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まさかのさかな やりなおし  作者: 岩岸佐季
第一章 海王のしっぽ
12/16

患者

 たまに、どうしようもなく、不安になる。

 わしのしていることは、間違ってはおらんじゃろうか。

 ちゃんと、正しいことをしているか。余計なことをしていないか。手段と目的を、とりちがえていないか。

 わしは、道を見失ってはいないだろうか。


 ――ばかだねえ。


 と、奥さんは言う。


 ――あんたは、頭の出来は悪くないのに、いつも難しく考えすぎだよ。

 ――みんな、いつも喜んでいるだろう。あんたにありがとう、ありがとうって、普段から言ってくれてるじゃあないか。


 そう言って、こちらの顔に手を伸ばし、ほっぺたを軽くつねる。


 ――だからね、考え込んでいたって仕方ない。そんな辛そうな顔を、いつまでもしているんじゃないよ。



   ゅ゜



 ひどい有様じゃった。

《大牙》の子は、洞窟の中に倒れて、ぐったりとしておる。

 まず、体表がぼろぼろじゃ。

 そして、《大牙》が言う通り、おかしな模様が体中についておる。真っ白な、斑点模様。

 最後に、真っ暗なもやのようなものが、まるで締め上げるように、子の全身にまとわりついている。


「これは……ひどいのう」


 洞窟の中は、よどんでいた。

 排気ガスや、タバコの煙のような、臭くて、不純で、濁った水が溜まっている。


「《大牙》よ。息子さんがこうなってしまったのは、いつからだね」

「昨日だ。気づいたときには、もう、こんな風になってやがった」

「昨日。ふうむ」


 本当に昨日なのであれば、まだ望みはある。

 しかし、そんなに、あっというまに悪くなるものじゃろうか。

 わしの見立てでは、これは白点病じゃ。

《大牙》の子に、小さな寄生虫が寄生して、それが成長しきって、出てこようとしておるのじゃ。

 じゃが、わしの知る限りでは、白点病というのは1日でそれほど進む病ではないはず。

 寄生虫が、それほど早く成長した理由が、ほかにあるはずじゃ。

 それに、この巻き付いている黒いもやは一体……


「――考え込んでおっても仕方ないか。とにかく、できることから対応せんとのう」

「先生、息子は」

「うむ。かなり深刻な状態じゃ。ひとまず、体をきれいにしてやろう」


 魚になってしまった今、わしにできるのは、このくらいじゃ。

 ぼろぼろになった皮膚をやさしくついばみ、痛々しいかさぶたをきれいにしてやる。こうしてやることで、多少なりとも、魚たちは体がらくになるのじゃ。

 が、しかし……


「これは、いったい!? 先生!」

「わからん。わからんが……いかんのう」


 《大牙》の子を包んでいる、黒いもやのようなもの。

 招待の分からぬそれが、蠢くように体を這うと、わしがクリーニングをしたところが、少しずつ、またぼろぼろになってゆく。

 まるで、もやそのものが意思をもって《大牙》の息子を浸食しようとしておるかのようじゃ。


 ここでは、だめじゃ。

 この狭い空間では、いくらクリーニングをしても、このもやのせいで、患者を助けてやることはできん。


「《大牙》よ。まず、お子さんをここから出さねばならん」

「お、おれの縄張りの中じゃあ、ここが一番休ませておける場所なんだ」

「それでも、じゃ」


 わしが強く見つめると、やがて、《大牙》は根負けしたように頷いた。

 そして、その巨大な口で子を銜えると、やさしく巣穴から運び出す。


「体中にある傷は、お子さんが自分で岩や地面にこすりつけたせいじゃ。心配いらん」

「たしかに、息子は昨夜から痒そうにしていた」

「問題なのは、体中の模様じゃ。小さな、おぬしらの目にうつらんような虫が、お子さんの身体に入り込んで、からだの表面を食い破っておる」

「こ、これが全部、虫だっていうのか。いったい、どうしてそんなことに」


 そう。白点病は、寄生虫の病気。

 寄生虫は、海流が溜まっている場所では、その場にとどまり続ける。そして、同じ宿主に寄生して、際限なく増えていってしまう。

 引っ張り出した子供は、体中が傷だらけで、いたるところがボロボロじゃった。


「すまんが、白点病の虫は、取り除くのが難しいのじゃ」


 ほとんどの場合。

 わしや、えびさんや、ホンソメワケベラたちがクリーニングで食べるのは、魚の皮膚につく小さな寄生虫じゃ。

 逆に言えば、皮膚虫に寄生されるのは、海の日常茶飯事といえる。

 《大牙》にとっても、それは常識じゃろうし、虫の一匹や二匹であれば、身に覚えはあるじゃろう。


 じゃが、子どもの身体についている虫は、皮膚の内側まで潜り込んでしまっておる。

 無数についた、白いまだら模様。《大牙》がわしを慌てて呼びに来たのも、無理はない。

 寄生虫がつくと、とにかく痒くて、痛い。

 だから、これほど寄生されている子供が感じている痛みは、想像するにあまりある。


「しかし、まあ、いくら小さくても、虫には違いあるまい。ひとつずつ食って取り除いていけば、いつかは治る……のかもしれん。」

「そ、そうか! たのむ!」

「しかし、問題はそれだけではない。この黒い、もやのようなものを見よ。これがどうも、お子さんを蝕んでおるように見える」

「つまり、どうすりゃあいんだ」

「洞窟の外には出てきたが、ここも岩山の間にあって、水流が穏やかじゃ。もっと、海流の激しいところに、息子さんを運んでいかにゃあならん。もやが散ってしまって、息子さんに戻ってこられないような、流れの強いところに」


 わしは《大牙》を見る。

 《大牙》は、わしの言っている意味が分かったようで、驚愕の表情をしていた。


「そうじゃ。外敵から丸見えで、しかも逃げづらいところだ。お子さんをそこへ連れていき、そこでしばらく、わしがクリーニングをしてやらねばならん」


 そして、


「そのクリーニングの間、おぬしには、わしらを守ってもらわねばならん。……できるか?」


 《大牙》は、わしとゆっくり目を合わせた。

 そして、覚悟を決めたように、頷いた。


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