桃姫、天都に行く
「いいものを買ってくるから、お留守番していてね」
エンにおやつをあげてから、私は身なりを整えた。
外出は滅多にしない。
桃の一族は成人していないと桃源郷からは出られない。私が成人したのはここ数百年のこと。
大人でも長く外へ出ると肌がピリピリしたり、喉が痛くなってしまうのだ。
だから外出は天宮のある天都だけだし、長袖に、髪もまとめて頬かぶりをつける。
普段はお小遣いも少ないので買い物も最低限だ。
けれど、目的のある今日は巾着にちゃんと多めに神貨を入れておいた。
天都は人がたくさんいるから苦手。それでも目的のためなら頑張らないと。
桃源郷の清らかな空気と違い、神々が行来する街はきらびやかだけれど息苦しい。
私は弱くてすぐに倒れてしまうから、早く用事を済ませないと……。
「ぼさっとするなっ!」
「す、すみません……」
とはいえ、久しぶりの街に思うように歩けない。
ぶつからないように歩くので精いっぱいだ。
「ふう……もう少し先のはずなのだけれど」
地図を確認。思っていたより少し遠いようだ。
疲れてしまったので、仕方なく木陰で休憩をすることにした。
竹筒を出して水を飲んでから、持って来た饅頭を頬張る。
日差しのせいか、同じように休んでいる娘たちがたくさんいた。
「私はツァンフォン(蒼風)様がいいかな~優しそうだもの」
「ええ、そう? あちこちで女神に声をかけているって噂よ?」
「じゃあ、文神のモーラン(墨然)様は?」
「あれは……堅物すぎてどうかしら……」
聞こえてくる名前は今をときめく男神の名。
引きこもりの私でさえ聞いたことのある名前だ。
年頃の女神たちは楽しそうに会話を続けた。
「やっぱり、仙界一番の美男子は戦神の景炎様よね。天帝様にも特にかわいがられていらっしゃる。頼もしくて……あの佇まいだけで心臓が飛び出そうにドキドキしちゃう」
「お姿を見られた日は一日幸せだもの」
「でも、いかなる縁談にも首を縦にふらないらしいわよ?」
「あの方に見初められる女神がいるなら羨ましいわ~」
うっとりとした声で囁かれる戦神様はどこへ行っても注目の的のようだ。
彼は千年前の魔との戦で見事仙界を守った立役者である。
私にとって戦神様はときめくような存在ではなく、感謝しても仕切れない方だ。
伯父様と私の命……桃源郷が守られたのは戦神様のおかげだからだ。
幸い戦神様は仙桃を好まれるようで、一番のお得意様だ。どうやら武人は仙桃を食べると鍛錬が進むらしい。
私にできることは少ないが、美味しい仙桃を届けて少しでも恩を返したいと思っている。
「まあでも、高望みしても仕方がないわね。早くしないといい男神がいなくなっちゃう」
「成人したからお母様がうるさくてさぁ」
「うちも、うちも」
「でも、結婚するならやっぱり美男がいいわぁ~」
「そりゃあ、酷男よりは顔がいい方がいいけれど、私は裕福なのがいいな」
「どこに嫁ぐかで将来が決まるんだから、気合入れなきゃ……」
「顔、お金、家柄……、重要よ。少しでも条件がいい男神に嫁がないと」
嫁ぐ……。
結婚か。
私も成人したのだから、相手を探すべきなのだろうけれど……。
伯父様が戻ってきたら……考えないといけないのかな。
私の交友関係なんてないに等しいし……。
今は私ひとりで出荷していて、桃源郷を出入りできるのは天宮と戦神様のところの炎煌宮の許可された者だけだ。
人と会うのも数少ないのに、私なんかに縁談なんてとてもとても……。
でも……思い浮かぶ男神がひとりだけ……炎煌宮の従者だ。
彼は背がとても高くて……いつもパンダ(熊猫)のお面をつけている。
そのアンバランスさにも、もう慣れてしまった。
男神だというだけで縮こまる私に、ジッと待つ時間をくれる優しい神。
緊張して小さくなった私の声にも静かに耳を傾け、動作もいつもゆっくりだ。
桃の実がまだうまく作れなくて泣き言をいう私に、炎煌宮で買い上げてもらえるように交渉してくれたのも彼だ。
そして……寂しいと思っていた時、エンを融通してくれた。
ちょうど兄弟龍が手に入ったので代金は要らないと言われたが、龍は安くないと聞いた。だから私は貯めていたお小遣いのありったけを彼に渡した。
お小遣いの五百年分が飛んでいったけれど、エンにはそれだけの価値がある。
私の熱意に彼も最後には受け取ってくれ……。
あの時のやり取りを思い出すと自然と顔が緩む。
寡黙で余計なことは話さないけれど、誠実な神だと思う。
彼にも名前は聞けていない。
嫌っていないようだが、いつも彼が来ると桃の精たちは飛びのいて、遠巻きに見ている。……強そうだから怖いのかな。
炎煌宮で従者をしている、仙桃を取りに来る神。
仙桃を数十箱も素手で持ち帰る力持ち。
パンダ(熊猫)のお面だから、やっぱり熊猫族なのだろうか。
彼は仙桃を取りに来るときに、時々、珍しいお饅頭を持ってきてくれる。
先ほど食べたお饅頭もそうだ。
こないだは私がお返しに仙桃酒をこっそり渡すと喜んでくれた。
お面で顔の大半は隠れているのに、嬉しそうに細める瞳と、その下でそっと緩む口元……その部分だけでも十分すぎるほど魅力的だと思う。
――私は美男やお金持ちよりも、あんな穏やかな神がいいな……。
そう思っても、人と話すことだって苦手なのに男神と仲良くなんてできない。
それに私は桃源郷を守るので手一杯。
過去友人になろうと声をかけてくれた女神も幾人かいたけれども、総じてみんな、しばらくすると去っていった。
桃源郷を出るとすぐに気分が悪くなるし、会話も全然はずまない。
桃の世話で約束を破るし、こうやって街で遊ぶことすらまともにできないのだから当然だ。
「さあ、頑張って術薬を手に入れて、帰ろう」
元気が出る饅頭を口に詰め込んで、立ち上がると私はフワロウ(幻羽楼)を目指した。
地図を見ながら歩くと、フワロウと描かれた若草色の幕が静かに垂れているお店がある。
幕をくぐると店内の香草の匂いがそっと外へ流れ出していた。




