第八話 side 菊鞠
病室の前で私は座り込む。
マジックミラー越しに見える息子は処置を終えたのかピクリとも動くことなく眠っている。
なぜ眠っているのが分かったのかと言うと、バイタルが正常に波打っているからだ。
「…」
ここからだった。
最近は私にとって順調に物事が進んでいた。鞠が生まれる前に申請していた住民再登録と補助金の申請。この二つが1年半越しに通り、やっとこれからの暮らしに希望が生まれてきた時だった。
そんな時に鞠の異常。幸せからの不幸。もう私は心身ともにやられかけていた。
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私の生まれはR43番区と言うそこそこいい生まれだった。両親がスサノオ部隊に所属している事もあって、お金には一切困る事が無かった。
そんな私に不幸が起きた。
天使が出現してから例を見ない程の天使の大攻勢によって両親ともに他界してしまったのだ。
天使出現時の時は、この都市に入れる人間は満40歳未満と言う制限があった。
そんなんだから両親以外に親族が居ない。私は誰にも頼れなくて、絶望した。家に引きこもり、まだ子供が一人で思考を巡らせていると、どんどん過激な事が思いつく。
そして、私は衝動に任せてこの都市から飛び出した。
外の世界にはまだ人間が住んでいた。正確に言うならば都市に入れなかった人が住んでいた。
その多くは老人であり、子供や青年は少数だった。
私は何年か旅をした後、ある村にお世話になる事に決めた。あの、誰にも頼れなかった時の一人だった感覚が、この村に居たら無くなった気がしたからだ。
皆同じ苦しみを分かってくれると言うのは、心情的には何よりの救いになった。
何より一番救いになって、私が生きようと思えたのは夫と出会ってからだった。
それから時は経ち、私は妊娠した。
妊娠が発覚して私は大いに喜んだ。しかし、そんな幸せは直ぐに無くなってしまう。
夫が死んだのだ。こんな幸せな時、最悪の不幸。
夫が死んでしまったのは悲しいが、私はお腹の子を守らなければならない。ここに居てはこの子まで死んでしまう。それだけは許容できなかった。
私は三日ほどかけて村から大和都市に帰ってきた。
私は唯一持っていた身分証明書を手に検問所へと向かったが、結果はダメだった。
身分証明書の失効期限は3年。行方不明になってから3年経つと失効されてしまう。
絶望だった。唯一の頼りの綱が目の前で切れた音がはっきり聞こえた。でも、それでも私はこの子の為に諦める訳にはいかない。
私は何とかD番区に潜り込めた。D番区自体居住用には作られていない区画である。故に身分証明が出来なくても何とか入れた。
そして、私はD番区で出産した。
出産は無事に終わり、元気な赤ちゃんが生まれた。正直元気に生まれてくるか分からなかった私からしてみれば嬉しくて涙があふれ出た。
出産が終わったが、私の戦いはまだ続いた。
子供を育てていくにはお金がかかる。身分が証明できれば補助金を受け取れるのだが、今は再発行中だ。
もしも、再発行が出来なかった時の事まで考えなければいけない。
幸い私は高度な教育を受けてきたことで直ぐに職が見つかった。
生まれてきた子はおとなしく、手は余りかからなかった。それでも、育児と仕事の両立は大変だった。
それを同じ子持ちの友達に話したら何とも羨ましがられた。私自体初めての育児で普通がどの程度か分からなかったが、実際に友達の育児を見て自分の子の手のかからなさ具合がどれだけの物か知った。
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それから時は経ち、鞠が生まれてから1年半。
やっと、やっと身分の再登録が行われた。これは私にとっては転機だった。いや、この子にとっても転機だ。
危ないD番区から抜け出せるだけでは無く、R番区に行けば高度な教育を無料で受けさせられる。それ以外にも、沢山の補助金がもらえて生活も楽になる。
私は再発行された身分証明書を持って鞠と一緒にB番区へ行った。
そこで私は気づいた。この鞠の不思議さに。
これまでは仕事で忙しすぎて、ちゃんと鞠の事を見てあげられなかった。故に気付かなかったのだろう。
