有杜の世界
結論から言おう、
扉を開けるとそこは旅館だった。
細部まで見事なまでの彫り物で装飾された寺社仏閣のような古式を感じる。
先ほどまでドアノブを開いたようなポーズでアリスは、何も持っていない手を見て振り返る。
ドアの形を成していた扉は、今は襖へと変わっていた。
旅館の一室がキャラクリ部屋だったのだろう。従業員らしきNPCが忙しなく長く入り組んだ廊下を行き来している。
脳を読み取って世界は生成されると、マスターKは言っていた。自分の潜在意識ではこういった世界を望んでいたという事だろう。
てっきり、アリスイン・ワンダーランドって感じになると思っていたが、斜め左上を行って回り込んだといっても良いくらいに意外である。
キャラクリからやり直そうかとも考えたが、脳裏に世界大戦で裏を書けるのでは?とも思った。
世界大戦、10日毎に行われるらしいが、どのような戦いになるにしても、和風の世界観にアリスが居るのは、他の世界からやってきた別ユーザーやNPCとも思われ標的にされない可能性がある。
まあ、それを今考えても無駄だろうと、探索を始める。まずはNPCに話しかけてみるか。
「すみません」
自分の口から女性の声がして我に変える。
あ、ロールプレイしなきゃ。
「あ、え?おや、姫様?」
女中が信じられない物を見たような顔でフリーズした。
あ、もしかして男が来ると思ってたのに女がいて少し思考(演算)してラグった?
◇ ◇ ◇
フリーズした女中が元通りになるのを待っていると廊下の奥から見覚えのある顔がやってきた。
「ニア?」
そう、ゲーム開始前に説明を受けたアイロイド、ニアである。
今は灰黒地に金の装飾が成された着物に身を包み、派手な磨かれた真鍮のような簪を髪に刺している。
ゆったりとした歩調ですり足移動してくる様は優雅ではあるのだが、人間味が感じられないその動作は軽くホラーである。
「有社様、現状把握のため端末にて有線接続させていただきました。世界構築後、有社様の普段の言動から、親方様や殿風のユーザーだとNPCに判断されたようです。情報共有と共に、世界の修復に参りました」
「世界自体を変えるって事は出来ないのかな?」
「有社様の望んだ形がこの世界ですので、不可能かと、アルファテスト中はこのままになるものと思われます」
なるほど、まあ、この情報はもう送信済だろうし、正式サービス時には改善されるって事かな。
「で?情報共有のためって、何かあった?」
「はい、プレイ中に申し訳ありませんが、来客がありました。」
そう淡々と答えると右手から廊下の壁に向けて映像が映し出される。ナニソレ、ミギテニ プロジェクター デモ ナイゾウ サレテルノ?
映し出されたのはインターホンのカメラのようだ。背景には、宅配を受け取る際によく見る家の玄関先の風景が、また、よく知る人物も映っていた。
「おにぃ、寝てるのかな?」
「いえ、兄さんの事ですし、流石に起きているかと」
まさかなー、と実家からの急な来訪者に現実逃避をし、ニアに伝える。
「もうちょい世界を探索したいから、少し寝たフリをしても良いかな?」
「わかりました、10分程度であれば、通い妻という形で時間を稼ぐ事が可能です」
「ちょっと待って、通い妻はやめてね。」
「では、仕事仲間という体裁で」
「うん、それで」
まあ、旅館の外を確認するだけだし、そんなに時間は要らないだろう。
どちらかといえば、意識を覚醒させてから身だしなみを整える時間が欲しいといった感じだ。
この旅館、エレベーターは無いようで、急傾斜の階段を降りて移動する。通りかかる従業員達は皆大袈裟な礼をしてくるため、なんだか罪悪感が半端ない。
一階に降りると塀に囲まれた庭園が面した縁側から確認できた。
玄関から出る際には自然と靴が現れ、ゲームの中にいるという実感を再認識する。
「ああ、懐かしい」
外に出た。
それで納得した。
そこは自分がいた場所だった。
◇ ◇ ◇
長野県のとある町。その町は長い川に近い温泉街だった。カラッと空気の乾いた殺風景の山肌に、春は桜の咲く子どもたちの遊び場がある。夏は温泉街のお祭りが3つもあり、花火を見る客でにぎわった。秋は林檎などの作物が実り、冬は土手でソリを楽しんだ。風景から思い出すだけで幾つもの記憶がよみがえり、生まれ育った場所であるという安心感に埋没しそうになる。
俺が16歳のとき、両親の離婚が成立し、まだ何も分からなかった当時を振り返ると、家族の仲も決して悪くなく、本当に何で離婚なんてしたのかと思う。オヤジの実家がその町の山手にあって、ちょうどこんな風景だった。ぶっきらぼうだけど、真面目なオヤジは口数少なかったけど、関係は悪くなかったと思う。親権は母さんが持っていたから、俺と歳の離れた妹は母さんと一緒に町を離れた。
母さんの実家が石川県にあるという事で俺はそっちの高校に入ったが、長野でケンカ別れした親友の事は忘れられないし、言葉の違いであまり馴染めなかった。甲信越と関西ではイントネーションが違ったから、慣れるまで時間がかかった。
母さんが再婚したそうにしていたので、協力した。相手は母さんの同級生らしい。母さんの知らない所でこっそりと今の父さんとカレーを食べに行った。母さんが父さんの事を好きなのを伝えて、遠慮しているから父さんの方からプロポーズしてくれと頼んだ。だからなのか、父さんは俺にべらぼうに甘い。
二人の再婚後、お互いの子どもたちの顔合わせもあり、妹達は共通の話題で打ち解けたようだった。
その後、イチャラブカップルを邪魔したくなかった俺達3人はそれぞれ理由を付けて東京に出てきたのである。3人で生活するという選択肢もあったが、それは流石に気が引ける。そこで妹達は千葉県の女学院の学生寮に入れ、俺だけが都内に残る事にした。学費や物件費用は父さんが出してくれた。
◇ ◇ ◇
そんな感じでブラック企業勤めで困窮した毎日に墜ちるまで、案外と楽しくやってきたのだが、まだ俺の気持ちは幼少期過ごした山里にあったということか…。
長い間、旅館の玄関前で風に当たっていた。移動も込みで10分経つかといったところ。
ログアウトしたいと念じると通話の際に出て来た窓と同じようにログアウトしますか?という確認が表示される。無意識に手を伸ばしたが、『はい』や『いいえ』は存在しない。ああ、これもか。
ログアウトします、と念じる。すると世界がゆっくりと暗転し、先程とは違う場所にいるのだと、肌に貼り付く空気が湿度と温度で教えてくる。
さて、こっちの状況はどうなっているか。
しばらく会っていなかった妹達に家政婦が今後の支障のないよう説明してくれてれば良いけど。
このとき有杜は知らなかった。
10分という時間は人とAIにとって、説明や状況、コミュニケーションの齟齬を生むのに充分であるという事を。




