇を結んだ。
監査官が。
兵を動かすことはできない。
命令を出すことも。
できない。
「事実を」
「伝えることはできます」
やがて。
ベルクが答えた。
「ノースで」
「何が起きたのか」
「報告します」
「それで?」
「起きたことを」
「起きなかったことには」
「させません」
ヴォルグが。
ベルクを見る。
しばらく。
二人とも。
何も言わなかった。
「相変わらず」
「できることしか」
「言わん男じゃ」
「できないことを」
「約束するよりは」
「ましでしょう」
「違いない」
ヴォルグは。
わずかに笑った。
「行け」
「王都で」
「お前さんの仕事をしろ」
「はい」
ベルクが。
馬車へ乗る。
「レオン殿」
「何だ」
「十年前の件は」
「確認します」
「ああ」
「ノースについても」
「報告に加えます」
馬車の扉が。
閉じられた。
三台の馬車が。
雪の街道を。
王都へ向かって動き始める。
ベルクは。
最後まで。
こちらを見ていた。
◇◇◇
「領主さん」
馬車が見えなくなった後。
ヴォルグが言った。
「何だ」
「お前さんたちも」
「来てくれんか」
「たち?」
ヴォルグの視線が。
俺の隣へ向く。
「そこの娘もじゃ」
ミリアが。
自分を指差した。
「私ですか?」
「ああ」
「私が」
「指名されました!」
ミリアが。
俺の腕をつかむ。
「レオン様!」
「ヴォルグ様が」
「私を指名しました!」
「聞こえている」
「重要人物です!」
「ゴブリンが」
「二百匹以上いる場所へ行く話だぞ」
「……やっぱり」
「指名を辞退しても?」
「できん」
ヴォルグが。
即答した。
「どうして」
「お前さんは」
「誰も聞かんことを」
「勝手に聞く」
「褒められています?」
「半分はな」
「残り半分は?」
「うるさい」
ミリアが。
不満そうに。
口を閉じた。
◇◇◇
バルドを。
空にはできない。
ダレンには。
事後報告書と。
領地の管理を任せた。
ダンとロイドには。
鮭の運送計画を。
イサクには。
塩と樽の手配を。
ガロンには。
水車の製作を。
予定どおり進めさせる。
「戻るまで」
「支払いと契約は」
「すべて記録しろ」
「承知しました」
ダレンが。
深く頭を下げる。
「レオン様」
「今度は」
「必ず」
「先に報告します」
「ああ」
「頼む」
その一言だけで。
十分だった。
◇◇◇
ヴォルグの馬車は。
その日のうちに。
ノースへ向けて出発した。
馬を替えながら。
北へ進む。
雪は。
次第に深くなった。
バルドの荒れた街道とは違う。
道幅は広い。
石も敷かれている。
鉱石を運ぶための道だ。
何台もの荷馬車と。
すれ違った。
どれも。
南へ向かっている。
「ゴブリンが出たのに」
「鉱石を運んでいるんですか?」
ミリアが。
窓の外を見る。
「止められんのじゃ」
ヴォルグが答える。
「なぜだ」
「王都へ納める量が」
「決められておる」
「町が襲われていても?」
「町が襲われようと」
「坑道が崩れようと」
「契約は消えん」
「そんな契約を」
「なぜ結んだんですか」
「結ばされたからじゃ」
◇◇◇
十数年前。
王都では。
武器と建築資材の需要が。
急激に増えた。
鉄。
銅。
銀。
ノースの鉱山には。
王都が求めるものが。
すべてあった。
王都は。
道を造るための金を出した。
坑道を広げるための。
補助金を出した。
新しい道具を。
貸し与えた。
表面上は。
ノースへの投資だった。
だが。
金を受け取る条件として。
毎年の納鉱量が。
定められた。
「採れなければ?」
俺が聞く。
「不足分は」
「翌年へ繰り越される」
「返済も増える」
「ああ」
「掘れば掘るほど」
「やめられなくなる仕組みか」
ヴォルグが。
頷く。
「最初は」
「皆が喜んだ」
「仕事が増えた」
「賃金が上がった」
「町に商人が集まった」
「家も増えた」
「酒場も増えた」
「それなら」
「栄えたのでは?」
ミリアが聞く。
「表から見ればな」
◇◇◇
鉱夫には。
先に金が渡された。
道具を買うため。
家族を養うため。
冬を越すため。
前借りだった。
そこから。
道具代が引かれた。
住居費が引かれた。
食料代が引かれた。
怪我をすれば。
治療費も引かれた。
仕事を辞めれば。
借金だけが残る。
別の町へ行こうにも。
通行許可が必要だった。
「町から」
「出られなかった?」
「出ることはできた」
「借金を」
「すべて返せればな」
「それでは」
「出られないのと同じです」
「ああ」
ヴォルグは。
静かに答えた。
「町は栄えた」
「だが」
「町の者は」
「逃げられなくなった」
◇◇◇
採掘量を増やすため。
坑道は。
深くなった。
支柱が足りない。
空気も悪い。
水も出る。
事故が増えた。
それでも。
王都から求められる量は。
変わらなかった。
「わしは」
「西の坑道を」
「閉じようとした」
ヴォルグが言う。
「危険だったからだ」
「王都は?」
「認めなかった」
「理由は」
「銀の含有量が」
「最も高い場所だったからじゃ」
「人より」
「鉱石を選んだんですか」
ミリアが。
小さな声で聞く。
「違う」
ヴォルグが。
窓の外を見る。
「人も選んだ」
「そこで働く人間を」
「使い潰す方を選んだ」
◇◇◇
十年前。
西の坑道で。
大きな崩落が起きた。
坑道の奥に。
何十人もの鉱夫が。
