桃姫、舞う
小川の水音を聞いているとジンさんが懐から貝を出してきた。
「どうぞ」
ポトリと手元に落とされると、袖を引き上げていた手を出すしかなかった。
ちょうど手のひらに収まるくらいの貝。
ジッと見つめていると、ヒョイと私の手から引き揚げたそれをジンさんが二つに開けて、もう一度私の手のひらに乗せた。
どうやら中に軟膏が入っていたようだ。
「これは?」
「天宮で評判の美容軟膏らしいですよ」
くんくんと匂うと、桃ではない花の香りがした。高貴で素敵な香り。
躊躇しているとジンさんが指に少し掬い取って私の指にそれをつけた。
「どうですか?」
勧められて慌てて膝に貝を置くと、指にのる軟膏をこすって広げてみる。
途端にふわりと香りが鼻をくすぐった。
「あ……」
どうやら肌荒れにもよかったようで、軟膏は手に馴染んでいった。
しばらくうっとりして……ハッと気がついた。
「も、もらってばかりで返せるものがありません」
小さく言うと、ジンさんは笑った。
「命の恩人に返せるものを私だって持ち合わせていないのですよ。天の黄金を頂いていなければ私は毒が回って死んでいたでしょう。作り手であるあなたに感謝しかありません」
「私はただ……管理をしている……だけです」
それに命の恩人は特別な仙桃であって、私ではない。
首を傾げていると、ジンさんが先に見える巨木を見ながら話をしだした。
「桃源郷を守る桃の一族は他の神々のように術を使える霊力はないけれど、仙桃を作る能力が特化しているのです。貴方はそれを誇っていい。千年前、本当はひとりになった貴方を守る従者をつけたかったのですが、よそ者を入れると桃の精霊が怒るので無理でした」
「え……?」
「何度か天宮から派遣されてきた者がいたでしょう?」
言われて思い浮かべる。少しの間、天都の治療院でお世話になった後、桃源郷に戻った。
そういえばその時一緒に来てくれた者が数名いた。
桃の精霊が酷く騒いでいた気もする。
「てっきり天宮から派遣されて桃源郷の様子を窺いに来た神々だったのかと……」
「まさか……貴方は大切な桃の一族の姫君です。世話する者をつけたかったんです。しかし、みな桃の精霊に追い出されてしまいましたけれどね」
「姫だなんて……。それにてっきり、私が嫌われて帰ってしまったのかと」
桃の精霊たちが髪を引っ張ったり、着物の裾を踏んだり……。失礼なことを繰り返していたから。
「いえいえ。幸い貴方は勉学も怠らず、桃の世話もするのでタオヘンが戻るまで外から見守ることになったのです」
そこまで聞いて、いつもはまとわりついてくる桃の精たちがいないことに気づいた。
そういえばジンさんがいる時はこない。
「ジンさんは精霊たちに許されているのですか?」
「私は……その、怖がられているので」
よく見ると、桃の精霊たちが木の陰や葉の陰からこちらを窺っている。
その様子は心配しているようにも見えた。
「……タオヤオも私が怖いのでしょう?」
少し寂し気な声が聞こえる。
それに私は焦って否定した。
「わ、私は怖いんじゃなくて、その……あの……」
「いいのです。こうやって面越しは許してもらえているのですから」
「そ、そうではなくて……! あの……き、緊張するのです。だって、戦神様は、仙界一素敵な神様ですもの……」
消え入りそうな私の声を拾ったジンさんが私に確かめる。
「仙界一?」
「す、少なくとも、私が見た中で一番……」
「タオヤオの一番?」
「……そ、そうです」
そこでジンさんが黙ってしまった。
私はなんだか空気がいたたまれなくなって、もらった軟膏の入った貝殻を閉じた。
それからジンさんに立たせてもらって、丘の上の巨木を目指した。
とうとう巨木に着くと青々と葉が茂るのを下から見上げた。
「タオヤオ」
隣にきたジンさんに声をかけられて、目線を合わすと丘の上から桃源郷を見渡せる。
そこには桃色の花に彩られた景色が広がっていた。
誰かとこうやって見渡せるのが嬉しい。それが理解してくれる人なら……なおさら。
この木を見たいと誘ってくれたジンさん。
嬉しかったり、切なかったり……たくさんの気持ちをくれる。
「やっぱり、私、ジンさんにもらってばかりですね」
なのに、私は桃のお酒くらいしか返せない。
他にできることがあればいいのに。
しゅんとしているとジンさんがまた私の頭をポンポンと撫でた。
「タオヤオ、では、ここで舞を舞ってくれませんか? 桃の一族の舞は優雅で大好きなのです」
「あの……祭事の着物はすべて焼けてしまって……」
「タオヤオが踊るなら、服装なんて気にしません。扇子はこれを使ってください」
ジンさんが懐から出した扇子を受け取る。
「ふふ……ジンさんの懐は宝箱のようですね」
そんなことに気持ちが和らいで肩の力が抜けた。
実は踊るのは大好きで……桃の精たちとよく踊っている。
少なくとも両親には「舞姫になれるほど上手い」とおだてられていた。
「では、ジンさんの健康と益々のご活躍を願って」
少し開けた場所に立つとゆっくりと息を吐いて体制を整えた。
腕を伸ばして扇をひらくと、ほんのりとジンさんの香りがした。
ひらひらと扇を揺らしながら静かに足を運ぶ。大きく腕を回すと、遠目で見ていた桃の精たちが集まってきて一緒に舞い始める。
こんなことがお返しになるとは思えないけれど、ジンさんのために精一杯舞う。
健やかでいられますように。
怪我などしませんように。
扇子の開閉に合わせて風が舞い、桃の花ビラがまきあがる。
最期に扇を胸の前で閉じると、パチン、とその音があたりに響いた。
祈りは届いただろうか。
顔を上げるといつの間にかジンさんがお面を外して、私を見つめていた。
美しい炎のような瞳に囚われて体が動かない。
「感動しました。素晴らしい舞です。タオヤオは美しい……私の一番です」
伸びてきたその指が挿していた私の簪をシャラリと揺らした。
それだけのことなのに、どうしようもなく胸が苦しい。
褒めてもらえて嬉しい。
けれど、その誉め言葉は、今の私には過ぎたものだ。
桃の一族の姫だなんて、ものは言いようだ。
天都で自分がなんと言われていたのかは自分が一番よく知っている。
みすぼらしい恰好の力ない娘。いつもコソコソとしていると。
それなのに、一番だなんて、優しい方だ……。
毎日桃の木の手入れをして指も荒れている。
髪もパサパサ……。
戦神様に美しいと言われるところなどないのだ。
「戻りましょうか」
ポツリと言うと、戦神様はお面をつけてジンさんになってくれた。
帰り道はなんとなく無言になって。
出荷場で今日の仙桃を渡して、帰るジンさんの背中に頭を下げた。




