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【完結】血鉄の贄 -人の血肉で鍛剣する世界にて-  作者: Kissaki


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第四話

 振り下ろした刃を、『収穫者ザムラー』が身を引いてかわした。


 切っ先が、血鉄けってつの仮面を掠める。


 甲高い音が鳴り、黒ずんだ銀色の表面に一本の傷が走った。


「貴様――」


 ゲオルグは聞いていなかった。


 返す刃を横へ振る。


 剣を抜いて割り込んできた男が受け止めた。


 刃と刃が噛み合い、ゲオルグの両手に激痛が走った。


「ぐっ……!」


 握り込んだ刃元が肉へ食い込む。


 力を入れるほど傷口が開き、指の間から新しい血が溢れ出す。


 男が剣を押し返した。


 ゲオルグは踏ん張れない。


 何日も眠らず槌を振り続けた脚がもつれ、作業台へ背中からぶつかった。


 木板が軋む。


 その隙に男が踏み込んでくる。


 ゲオルグは咄嗟に剣を上げた。


 金属音。


 腕が痺れた。


 血で滑る。このままでは握っていられない。


 ゲオルグは作業台の脇へ手を伸ばし、革ひもを掴んだ。


「何を――」


 男が剣を振り上げる。


 ゲオルグは金床の陰へ転がった。


 刃が作業台を叩き、木片が飛んだ。


 その一瞬で、ゲオルグは剣を握った右手ごと、革ひもできつく巻いた。


 血で濡れた手と剣を、力任せに締め上げる。


 革が傷へ食い込む。


 息が止まるほど痛い。それでも巻いた。


 端を歯で引き、結ぶ。


 これで手を開いても剣は落ちない。


 いや、落とせない。


「気でも狂ったか」


『収穫者』が言った。


 ゲオルグは立ち上がり、右手に縛りつけた剣を見た。


 赤黒く染まった革の間から血が滲み続けている。


 痛い。


 指の感覚も鈍くなり始めていた。


 なのに、妙だった。剣身の重さを感じない。


 ヘルマだった血鉄は決して軽くない。鍛えた本人なのだから、その重さも知っている。


 それなのに、腕を動かせば遅れずについてくる。握った手の感覚さえほとんどないのに、切っ先がどこにあるのかわかる。


 まるで長年使い込んだ槌のようだった。


「……ヘルマ」


 剣が、かすかに脈打った気がした。


 今度は二人の男が左右に分かれ、近づいてくる。


 ゲオルグは右を見る。


 そちらの男が踏み込んだ。


 剣が胸を狙う。


 身体を捻るが、避け切れない。


 刃先が服を裂き、脇腹へ入った。


 熱い。


 冷たい鉄で斬られたはずなのに、傷口へ焼けた棒を押し込まれたような熱が走った。


「ぐうっ!」


 だが、ゲオルグは逃げない。むしろ踏み込んだ。


 間合いが潰れる。男は目を見開いている。


 ゲオルグは右腕を振り抜く。


 緋色の刃が腹へ入り、肉を裂く感触が掌へ伝わった。


 さらに、硬いものへ当たる。


 構わず力を込め、刃を抜き切った。


 男の腹が横に開き、血が噴き出す。


 遅れて裂けた衣服の隙間から、濡れたはらわたが押し出された。


「ぁ……?」


 男は自分の腹を見下ろした。


 何が起きたのかわからない顔をしている。


 両手で零れ落ちるものを押さえようとした。


 収まらない。


 指の間から滑り、床へ落ちる。


「う、あ……あああああッ!」


 絶叫が工房に響いたが、ゲオルグは一瞥もしなかった。


 その瞬間、左から風を切る音がする。


 間に合わない。


 剣がゲオルグの左腕を斬り、肉が深く裂けた。


「はぁっ……ッ」


 ゲオルグの口から息が漏れる。


 膝が沈んだ。


 男がもう一度剣を振る。


 ゲオルグは金床へ身体を押しつけた。


 刃が肩の脇を抜け、金床にぶつかり、火花が散った。


 男の剣が跳ね返る。


 その手首を、ゲオルグは左手で掴んだ。


 力が入らない。


 それでも離さなかった。


「このっ……!」


 男が引く。


 力をこめるほど、左腕の傷が開き、生温かい血が肘まで流れた。


 ゲオルグは男の足を踏み、掴んだ手首を強く引いた。


 体勢が崩れる。


 そこへ右手を突き出した。


 緋色の切っ先が男の口へ入った。


 男の声が消えた。


