桃姫、胸を痛める
「おはようございます、伯父様」
朝餉の用意をしていると、伯父様が席に着いた。
なんとなく、後ろめたい気がして私は目を合わせることができない。
伯父様は口を開くとすべてを見透かしたように話し出した。
「昨日のことなんだが、ヤオヤオはジンイェン様と友達なのか?」
「え、ええと……」
口づけをしてしまったのだから、もしかしたら恋人になったのかもしれない。
そう……。
口づけしたのだ!
でも、ジンイェン様に確かめたわけではないので答えられなかった。
伯父様は見定めるようにこちらを窺っていた。
「ジンイェン様とは身分も違う。友達など恐れ多いのだよ?」
「そ、そうです……ね」
「それに、年頃の男女なのだから変な噂が立ってはならない。あちらが許してもあまり親し気にしていると、ヤオヤオを悪く言う人も出てくるだろう」
その言葉にふわふわと幸せだった気持ちが一気に冷えてしまった。
わかっていたことなのに、改めて言われると辛かった。
きっと伯父様も言いにくかったのだろう。それでも私を想って言ってくれているのだ。
友達でもこれなのに……恋人だなんて言ったら、卒倒してしまいそう。
迂闊なことは言えないから、ジンイェン様とのことはちゃんと確かめてから伯父様に話したほうがよさそうだ。
「その簪は……ジンイェン様からの贈りものかい?」
私が頷くと伯父様は涙ぐんでいた。
「街に行っておいで、ヤオヤオ。たくさん、娘らしいものを買ってきなさい。着物や美容液をそろえてもいい。気を使ってやれなくてすまなかった。お前はずっと……桃源郷にその身を捧げてくれていたのだから」
それから伯父様にたくさん神貨を持たされて、街に送り出された。
伯父様はああ言ってくれていたけれど、着物や美容液はすでにジンイェン様から贈られていたので必要ない。
どうやら伯父様は私がずっと桃源郷にひとりでいたことにとても負い目があるようだった。
「伯父様だって、回復しようとひとりで頑張っていたのに。……なにか買って帰らないと伯父様が悲しくなってしまうかしら」
口紅……も、特につけていくところもないし。
櫛……はお母様のがあるし。
しばらく神貨の入った巾着を握りながらウロウロしていると、市場の外れに来てしまった。
ふと、裏路地に目が行くと一組の男女が激しく口づけを交わしている。
――あわわわわわっ!
見てはいけないと後ずさりする。
「じゃあね~」
声が聞こえて女性のほうだけ出てくる。明るいところで見ると、濃い化粧を施していた。
衝撃を受けて思わず目で追ってしまう。
彼女はそのまま通りのほうにいくと別の男性の腕に絡んでいた。
「え」
さっきそっちで、別の男性と濃厚な口づけを……。
でも、今はこっちで親密そうに……。
どちらが恋人なの……??
口づけしたら恋人ってことではないの……? とても自然で楽しそうだった。
都会ってすごい……。
結局、自分のも欲しいものが浮かばず……伯父様の好物の干し物を買えば、用事もなくなってしまった。
とにかくもう帰ろうかと思っていると市場の奥で宝玉を並べている露店があった。
「世にも珍しい、宝玉だよ」
立ち止まったのは、ジンイェン様の瞳の色に似た宝玉に目が着いたからだ。
「お嬢さん、それが気になるのかい? お目が高い。それは流れ星を閉じ込めて作った玉で星焔珠というんだ。それなりの値段だが価値は保証するよ」
手に取ってみると、金色の中に赤金の光が糸のように走っている。炎の揺らぎにも見えるそれはまさにジンイェン様の瞳のよう。
「綺麗……」
「結び飾りに使って手環の護符なんか作っても贈り物に喜ばれる」
店主の言葉にパッとジンイェン様の姿が浮かぶ。思わずそれを胸に当てて買う意思を示した。
「ははは。お嬢さんの恋人はそんなに想われて果報者だね」
そんなふうに言われて、私は宝玉と組紐の代金を支払った。
これで手環を作ったら……ジンイェン様はつけて下さるだろうか。
そんな想像をするだけで、私の胸はいっぱいになった。
「わ、私の好物を買ってくるなんて! ヤオヤオ~!」
桃源郷に戻って干しものを夕飯に出すと、伯父様が涙を流して喜んでいた。
さらに小遣いをもらって困ってしまう。
その日から私は夜に部屋で手環を編むことに集中した。
けれど、あれほど足しげく通ってくれたジンイェン様が屋敷に顔を見せなくなって……。
手環を完成させても、渡すことができないでいた。
伯父様の許しをもらって、恋人になるのだとてっきり思っていた……。
仙桃もリエフォンが取りに来るし、ジンイェン様の様子を聞いても「しばらくお待ちください」としか答えてくれなかった。
リエフォンの困った様子に不安がよぎる――もしかして、私のことが嫌になったのだろうか。
路地裏で見た男女を思い出す。
口づけしたら特別だって……思っていたのは私だけなのかも。
やはりジンイェン様が私を恋人にするなんて、おかしなことだったのかもしれない。
「ヤオヤオ、どうした? 元気がないな」
私の落ち込みように伯父様が心配する。私はついつい不安を言葉にしてしまった。
「ジンイェン様が最近現れないなって……」
それを聞いた伯父様は眉間に皺を寄せた。改めて見ると伯父様も元気がない。
「ヤオヤオの耳に入れていいかどうか迷ったのだが、どうやらジンイェン様は請婚礼を天帝様に申し出たそうだ」
「請婚礼?」
「天帝様に妻を娶る許可をもらう儀式だよ」
まさか。
ジンイェン様は私と結婚するつもりで?
