患者
たまに、どうしようもなく、不安になる。
わしのしていることは、間違ってはおらんじゃろうか。
ちゃんと、正しいことをしているか。余計なことをしていないか。手段と目的を、とりちがえていないか。
わしは、道を見失ってはいないだろうか。
――ばかだねえ。
と、奥さんは言う。
――あんたは、頭の出来は悪くないのに、いつも難しく考えすぎだよ。
――みんな、いつも喜んでいるだろう。あんたにありがとう、ありがとうって、普段から言ってくれてるじゃあないか。
そう言って、こちらの顔に手を伸ばし、ほっぺたを軽くつねる。
――だからね、考え込んでいたって仕方ない。そんな辛そうな顔を、いつまでもしているんじゃないよ。
ゅ゜
ひどい有様じゃった。
《大牙》の子は、洞窟の中に倒れて、ぐったりとしておる。
まず、体表がぼろぼろじゃ。
そして、《大牙》が言う通り、おかしな模様が体中についておる。真っ白な、斑点模様。
最後に、真っ暗なもやのようなものが、まるで締め上げるように、子の全身にまとわりついている。
「これは……ひどいのう」
洞窟の中は、よどんでいた。
排気ガスや、タバコの煙のような、臭くて、不純で、濁った水が溜まっている。
「《大牙》よ。息子さんがこうなってしまったのは、いつからだね」
「昨日だ。気づいたときには、もう、こんな風になってやがった」
「昨日。ふうむ」
本当に昨日なのであれば、まだ望みはある。
しかし、そんなに、あっというまに悪くなるものじゃろうか。
わしの見立てでは、これは白点病じゃ。
《大牙》の子に、小さな寄生虫が寄生して、それが成長しきって、出てこようとしておるのじゃ。
じゃが、わしの知る限りでは、白点病というのは1日でそれほど進む病ではないはず。
寄生虫が、それほど早く成長した理由が、ほかにあるはずじゃ。
それに、この巻き付いている黒いもやは一体……
「――考え込んでおっても仕方ないか。とにかく、できることから対応せんとのう」
「先生、息子は」
「うむ。かなり深刻な状態じゃ。ひとまず、体をきれいにしてやろう」
魚になってしまった今、わしにできるのは、このくらいじゃ。
ぼろぼろになった皮膚をやさしくついばみ、痛々しいかさぶたをきれいにしてやる。こうしてやることで、多少なりとも、魚たちは体がらくになるのじゃ。
が、しかし……
「これは、いったい!? 先生!」
「わからん。わからんが……いかんのう」
《大牙》の子を包んでいる、黒いもやのようなもの。
招待の分からぬそれが、蠢くように体を這うと、わしがクリーニングをしたところが、少しずつ、またぼろぼろになってゆく。
まるで、もやそのものが意思をもって《大牙》の息子を浸食しようとしておるかのようじゃ。
ここでは、だめじゃ。
この狭い空間では、いくらクリーニングをしても、このもやのせいで、患者を助けてやることはできん。
「《大牙》よ。まず、お子さんをここから出さねばならん」
「お、おれの縄張りの中じゃあ、ここが一番休ませておける場所なんだ」
「それでも、じゃ」
わしが強く見つめると、やがて、《大牙》は根負けしたように頷いた。
そして、その巨大な口で子を銜えると、やさしく巣穴から運び出す。
「体中にある傷は、お子さんが自分で岩や地面にこすりつけたせいじゃ。心配いらん」
「たしかに、息子は昨夜から痒そうにしていた」
「問題なのは、体中の模様じゃ。小さな、おぬしらの目にうつらんような虫が、お子さんの身体に入り込んで、からだの表面を食い破っておる」
「こ、これが全部、虫だっていうのか。いったい、どうしてそんなことに」
そう。白点病は、寄生虫の病気。
寄生虫は、海流が溜まっている場所では、その場にとどまり続ける。そして、同じ宿主に寄生して、際限なく増えていってしまう。
引っ張り出した子供は、体中が傷だらけで、いたるところがボロボロじゃった。
「すまんが、白点病の虫は、取り除くのが難しいのじゃ」
ほとんどの場合。
わしや、えびさんや、ホンソメワケベラたちがクリーニングで食べるのは、魚の皮膚につく小さな寄生虫じゃ。
逆に言えば、皮膚虫に寄生されるのは、海の日常茶飯事といえる。
《大牙》にとっても、それは常識じゃろうし、虫の一匹や二匹であれば、身に覚えはあるじゃろう。
じゃが、子どもの身体についている虫は、皮膚の内側まで潜り込んでしまっておる。
無数についた、白いまだら模様。《大牙》がわしを慌てて呼びに来たのも、無理はない。
寄生虫がつくと、とにかく痒くて、痛い。
だから、これほど寄生されている子供が感じている痛みは、想像するにあまりある。
「しかし、まあ、いくら小さくても、虫には違いあるまい。ひとつずつ食って取り除いていけば、いつかは治る……のかもしれん。」
「そ、そうか! たのむ!」
「しかし、問題はそれだけではない。この黒い、もやのようなものを見よ。これがどうも、お子さんを蝕んでおるように見える」
「つまり、どうすりゃあいんだ」
「洞窟の外には出てきたが、ここも岩山の間にあって、水流が穏やかじゃ。もっと、海流の激しいところに、息子さんを運んでいかにゃあならん。もやが散ってしまって、息子さんに戻ってこられないような、流れの強いところに」
わしは《大牙》を見る。
《大牙》は、わしの言っている意味が分かったようで、驚愕の表情をしていた。
「そうじゃ。外敵から丸見えで、しかも逃げづらいところだ。お子さんをそこへ連れていき、そこでしばらく、わしがクリーニングをしてやらねばならん」
そして、
「そのクリーニングの間、おぬしには、わしらを守ってもらわねばならん。……できるか?」
《大牙》は、わしとゆっくり目を合わせた。
そして、覚悟を決めたように、頷いた。