 刃が歯を砕き、口の奥へ潜る。


 さらに押し込むと、首の後ろから緋色の切っ先が突き出した。


 刃を引き抜くと、男が力なく崩れ落ちた。


「馬鹿どもが!」


『収穫者』の声が飛んだ。


 残った一人が怯んでいた。


 その足元には、腹を裂かれた男が転がっている。


 まだ生きている。両手で腹を押さえ、喉を鳴らしていた。


 床には血が広がり、煤を溶かしながら、赤黒い水溜まりが大きくなっていく。


 ゲオルグは息をするので精いっぱいだった。脇腹からの血は止まらず、左腕も上がらない。


 右手は剣と縛りつけられたまま。


 身体中が痛む。それでも立っていた。


 叫びながら、三人目が向かってくる。


 大上段から剣が落ちてくる。


 ゲオルグは横へ避けようとしたが、身体がついてこない。


 刃が左肩を掠め、体勢が崩れるが、闇雲に右腕を振った。


 切っ先が男の胸元を浅く裂く。


 蹴られる。


 腹の傷へ靴が入った。


「がっ……!」


 視界が白くなり、ゲオルグは床へ倒れた。


 男はゲオルグの胸を踏みつけ、剣を逆手に持ち替える。


 切っ先がゲオルグの顔へ向いた。


「死ね!」


 刃が振り下ろされたとき、ゲオルグは左腕を差し出した。


 左肘より上に刃がずぶりと入り、肉をかき分け、骨に当たる。


 男は引き抜こうとしたが、抜けない。


 ゲオルグは左腕で刃を抱え込んだ。


「なっ――」


 右手を振ると、緋色の刃が男の股下から腹へ入った。


 男の身体が震えている。


 腹から胸の下まで大きく開き、中身がゲオルグの上へ落ちた。


 男は何かを言おうとしているようだったが、口から血が溢れただけだった。


 ゲオルグは死体を押し退け、起き上がろうとしたが、力が入らない。


 支えを失った身体が傾き、そのまま床へ叩きつけられた。


 左腕には、先ほどの剣が深く刺さったままになっている。


 皮とわずかな肉だけで垂れ下がり、血を流し続けていた。


 右手で敵の剣を引き抜く。


 血が噴きだし、床も、金床も、ゲオルグ自身も赤く濡れていた。


 周りを見渡す。


 一人はもう動かない。


 もう一人も同じだった。


 腹を裂かれた最初の男だけが、まだ床で痙攣していたが、やがてそれも止まった。


 いつも人間を血鉄へ変えていた工房で、人間が三人死んでいる。


 ゲオルグは顔を上げた。


「……次は」


 血の混じった唾を吐いた。


『収穫者』を見る。


「貴様だ」


『収穫者』は答えなかった。


 血鉄の仮面がゲオルグを見ている。


 やがて男は腰へ手を伸ばし、剣を抜いた。


 鈍い灰色の長剣だった。


 使い込まれた刃には、薄い黒筋が走っている。


「これはな」


『収穫者』が剣を構えた。


「若い男だった」


 ゲオルグは息を整える。


「戦士だ。大柄で、傷も少なかった。最後までよく暴れたよ」


 男。


 名前ではない。


 若さと、身体の大きさと、傷の少なさ。


『収穫者』にとっては、それだけだった。


「いい鉄になった」


 ゲオルグの右手に力が入る。


 革ひもが傷へ食い込む。


「お前には勿体ない」


『収穫者』が踏み込んだ。


 速い。


 ゲオルグは剣を上げた。


 刃がぶつかる。


 衝撃で肩が沈む。


 二撃目。


 受ける。


 三撃目は受け切れなかった。


 剣先が胸を掠める。


 服が裂けた。


 ゲオルグは振り返すが、難なくかわされた。


『収穫者』の身のこなしは軽い。


 先ほどの三人とは違う。


 剣の扱いを知っている。


 ゲオルグに剣術の心得などない。


 人間に剣を向けたことさえ、今日までなかった。


 足の運びも、間合いもわからない。


 それでも剣を振った。


『収穫者』が受ける。


「鍛冶師風情が」


 蹴りが腹へ入った。


 ゲオルグが後退する。


「剣を持って戦士にでもなったつもりか」


 追撃。


 剣が来る。


 ゲオルグは刃を合わせるが、今度は力負けした。


 右腕が弾かれる。


 左から斬撃。


 避けようと思ったときには、もう間に合わない。


 すでに裂けていた左腕へ、さらに刃が入った。


「ぐぁッ!」


 ほとんど繋がっていなかった肉が裂ける。


 腕がぶら下がった。


 皮とわずかな肉だけで肩から垂れている。


『収穫者』は止まらない。