鞠は言語をしっかりと理解していた。最初は何かの偶然だろうと思っていたが、確かにこちらの言葉を理解して返事をしている。
普通ならば怖がるのかもしれないが、私はそんな事は無かった。生まれ自体が特殊なこの子ならこんな事もあり得るのではないかと考えたのだ。
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引っ越しも終わり、新たな生活が始まった。
鞠にちょっと高いお願いもされたりしたのだが、それは置いておこう。
新生活は私たちにとって順調だった。補助金で生活は楽になり、幼稚園に通わせる事で自分の時間もしっかりとれるようになった。仕事も週1、2回すれば十分に暮らしていける。人生は順調だった。
私がお買い物から帰ると、鞠がダイニングで立ち尽くしていた。
最初私は、何も気にせずに天使の灰の片づけを言った。昼食の準備に取り掛かっていると、鞠の様子が変なのに気が付いた。
「鞠、どうしたの?何かあった」
私が鞠に問いかけても、何も返事がない。それどころから瞳孔がキュっと縮まっていて、体がピクリとも動いていない。
何も言わずに立ち尽くす鞠に私は慌てた。
救急車を呼び、鞠が運ばれていく。何が起こったのか分からなくて、パニック状態にあるのが自分でも分かった。
ガラガラとタンカーで運ばれていく鞠を後に私は立ち尽くす事しかできなかった。
ただ、待っているだけの時間。その時間は幾日にも感じるほど長い。
そんな長い時間も、目の前の扉が開いたことで終わりを告げた。
「…!鞠は大丈夫なんですか?!」
白衣をきて出てきた医者に私は問うた。
医者は私を落ち着かせるようにゆっくりとした口調で返答をする。
「あなたはあの子供の母親ですね」
「はい」
「では少し話しましょうか」
医者は私を診察室の中へ通した。診察室にはいくつかの画像データが貼ってあったが、私には何が何のデータなのかが分からない。
「では、話しましょう。しっかりと落ち着いて聞いてください。まず、息子さんは身体的には大丈夫だと思われます」
「…身体的…確定では無いのですか」
「はい、未だ意識が目覚めてません。それまでは何とも言い難く」
医者の歯切れは悪かった。
「それと、こちらのデータを見てください」
医者が2枚の画像データを拡大表示させる。
「これは脳波を計測したものです。こっちのデータは普通の人の物で、こっちのデータは息子さんの物です」
「これは…」
「息子さんの脳波は異常に高い数値を出していました。普通ならば脳のシナプスが焼き入れてもおかしくない程の脳波です」
「っつ!」
「ま、待ってください!落ち着いて、落ち着いてください。まだ話は続いています」
「…すみません」
「気持ちは察せます。…では話を続けますね。普通ならば焼き入れるほどの数値ですが、息子さんの覚醒した超能力によって大丈夫だと思われます」
「超能力ですか?」
「はい。そうです。調査した結果、息子さんの発現した超能力は再生だと思われます。これは私の推測になるのですが、息子さんの超能力脳波はε(エプシロン)値にまで達していました。脳が焼き入れる度に修復を繰り返していたのだと思われます」
「…それは大丈夫なのですか?」
「超能力事態の研究はまだまだ発展途上です。しかし、再生の研究はそれなりに進んでおり、内容も分かっています。なぜ、この能力が修復と言われずに再生と言われているのか。それは、元通りに再生。文字通り再生させるから再生と言う名前がついているのです。実際に今の息子さんの脳波は正常な物へと戻っています」
「そうですか」
「息子さんは大丈夫だと思われます」
それを言われた瞬間に私は安心して、体から力が抜けた。椅子から倒れそうになる私を医者が支えてくれる。
「おっと、大丈夫ですか?」
「ええ、安心したら力が抜けて」
医者は分かってくれるのか、そうですよね、と同意して椅子に座り直させてくれた。
「お疲れなら、息子さんの隣のベットが空いています」
「何から何までありがとうございます」
それから、私は鞠が目覚めるまで隣で眠った。
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※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。




