桃姫、護符を差し出す
「あの……」
「桃境宮ができるまではこちらに通います。最近人間界から魔が流れ込んできていますので、タオヤオは桃源郷を出ないようにしてくださいね」
「はい……その……魔が襲ってくるのですか?」
「千年前のようなことは絶対になりません。私が側にいますから」
「ええ……それは頼もしいのですが……あの、もう下ろしてもらえませんか……」
婚約者なのだからと私の部屋でくつろぐジンイェン様。
後ろから抱えながら私を膝に乗せると、耳元で話をするので、息がかかってビクビクとしてしまう。
心臓が口から出てしまいそうで堪えようがない。
「やっとの思いで婚約者になったというのに、目を合わせていただけないから、こうやって後ろで我慢しているのではないですか」
「でも……これでは幼子のようで恥ずかしいです」
「エンでいる時は平気だったのに?」
「あれは、ジンイェン様だと思っていなかったから……」
「見た目は同じなのですから、後は慣れてしまえばいいのですよ」
簡単に言ってのけたジンイェン様は私を膝から下ろそうとはしなかった。
たしかにエンにはさせていたこと。
けれど、今となっては勝手が違う。
それに、戦神様がこんなことをするなんて思ってもみなかったのだ。
ジンイェン様の手が私の手を捕まえて、絡めてくる。
なんだかそれがとてもいけないことをしているように思えて落ち着かなかった。
「ジンイェン様」
「なんだい?」
「私たちって婚約しましたが、恋人になるのですか?」
私の質問にジンイェン様が息をのんだのがわかった。
あれからタオヘン伯父様に結婚の許しを貰って、婚約をかわした。
しかし婚約者という立場をどうとらえていいかわからないのだ。
「タオヤオにとって恋人とはどんな存在ですか?」
逆に質問を返されてしまう。
うーんと考えた私は思っていたことを答えた。
「……愛を語り合ったり……抱きしめたり?」
絡んでいたジンイェン様の指がキュッと締まる。
首筋に湿り気を感じて、顔が熱い。
「ジンイェン様……」
躊躇いがちに振り返ると、唇が重なった。
……ジンイェン様を好きな気持ちが大きくなって、困ってしまう。
そんな甘い毎日を過ごしていると、とうとう人間界から溢れた魔が仙界に達してきたと知らせを受けた。
「私は魔を祓いに行ってきます。その間は他の者をやるので、桃源郷から出ないでください」
私に念を押してジンイェン様が戦に出ていく。
「ご無事をお祈りします。あの……これを」
ようやく渡すときが来て、私は手環の護符をジンイェン様に差し出した。
「これは、タオヤオが編んだのですか?」
「はい……貰っていただけると嬉しいです」
さっそく手首につけたジンイェン様。よかった、よく似合っている。
「嬉しくて、どう表現していいかわかりません。ありがとう、タオヤオ」
ガバリとまた抱きしめられてワタワタしてしまう。
「護符がジンイェン様を守ってくださいますように」
口にするとさらにぎゅっと抱きしめられてしまった。
それから頼もしいジンイェン様の姿を見送った。リエフォンにも尋ねたが、今回の魔を祓う案件は難しいものではないようだった。
そうしてジンイェン様と入れ替わりに来たのは、私の見知った顔だった。
「ジンイェン様の留守の間、桃源郷をお守りいたします」
「貴方は……天宮の侍女の……」
「シュアンラン(霜蘭)と申します。そういえば自己紹介をしておりませんでしたね。天宮の北衛軍の副将を拝命しております」
名前を聞きたいとずっと思っていた人……けれど、聞かなくてよかった。その名なら聞いたことがある……“天宮の白雪”と呼ばれるジンイェン様の婚約者候補だった女性である。
しかし、彼女を前にして驚いていたのは私だけではなかった。
「シ……シュアンラン。まさか、どうして……」
伯父様が食い入るように彼女を見ていた。
そんな伯父様に彼女は泣きそうな顔で笑う。そのままぐっと距離を縮めた彼女は伯父の腕を掴んだ。
「お久しぶりです、タオヘン様。どんなに……どんなに心配したか。千年の間……私がどんなにこの日を待ちわびたか貴方は知らないでしょう」
そして、そのまま伯父様に抱き着いてワンワンと泣き出してしまった。
伯父様はどうしていいかわからないようで、彼女の背中でその手がさまよっていた。
ただならぬ二人の雰囲気に私は息をのんだ。
「あの……シュアンラン様はもしかして伯父様が目覚めるのを待っていたのですか?」
ずばり聞くとそれに頷き、シュアンラン様は答えてくれた。
「その昔、結婚の約束をしていたのですが、我が霜家に反対され、別れたのです。けれど、そのあとすぐに仙界が魔に襲われ、桃源郷が焼き払われました。タオヘン様がこんなことになるなら……離れるのではなかったと、どんなに後悔したことか」
ポロポロと涙がこぼれるシュアンラン様に伯父様はタジタジだった。
「心配してくれたのは嬉しいが……」
「貴方がこの世から居なくなったらと想像するだけで、生きた心地がしませんでした。この千年、私はがむしゃらに頑張ってきました。それこそ、自分の婿を自分で選び取ることが許されるくらいに」
「千年……ずっと想って……」
シュアンラン様はそれ以上なにも言わなかった。伯父様は目を白黒させていた。