 ゲオルグは一歩ずつ距離をとる。


 背中に熱が触れる。


 炉。


 もう後がない。


『収穫者』が剣を向ける。


「終わりだ」


 ゲオルグは荒い呼吸を繰り返した。


 視界の端が暗い。


 血を失いすぎている。


 左腕はもう腕ではなかった。


 傷を負った脇腹も、裂けた右手も、自分の身体ではないように感じる。


 勝てない。


 このまま殺されたあと、ヘルマを持っていかれる。


 宮室へ。


 誰だかわからない偉そうな人間が適当なつかをつけ、娘を握るだろう。


『収穫者』の言葉が蘇った。


 ――炉へ入れた時点で素材だ。


 違う。


 これはヘルマだ。


 ゲオルグは左腕を見た。


 指が動かない。


 感覚もない。


 その向こうで炉が燃えていた。


 剣身が出来上がったとき、自分がつぶやいた言葉が浮かぶ。


(――俺が死んだら、継いでやる)


 ゲオルグは声もなく笑った。


 死んでから。


 そんな悠長なことを考えていた。


『収穫者』が眉をひそめたように、仮面が僅かに傾いた。


「何がおかしい」


 ゲオルグは答えなかった。


 右腕に縛り付けた刃を、左肩へ当てる。


『収穫者』の動きが止まった。


「何をしている」


 ゲオルグは垂れ下がった自分の腕を見た。


「どのみち……」


 大きく息を吸い、止める。


 肺が痛んだ。


「動かん腕なら――」


 歯を剥いた。


「今ここで柄になれ!」


 振り切った。


 刃が残っていた肉へ入る。


 一度では切れなかった。


 ゲオルグはもう一度振った。


 肉が切れる。


 左腕が床へ落ちた。


 血が噴き出した。


「がああああああああッ!」


 叫びながら、ゲオルグは切り落とした腕を拾った。


 まだ温かい。


 自分の腕だ。何十年も槌を握ってきた手だ。


 それを炉へ投げ込む。


『収穫者』が息を呑んだ。


「貴様……!」


 ゲオルグはふいごへ身体をぶつけるようにして踏んだ。


 一度。


 炎が膨らむ。


 もう一度。


 白い火が左腕を包んだ。


 通常の火では間に合わない。


 わかっている。


 人間の身体を血鉄へ変えるには時間がかかる。


 だから火を上げる。


 血鉄としての質など、どうでもいい。


 柄になればいい。


 剥き身のヘルマを包んでやれれば、それでいい。


 炭を掴んで放り込む。


 ふいごを踏む。


 傷口から血が落ちる。


 それでも踏む。踏む。踏む。


 炉の中で左腕が焼け、皮膚が縮む。


 自分の肉が焼ける臭いがした。


 奇妙だった。


 何百回も嗅いできた臭いだった。ヘルマを焼いたときにも嗅いだ。


 今度は、自分だ。


『収穫者』が動いた。


「やめろ!」


 初めて、その声から余裕が消えた。


 炎だけを見る。


 左腕だったものが黒くなり、崩れ、骨が露出する。


 まだだ。


 もっと。


 ふいごを踏む。


 炉が悲鳴のような音を立てた。


 目が焼け、喉へ熱気が入ったが、それでも踏む。


『収穫者』が背後から掴みかかった。


 ゲオルグは肘を振った。


 残った右腕で。


 当たらない。


 剣の柄で脇腹の傷を殴られた。


 ゲオルグは膝をついた。


「終わりだ」


『収穫者』が剣を振り上げる。


 ゲオルグは火鋏を掴んだ。


 炉の中へ突っ込み、左腕だったものを挟んで引き出す。


 赤黒い塊だった。まだ不純物が残り、形も歪んでいる。


 普通なら鍛造には使えない。


 ゲオルグはそれを『収穫者』へ投げつけた。


「ぐっ!」


 男が避ける。


 赤黒い塊が床を転がった。


 その隙にゲオルグは立ち上がり、火鋏で血鉄を拾い上げ、金床へ置いた。


 右手には剣が縛りつけられており、槌を握る手がない。


 ゲオルグは一瞬だけ止まった。


『収穫者』が体勢を立て直す。


 時間がない。


 ゲオルグは革ひもの結び目を噛み、力任せに引きちぎった。


 右手を剣から抜く。


 掌の傷から再び流れた血が、金床を濡らす。


『収穫者』が踏み込んだ。


 ゲオルグは火鋏を掴む。


 挟んだのは、金床の脇に置かれていた血鉄の端材だった。


 炉の熱を受け続け、赤く焼けている。


 それを水桶へ放り込んだ。


 じゅううううううッ――!