いや、でも伯父様の許可をとって恋人にもなっていいないのに一足飛びに婚姻なんておかしい。
好きだと確認し合っただけで、そんな話は出ていないのだし……。
考え込んだ私に続いた伯父様の言葉は残酷なものだった。
「天宮の北衛軍の副将であるシュアンラン(霜蘭)様も請婚礼を申し出ている。二人はようやく成婚するのだろう」
「えっ……」
驚いて声を上げると、伯父様は悲しそうに微笑んだ。
「千年前に既に秘密裏に話があったのだよ。戦神であるジンイェン様と天宮の北衛軍の副将のシュアンラン様は家の結びつきも厚い」
自分の指が冷えるのがわかった。でも……ジンイェン様は……。
私の表情を見て伯父様はちいさく溜息をついた。
「壊滅状態だった桃源郷を見てジンイェン様は胸を痛められ、ひとり残ったヤオヤオを気にかけてくださったのだろう。お前と友達とまで言ってくださったのだ……けれど、勘違いしてはいけないよ。身分の差が縮まるわけもなく、かわいがってくださったからといって思い上がってはいけない」
「でも……私のことをかわいいと……」
……好きだと言ったのだ。
縋るようにでた言葉に伯父様は辛そうに笑った。
「ヤオヤオは……かわいいさ。ジンイェン様は素敵な方だから憧れる気持ちはわかる。しかし、これ以上は期待しないほうがいい」
きっぱりと言われて息が詰まった。
では、あの口づけは……。用意するという言葉は? そう口に出そうになる。
伯父様は少し考えてから、ポツリと告白した。
「実は、お相手のシュアンラン様と私は恋仲だったことがあったのだ」
「えっ」
「シュアンラン様は武家「霜家」の長女。桃の一族は桃源郷を出ては暮らせない。一度はここへ嫁ぐと言ってくれたが猛反対にあってね。お別れしたんだよ。霜家が望んでいた嫁ぎ先が戦神ジンイェン様のところだ。諦めてほしいから、と秘密で教えてもらったんだよ」
私は伯父様と顔を見合わせた。
それでは互いに横恋慕していたことになる。
「もしも、ジンイェン様がヤオヤオを嫁に欲しいと言ったとして、過去、嫁いで桃源郷を出て行った娘は、離縁されてやせ細って戻ってきた。外に出なかった者は自然と相手が来なくなった。私は大切なヤオヤオを不幸にしたくない」
伯父様の言うことももっともだ。
一時的に魅力的に見えたとしても、桃の一族は桃源郷を離れられない弱い一族。
現に今……。ジンイェン様が来なければ、それだけで縁が切れてしまう関係だ。
どういうつもりだったのかと……問いただそうにもジンイェン様が住む炎煌宮は岩山の上にあり、霊力の少ない私ではたどり着けそうにない。
改めて思うとぎゅっと膝にあった手を握った。
「生まれた時から土俵が違う相手というのはあるのだよ」
父を含む三兄弟で結婚していないのはタオヘン伯父様だけだった。
かつて相手の家に反対されて、結婚できなかったと聞いたことはあるが、まさかそのお相手がジンイェン様の妻候補とは。
こんな自分の身を切るような話が嘘の訳がない。
「……部屋に……戻ります」
よろよろと自室に戻ろうと立ち上がった。
伯父様に泣いている顔を見せたくなかった。
寝室で布団にくるまっていると、その上から声が聞こえた。
「タオヤオ……泣いてるの? どこか痛い?」
顔をのぞかせるとそこには人型になったエンがいた。こうしてよく見ると瞳の揺らめきが違う。
「……心が痛いの」
「どうして?」
「ジンイェン様が好きで悲しいの」
「変なの。好きなら嬉しいんじゃないの?」
事情が分からないエンは首を傾げる。
ジンイェン様と結婚することまでは考えていなかった。
ただ、側に居たかった。
大好きでたまらないのだ。
でも……私は伯父様と桃源郷を守っていかなければならないから。
桃源郷を離れることはできない。
――亡くなった桃の一族のためにも。
伯父様が言っていることはもっともなのだ。
「私もそう思っていたけれど……好きだけでは側にいられないみたい」
この先、ジンイェン様以外の誰かを好きになるなんて想像がつかない。
でも。
完成した手環……それを渡す日なんてこないのだ。
「ふうん。僕は大好きなタオヤオとずっと一緒にいるけどね」
無邪気に言うエンにジンイェン様を重ねてしまう。
いっそジンイェン様がエンだったらよかったのに。
そんなことを願ってしまう自分がいた。




