第14章 聖女の視線と新たな火種
謁見室を後にしたエレノアは、静かな廊下を歩いていた。
高い天井。
規則正しく並ぶ柱。
かつては“日常になるはずだった場所”。
だが今は違う。
ただの通過点。
その認識が、彼女の歩みに一切の迷いを与えなかった。
「……お見事でした」
背後から、柔らかな声がかかる。
エレノアは足を止め、ゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは――
セレスティア・ルクレール。
聖女。
純白の衣装を纏い、穏やかな微笑みを浮かべている。
だがその瞳には、明確な“観察”の色があった。
「ごきげんよう、聖女様」
エレノアは丁寧に一礼する。
礼儀は崩さない。
だが、距離も詰めない。
「先ほどのお話、少し聞かせていただきました」
セレスティアがゆっくりと歩み寄る。
足音は静か。
「とても興味深い考え方をお持ちですね」
柔らかい言葉。
だがその裏には、探る意図が透けて見える。
「光栄ですわ」
エレノアは微笑む。
「聖女様にそのように言っていただけるとは」
やんわりと返す。
互いに、本心は見せない。
「……楽しさが力になる、というお話」
セレスティアが言葉を続ける。
「確かに、理にかなっております」
一度、肯定する。
その上で――
「ですが、それはとても不安定なものでもあります」
視線が鋭くなる。
エレノアはその言葉を静かに受け止める。
(……なるほど)
単なる否定ではない。
“試している”。
「人の感情は移ろいやすいものです」
セレスティアは穏やかに語る。
「今日の“楽しい”が、明日も続くとは限らない」
「それに依存するのは、少々危ういのではありませんか?」
もっともな指摘。
論理としては正しい。
だが。
エレノアは小さく笑った。
「ええ、仰る通りですわね」
あっさりと認める。
セレスティアの目が、わずかに揺れる。
「ですが」
エレノアは続ける。
「だからこそ、価値があるのです」
その言葉に、空気が変わる。
「移ろうからこそ、人は求める」
「繰り返し、訪れたくなる」
「共有したくなる」
一つ一つ、静かに積み上げる。
「それが、流れになります」
そして。
「流れは、簡単には止まりません」
セレスティアはじっとエレノアを見つめる。
その瞳の奥で、何かが動く。
(……これは)
予想以上。
ただの流行ではない。
理解している。
構造を。
「……なるほど」
小さく頷く。
そして、ほんの少しだけ微笑みを深めた。
「やはり、無視できる存在ではありませんね」
その言葉には、明確な評価が含まれていた。
短い沈黙。
やがて、セレスティアが一歩引く。
「本日はありがとうございました」
形式的な挨拶。
だがその背後には、次を見据えた意思がある。
「またお話しできる機会を楽しみにしております」
そう言い残し、静かに去っていく。
エレノアはその背を見送りながら、ほんのわずかに目を細めた。
(……あの方)
単なる聖女ではない。
理解力。
観察力。
そして――
明確な意思。
「……油断はできませんわね」
小さく呟く。
だが、その声には緊張はない。
むしろ――
どこか楽しげですらあった。
屋敷へ戻る馬車の中。
ミレイユが堪えきれない様子で口を開く。
「お嬢様……あの場で、あのようにはっきりと」
「ええ」
エレノアは窓の外を見ながら答える。
「必要なことでしたもの」
その言葉に迷いはない。
「ですが……王太子殿下も聖女様も」
ミレイユは言葉を選ぶ。
「ただでは済まないのでは」
もっともな懸念。
エレノアはゆっくりと振り返る。
そして、微笑んだ。
「だからこそ、ですわ」
短く、しかし意味のある一言。
夜。
配信の時間。
いつもの席に座り、水晶に手を伸ばす。
だが今日は――
ほんの少しだけ、空気が違う。
(さて……どう見られていますかしら)
王城での出来事。
それはすでに、どこかで噂になっている可能性が高い。
「配信、開始」
光が灯る。
視聴者数:6000
「……」
一瞬だけ、言葉が止まる。
だがすぐに、表情を整える。
「ごきげんよう皆様。本日もお越しいただき、ありがとうございます」
いつも通りの挨拶。
だがコメントの勢いは、これまでとは明らかに違う。
『王城どうだった!?』
『会ったの?』
『結果は!?』
一斉に押し寄せる。
エレノアはそれを見つめ、ゆっくりと口を開く。
「ええ、本日――お会いしてまいりましたわ」
その一言で、空気が弾ける。
視聴者数:8000
「ですが」
少しだけ間を置く。
「結論から申し上げますと」
そして、微笑む。
「特に問題はございませんでしたわ」
さらりと流す。
だがその言い方が、逆に想像を掻き立てる。
コメントが爆発する。
『絶対なんかあっただろw』
『気になる』
『詳しく!』
視聴者数:9000
エレノアはくすっと笑う。
「皆様、少々お好きですわね」
軽くかわす。
「ですが、細かなやり取りはまたの機会に」
情報をコントロールする。
それもまた、配信者としての技術。
そのままゲームを始める。
だが、いつも以上にコメントの熱量が高い。
注目度。
期待。
そして――
“次に何が起こるのか”という興奮。
配信が終わる頃。
エレノアははっきりと感じていた。
王城での出来事は。
単なる一件では終わらない。
むしろ――
新たな火種。
そしてその火は、やがて大きなうねりとなって、世界を巻き込んでいく。