 水が爆ぜた。


 白い蒸気が噴き上がる。


「なっ――」


『収穫者』の姿が消えた。


 金床も、炉も、何も見えない。


 工房が一瞬で白く染まった。


 ゲオルグは迷わなかった。


 振り返りもせず、右手を伸ばす。


 そこに槌がある。


 何十年も、この工房で振り続けてきた槌が。


 指が柄へ触れた。


 掴む。


 金床へ戻る。


 見えなくてもわかる。


 何歩進めば炉があるのか。


 どこに金床があり、そのどこへ血鉄を置いたのか。


 どの高さまで槌を上げれば、何も叩かず振り下ろせるのか。


 身体が覚えている。


 ゲオルグは槌を振り上げた。


 がん。


 形が潰れる。


「どこだ!」


 蒸気の向こうから声がした。


 ゲオルグは打つ。


 がん。


 火花が白い霧の中へ飛び、すぐに消えた。


 足音がする。


 だが、まっすぐには来ない。


 倒れた作業台。


 床に転がった死体。


 散らばった炭と道具。


 見えない工房の中では、そのすべてが足を阻む。


 ゲオルグには関係なかった。


 ここは自分の工房だ。


 がん。


 細く。長く。柄になる形へ。


「くそっ」


 声が近づく。


 ゲオルグは打つ。


 がん。


 血鉄の表面には黒い斑が残り、濁っている。


 ヘルマとはまるで違う。


『収穫者』の言ったとおり粗悪な出来だった。


「……それでいい」


 ゲオルグは呟いた。


 自分には似合っている。


 もう一度打った。


 がん。


 形が整う。


 完全ではないが、足りる。


 蒸気が薄れ始めていた。


 白一色だった工房に、炉の赤い光が滲んでくる。


 ゲオルグは槌を捨てた。


 剣身を取る。


 火鋏で左腕だった血鉄を挟み、剣身のなかごへ合わせる。


 白い蒸気の向こうに、人影が浮かんだ。


『収穫者』だった。


 男が足を止める。


 その視線が、ゲオルグの手元へ向いた。


 緋色の剣身。


 その茎へ重ねられた、黒赤い血鉄。


「待て!」


 声が変わった。


 ゲオルグは顔を上げた。


 蒸気の向こうから、血鉄の仮面がこちらを見ている。


「それを継ぐな」


 先ほどまでとは違う。


 命令ではない。


「何だ」


 ゲオルグの声は掠れていた。


「怖いのか?」


『収穫者』は答えなかった。


 だが、剣を握る手に力が入った。


「やめろ!」


 飛び込んでくる。


 ゲオルグは火鋏を振った。


 赤熱した血鉄が男の剣へぶつかる。


 火花が散る。


『収穫者』が怯む。


 その隙にゲオルグは茎と柄を金床へ置き、噛み合わせた。


 合わない。


 当然だ。


 こんなやり方で作った柄だ。


 ゲオルグは槌を掴み、何度も叩いた。


 血鉄が潰れ、茎へ食い込む。


 それでも叩いた。


『収穫者』が背後からゲオルグを金床へ蹴りとばしたが、それでも槌は離さなかった。


「どけ!」


『収穫者』が腕を掴む。


 ゲオルグは頭突きをした。


 仮面へ額が当たり、痛みが頭蓋へ響いた。


 男がよろめく。


 ゲオルグはまた打った。


 がん。


 父親だったものが、娘だったものへ噛み合っていく。


 がん。


 粗悪な黒赤い血鉄が、透き通った緋色の茎を包む。


 がん。


 もう離れない。


 ゲオルグは槌を捨てた。


 剣を掴む。


 柄はまだ赤い。


 右手の皮膚が焼けているが構わない。


 水桶へ向かう。


『収穫者』が叫んだ。


「やめろおおおッ!」


 ゲオルグは振り返った。


 剣を横へ払う。


『収穫者』が身を引く。


 一瞬。


 それで十分だった。


 ゲオルグは剣を水へ突き込んだ。


 じゅううううううッ――!


 再び水が爆ぜた。


 白い蒸気が噴き上がり、工房が真っ白になった。


 何も見えない。


 水の沸く音だけが響く。


 ゲオルグは柄を離さなかった。


 熱い。


 掌が焼けているが、それでも握る。


 やがて音が弱くなり、蒸気がゆっくり薄れていく。


 ゲオルグは水桶から剣を引き上げた。


 水滴が落ちた。


 切っ先から刃を伝い、黒赤い柄から床の血溜まりへ。


 一振りの剣が出来上がっていた。


 透き通るような緋色の刃、不格好な柄。


 美しくなどない。


 それでも刃と柄は繋がっていた。


 ゲオルグは右手で握った。


 今度は肉が裂けない。


 掌へ温度が伝わってくる。


 とくん。


 脈打つ。


 続いて、柄からも。


 とくん。


 二つの残響が重なった。


 ゲオルグは剣を持ち上げる。


 父と娘の血肉でできた一振りが、炉の火を受けて赤く光った。

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