取り残された。
入口付近では。
声が聞こえた。
岩を叩く音も。
何日も続いた。
「救助は?」
「しようとした」
ヴォルグの声が。
低くなる。
「だが」
「さらに崩れる危険があった」
「王都から来た役人は」
「救助を止めた」
「坑道を閉じれば」
「他の採掘区画は守れる」
「そう言った」
「中に」
「人がいたのに?」
「ああ」
馬車の中が。
静かになった。
車輪が。
雪を踏む音だけが。
続く。
「坑道は」
「閉じられた」
「人が」
「残ったままじゃ」
◇◇◇
坑道の前には。
家族が集まった。
岩の向こうから聞こえる音を。
聞いていた。
それでも。
入口は開かれなかった。
やがて。
音は。
一つずつ消えた。
「その夜からじゃ」
ヴォルグが言う。
「西の坑道で」
「ゴブリンを見た者が出た」
「閉じた坑道の中から?」
「ああ」
「最初は」
「一匹だった」
「次は」
「三匹」
「その次は」
「十匹」
町の兵が。
何度も討伐した。
坑道の入口も。
さらに厚く塞いだ。
それでも。
ゴブリンは。
別の裂け目から現れた。
森からも。
山の斜面からも。
現れるようになった。
「その時」
「わしは」
「家族を失った」
ヴォルグは。
それ以上。
誰を失ったのか。
言わなかった。
ミリアも。
聞かなかった。
◇◇◇
「ゴブリンは」
「廃れた土地に湧く」
俺は言った。
「ノースは」
「金も仕事もあった」
「それでも」
「人は諦めていた」
「ああ」
「助けを求めても」
「誰も来ない」
「声を上げても」
「鉱石の方が大事にされる」
「逃げようにも」
「借金で逃げられない」
ヴォルグが。
拳を握る。
「ノースは」
「衰退していたのではない」
「繁栄の下へ」
「諦めを埋めていた」
閉じられた坑道と。
同じように。
◇◇◇
「だが」
俺は言った。
「それなら」
「なぜ今になって」
「大量に現れた」
「十年間」
「坑道は閉じられていたんだろう」
「わしにも」
「確かなことは分からん」
「ただ」
ヴォルグが。
窓の外を走る。
鉱石の荷馬車を見る。
「最近」
「王都から」
「納鉱量を増やせと言われた」
「新しい坑道を?」
「ああ」
「西の山を」
「さらに深く掘った」
「まさか」
ミリアが。
口元を押さえる。
「新しい坑道が」
「閉じた坑道へ」
「つながったのですか?」
「その可能性がある」
ヴォルグは。
短く答えた。
王都が。
ゴブリンを作ったわけではない。
だが。
王都が作った絶望が。
ゴブリンを生んだ。
そして。
王都が求めた鉱石が。
その巣の蓋を。
開けた。
◇◇◇
「領主さん」
ヴォルグが。
俺を見る。
「ノースのゴブリンを」
「討ってくれ」
「俺は」
「兵を連れてきていない」
「兵なら」
「ノースにおる」
「では」
「なぜ俺だ」
「ゴブリンを殺すだけなら」
「兵で足りる」
「だが」
「それでは」
「また湧く」
ヴォルグは。
俺から目を逸らさない。
「お前さんは」
「バルドを立て直した」
「町の者に」
「もう一度」
「明日を考えさせた」
「まだ」
「立て直したとは言えない」
「それでも」
「今年は」
「ゴブリンが来なくなった」
俺は。
答えなかった。
偶然かもしれない。
でも。
バルドで学んだことがある。
希望は。
誰かが一方的に配るものではない。
自分の手で未来を選べると。
一人一人が思えた時。
初めて生まれる。
もしゴブリンが。
絶望に湧くのだとしたら。
必要なのは。
討伐だけではない。
◇◇◇
「借りを返せと」
「言っているのか」
「違う」
「これは」
「仕事じゃ」
「仕事?」
「討伐だけではない」
「ノースで」
「何がゴブリンを生んでいるのか」
「見つけろ」
「その原因を」
「取り除け」
「できたなら」
「報酬を払う」
ミリアの顔が。
変わる。
「レオン様」
「返済資金です」
「まだ」
「金額を聞いていない」
「でも」
「少し黙れ」
「はい」
ヴォルグが。
小さく笑った。
だが。
すぐに。
表情を消す。
「それだけではない」
「何だ」
「ゴブリンを討ち」
「ノースの民を救ったなら」
ヴォルグは。
一度。
目を閉じた。
「わしは」
「お前さんの復讐に」
「協力する」
「復讐?」
「なんのことだ」
「王都への恨みがあるだろう」
「俺は」
「復讐をするつもりなどない」
「呼び方など」
「どうでもよい」
「ガルディアの背後を調べ」
「王都の不正を暴く」
「それを」
「わしは復讐と呼ぶ」
ヴォルグが。
ゆっくりと目を開く。
「わしの金」
「鉱山」
「人脈」
「王都との取引記録」
「すべてを」
「お前さんに貸す」
「条件は」
「一つ」
「ノースを救え」
◇◇◇
窓の向こうに。
高い城壁が見えた。
石造りの建物。
何本もの煙突。
鉱石を積んだ荷馬車。
バルドとは。
比べものにならない。
大きな町だった。
栄えているように。
見えた。
だが。
その背後にある山から。
黒い煙が。
立ち上っている。
「領主さん」
ヴォルグが言った。
「わしが潰したいのは」
「ゴブリンではない」
低い声が。
馬車の中へ響く。
「ゴブリンを」
「湧かせる国じゃ」
次の瞬間。
城壁の上で。
警鐘が鳴り始めた。
(第101話 繁栄の裏側)
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