桃姫、不安になる
「エン……エン」
次の朝、いつもは私が起きると同時に起きるエンが丸まってなかなか起きなかった。
どうやらとても眠いようだ。
つついてもムニャムニャと口を動かすだけ。どこか悪い様子もないので、そのまま寝かせてあげることにした。
この間に幻術藥を隠そう。
そう思って隠した戸棚に手を伸ばした。
「あれ……?」
瓶を動かした形跡が見られない。
こんなことばかり器用になられては困るな、と軽くため息をつく。
どうせ薬はもう残り三粒になっていた。
エンが勝手に使ってしまっても、それ以上は私が購入する以外に入手方法はない。
その晩、寝所にいくと、またもやエンが人型になっていた。
「タオヤオ、お話ししよう」
嬉しそうするエンの隣に座ると私は話をした。
「エン、あのね、貴方とおしゃべりできるのはあと二回なの、お薬はもう三粒だったでしょう?」
「……そう、そうだけど、なら、また買ってくればいいでしょう?」
「ダメよ。これ以上戦神様にご迷惑がかかることはできないわ。それもあって、私もあなたに話さないといけないことがあるの」
「話さないといけないこと?」
私は抱えていた事情をエンには正直に話すことにした。
「次の満月の日に本当の桃源郷の主が戻ってくるの。先の魔との戦いで生き残った桃の一族の族長の弟なのよ。天帝様が特別術を使ってくださって、瀕死の状態から救ってくださった。でもそれには千年の時間がかかって、ようやくその眠りから覚める。それまで私はここで桃を守っていたの」
「……じゃあ、帰ってきたらタオヤオはどうするの?」
「一緒に桃は育てさせてもらえると思うけれど……この屋敷からは出ることになると思う。でも、その時はエンも一緒だよ。昔住んでいた家も掃除をしてあるからいつでも戻れるし」
「ふうん」
困惑しているのかエンは心配そうだ。突然環境がかわると言われても驚くよね。
「名前はタオヘン(桃衡)様というの。私の父は三兄弟で、一番上が族長をしていたの。父は三男で次男に当たる伯父様よ。父たちと共に桃源郷を大きくした素晴らしい人なの」
「そっか……。じゃあ、戻ってくるのは心強いね」
「うん……でも今の桃源郷を見たらがっかりするんじゃないかな」
「どうして? 桃源郷は立派に守られているよ?」
エンはそう励ましてくれたけれど、それとこれは別の話だ。
「そうじゃなくて、私しか生き残っていないから……」
他の一族のみんなは亡くなってしまった。
あのとき……みんな……みんな……。
「タオヤオ……」
「私だけ……生き残った……私だけ……。お父様もお母様も……私を守って……」
魔に殺された。
気持が溢れてきて、涙の粒が落ちる。
泣いたってどうにもならないのはもう、とうにわかっているのに。
そんな私をエンは優しく抱き寄せてくれた。
「タオヤオはよくやってる……貴方はご両親の宝物なんだよ」
「ど……して……」
私を壺の中に隠して蓋をする前にお母様が言った言葉だった。
エンも誰も知るわけもない。
戻ってきた伯父様は私を見て……どう思うだろうか。
伯父様に桃源郷を少しでもいい状態で渡したくて、桃の手入れをなによりも優先させてきた。
そうしないと、気持ちを保てなかったからだ。
みんな、みんな……少なくとも私よりも立派な人たちだ。
なのに、私だけが生き残った。
寂しくて……。
悲しくて……。
「大丈夫……側にいるから」
「エン……」
暗い壺の中の感覚は残っていても、助け出された時の記憶はない。
それほどその時見た光景を思い出したくないのかもしれない。
あの時の戦いで、魔を祓って仙界を守ってくださったのが戦神様だ。
当時、桃源郷だけでなく、仙界はあらゆる場所が壊滅状態だったらしい。
後から聞いた話だと、天帝様を守られた後、傷を負われたままその足で桃源郷まで駆けつけてくださったそうだ。
伯父様が瀕死の状態でも助かったのは戦神様のおかげである。
じっとエンを見る。
この時ばかりは戦神様とエンを重ねた。
「ありがと……ございます……」
千年後に伯父様が目を覚ますことだけ考えて、桃源郷を桃の精霊たちと復興させてきた。
やっと会えると嬉しい気持ちと……不安な気持ちがせめぎ合う。
「タオヤオ……側に居るから、お眠り……」
頭を撫でてくれるその手の温かさが、私の救いとなっていた。
***
「こんにちは、タオヤオ。これはお裾分けです」
昼間にジンさんがそう言って幻術薬を持ってきた。
目の前に差し出されて反射的に受け取ってしまう。
「え……あ、あの」
せっかくあと二粒で辞めようと思っていたのに、気持ちが揺れてしまう。
それだけ不安定になっていた心がエンとのおしゃべりで癒されていた。
でもこの術薬……すごく高価なのに。
あんな小さな瓶でも支払うのがやっとだったから、一番大きな瓶……払えそうにない。
私がワタワタしていると、ジンさんが笑った。
「お代などいりませんよ。他の薬をたくさん買ったらおまけがついてきたのがそれです。気にしないでください」
「……おまけ……」
「いろいろと術薬が必要でね。ですからどうぞ、お気になさらず」
炎煌宮ならたくさんの術薬を買ってもおかしくない……。
本当は……本当はエンとのおしゃべりが心の支えだったのだし……。
「あ、ありがとうございます」
もらってしまおう……と勢いよく頭を下げた。
ジンさんはそんな私の頭を軽く撫でた。
え……。
こ、こんなことをする人だったっけ……。
とても自然過ぎてなにも言えない。
「あまり顔色がよくありませんね。私でよければ話し相手になりますが……」
「そ、そ、そんな、滅相もない」
私が断るとジンさんは少しがっかりしている。
「やはり……お面があっても緊張しますか」
「ご、ごめんなさい……」
いくらジンと名のっても、戦神様なのだ。気軽に話し相手になどできない。
「では、やはり、エンとおしゃべりするのがいいでしょう」
また本人から許可を貰ってしまった……。
正直言って、伯父様が戻ってくると考えただけで、様々なことが頭を巡って胃が痛い。
朧げに燃えた桃源郷を思い出してしまって、不安がよぎるのだ。
「ありがとう……ございます」
お礼を言うと口元が緩んで、ジンさんがほほ笑んでいるのが分かった。
申し訳ないけれど、お姿を貸してもらおう……。
今の状態で、とてもエン無しでは眠れる気がしなかった。




