第四十三話 討伐作戦その5
第四十三話
side 鞠
「え?」
今自分に起こっていることが分からない。なぜ僕の目の前に天使が居て、なぜ僕の胸にその天使の腕が刺さっているのか。
あまりの事に脳が麻痺していて苦しみはあるが、痛みは殆ど感じない。ただ、驚きと同様だけがあった。
天使に直接心臓を掴まれている感覚は初めて味わうが、決していいものではない。苦しくて息をするのもキツイが、体が酸素を求めて肺を大きく膨らませる。しかし、左肺が天使に貫かれており変な音が鳴る。
天使を見る視界の中に、ものすごい勢いで向かってくる正剛少将が見える。まだ距離の遠いい正剛少将の顔は見えないが、今どんな顔をしているのかは想像できる。きっと苦い顔か怒った顔に焦りを足した様な顔なのだろう。
『お前は、何者だ?』
先ほどと全く同じ質問を天使がしてくる。相変わらず脳に響いて気持ち悪い声だが、僕はその質問に答える気持ちになっていた。
最後の言葉になるであろう言葉を、自分を殺す天使に言いたくなったのかもしれない。
「そんなの分からないよ。ただ、言えるのは僕は僕で、何物でもあり、何者でもない。ただそんな一人の人間だよ」
『そうか』
そう天使が言った瞬間、心臓を握っていた腕に力を込めた。
グチャ、パン!と自分の心臓が破裂したのが客観的に分かる。一瞬強烈な痛みが走るが、次の瞬間には痛みは無くなっていた。
2度目の人生が、たったの5年と言う短期間で終わってしまった事を嘆くよりも、これから天国で母に会う顔が無い事の方が、もっと悩みごとだ。
何にもできなかった人生と、精一杯生きたが短命だった二度目の人生。
僕は断言できるだろう。一度目の人生よりも二度目の人生の方が楽しかったと。自分が出来る事を精一杯頑張って結果を出し、みんなから褒められる。
僕は知っている。人は死んだら何も残らない。それはイエス・キリストだろうが、チンギス・ハーンだろうが、アドルフ・ヒトラーだろうが変わらない。歴史上に名を残しても、自分と言う世界を観測する手段が無くなったら、何も残らないのと変わらない。
だから思うのだ。生きている内に、精一杯頑張って楽しもうと。歴史に名を残さなくてもいい。ただ、精一杯楽しんだら、それは歴史の上の人物よりも偉いのだ、と。
「ママ、ごめんね。あっちで待ってる。そして…正剛少将、いろいろありがとうございます」
「鞠!」
血相を変えた正剛少将がだらだらと汗をかきながら天使が付きあぶってきた穴から見えた。
心臓がつぶれた事によって、酸素が脳に回らなくなり意識が途絶えた。
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ここは、どこだろう。
ただただ白い空間とも黒い空間とも分からない場所に僕は居る。見えているのか見えていないのかすら全く分からない空間に僕は困惑してしまう。
ただ、そんな空間にも何かが見えた。空間が歪んているのかは定かでは無いが、夢の様に歪んで見える。
僕はその何かに吸い寄せられる様に歩き始めた。自分の意志とは関係なく動く足に僕は何故か驚くことは無かった。それは、僕も本能的にアチラに行きたいと思っていたからに違いない。
夢の様で何もない空間では距離感を掴むのが難しく、どれほど歩いたのかが分からない。近いとも遠いいとも感じる距離を僕は歩いていた。目の前に見えるのに全く距離が縮まる気がしない。どれほど進んだのかもわからない僕は、それでも足を止めることなく本能のままに進む。
そして、何分とも何時間とも感じる時の中歩いていた僕は遂にその何かにたどり着いた。
「これは……」
地面にポツリと置いてある何かは、金色の金属の筒の様に見えた。すこし弧を描くように曲がっており、細長い円錐形の様になっている。その金属の筒は幾重もの鎖が巻かれており、封印されている様に僕には見えた。
この何かは、これまでの人生で生で見た事は無いが、絵画や画像では何度か見た事のある。この黄金色の金属と筒、ラッパだ。現代では使われなくなって久しい形のラッパだが、絵画でよく見た事がある。
生で始めて見る形のラッパだが、一目ぼれするような芸術的美しさがそのラッパにはあった。絵画から飛び出してきた様なラッパに無意識で手が伸びる。
そして、僕の指先がラッパに触れた。
「っつ!」
瞬間、眩い閃光が辺りを白く染め上げる。あまりの光に目を開けていられない。いくばくかの時間閃光に耐えていると、瞼の裏から感じる光が無くなった。
恐る恐る瞳を開けてみると、そこにあったはずのラッパがきれいさっぱり無くなっていた。
鎖だけがその場に残っている現状に僕は慌てて周囲を見る。何か悪い事をしてしまったのかと思い、ラッパを探すと…。
「へ?」
僕の胸、心臓があるであろう部分にラッパが突き刺さっていた。
先ほどの天使に貫かれたデジャブを感じるが、先ほどとは違い痛みも苦しさも無い。それどころか変な充実感をこの身は感じていた。
その感覚の一番近い所で言えば、埋まった、だろうか。今まで何かなかったピースが突然見つかった。そんな感覚と言えば分かるだろうか。
「あれ?」
胸を見ると、さっきまで胸に刺さっていたラッパが無くなっていた。周囲をいくら探してもラッパは見当たらなかった。
「グゥフ!」
次の瞬間、突然の苦しみと共に咳がこみ上げてきた。僕は反射的に手で口元を塞ぐと、自分の手に液体が付着したのが感覚で分かった。
「何これ、血?」
明らかにおかしい量の血が自分の手についていた。どう考えても口内の傷からでは無い血に僕は慌ててしまう。しかし、そんな慌てた感情は次の瞬間には無くなってしまった。
「あっ」
体から力が抜ける。その倒れ方は、マリオネットの糸を全部切ったときの様だった。
指の一本も動かせない状況に状況を把握できなくて戸惑いを覚えていると、胸に微かな痛みを覚えた。
最初は勘違いで済ませられる痛みだったが、どんどんとその痛みが増して行った。
「っ!」
体が一切動かないから叫ぶこともできず、肺を動かすのですか痛くて億劫だ。
転げまわりたい衝動に駆られるが、一切力の入らない体では無理だった。
心臓からすべてが書き換わるかのような感じにぞわぞわと恐怖心を覚える。心臓から徐々に浸食されていく。
何が起こっているのか分からずにただ耐える恐怖心から情けなくも涙が出そうになる。
そして激しい痛みと何が起こっているのか分からない恐怖心に、ただただ耐える時間が続いた。
白い空間とも、黒い空間とも分からない空間では時間感覚など無い。一分にも、一時間にも、一日にも、一週間にも、一カ月にも、一年にも分からない空間でただただ痛みに耐えるのはとてつもない拷問であった。
しかし、そんな苦しみにも終わりが来る。徐々に痛みが引いていくと、ついには痛みが無くなった。
「おわった?」
もう、立ち上がる気力すらない僕は寝転がったまま手を見てみる。その目に映ったのは、ここ5年で慣れた子供の手だった。
何だったのだろう。この空間にあのラッパ。それに急な激痛。いろいろ気になる事はあるが、今は寝よう。
もうくたくたで体を動かそうとも思えない。僕がそっと目を閉じようとしたその瞬間、強烈な光が網膜を焼いた。
強烈な光に僕が慌てて目を開ける。突然真っ白に染まった世界で僕は浮遊感と共に目が醒めた。




