Episode7 平民街の噂
少し仮眠を取ってから、私はマリアを連れて街に出た。
「お嬢様、どちらのお店から伺いましょう?」
マリアはすっかり買い物のつもりでいるようだった。
「お店じゃないの。聞き込みよ、聞き込み」
マリアは慣れた様子でため息をついた。
馬車が止まったのは、商店街を抜けた先、平民街の入り口だった。
「お嬢様、ここは……」
マリアの声が、今度こそ強張った。
「てっきり、旦那様の店舗などがある商店街の方に行かれるのかと」
「言い忘れてた。用があるのは、平民街の方なの」
街に出て、五分。
私はジロジロと見られていた。
話しかけようとした商人のおじさんには「お、お貴族様!?」と言われて避けられ、通りかかった子どもには「なんでドレスなの?」と真顔で聞かれた。
……そこでようやく気づいた。
私、ドレスを着たままだった。
「お嬢様」
マリアがこめかみを押さえていた。
「平民街で聞き込みでしたら、もっと町に馴染む服を準備しましたのに」
「……言い忘れてた」
「眼鏡をかけたからって、そのドレスでは変装になってません! ただ悪目立ちしているだけです」
「悪目立ちなんだ、これ」
「悪目立ちしています」
きっぱりと言われた。
それでも、手がかりはある。
私は懐から、一枚の紙を取り出した。
出かける前に描いておいた、カイルの似顔絵だ。これがあれば、名前を知らなくても人を探せる。
「よく描けていますね……」
マリアが少し感心したように言った。
「え、いつの間に描いたの、それ」
フィンも、興味深そうに覗き込んでくる。
「出かける前にちょっとね。昔、漫画描くのが趣味だったから」
「マンガ?」
マリアとフィンが、聞き慣れない単語に同時に首をかしげた。
「絵と文字で物語を見せるものよ。この国にはないだろうけど」
「ふうん、よくわかんないけど、絵は上手いんだね」
似顔絵くらいなら、お手のものだった。
さっそく聞き込みを始めることにした。
「あの、少し伺いたいのですが。この子を、見かけたことはありませんか」
声をかけた八百屋のおかみさんに、似顔絵を見せる。
「ひっ……は、はい、お貴族様……!」
おかみさんは、直立不動になってしまった。
しまった、怖がらせてしまった。
「あっ、ち、違うんです、そんなに畏まらなくて大丈夫ですからっ。うち、子爵家なんですけど、子爵ってほら、貴族の中でもうんと爵位が低くて、平民の皆さんとも近いっていうか、全然偉くなくて、ほんとに気さくな家で、だからそんなに緊張しなくても——」
「は、はあ……し、しゃく……?」
おかみさんは、ますます混乱した顔になった。
早口でまくし立てたせいで、余計に怖がらせてしまったらしい。
「だ、だから、その」
「め、滅相もございません、お貴族様にそのような……!」
通じない。
まったく通じなかった。
おかみさんにとっては、子爵だろうが何だろうが、貴族はみんな等しく「お貴族様」らしい。
爵位の高い低いなんて、しょせんこちら側の理屈でしかないのだ。
これ以上は無理そうだった。
進まない。
まったく話が進まない。
身分が邪魔をして、誰もまともに話してくれないのだ。
「……お嬢様」
マリアが、そっと似顔絵を取り上げた。
「ここからは私が伺います。お嬢様は私から見える場所で座って待っていてください」
「えっ」
「お願いですから座っていてください」
戦力外通告だった。
*
私は広場のベンチに腰かけて待つことになった。
遠くで、マリアが町の人たちと和やかに話しているのが見える。さっきの私とは大違いで、するすると会話が弾んでいた。
日向のベンチは、思ったよりあたたかかった。
座った途端どっと気の抜けるような感覚がきた。
昨夜からほとんど寝ていない。仮眠を取ったとはいえ、焼け石に水だった。
まぶたが、じわじわと重くなってくる。
「……ちょっと待って、寝ないでよ」
フィンが、肩の上で慌てたように言った。
「寝てない。ちょっと、目を閉じてるだけ」
「それ、寝る一歩手前のやつだ」
「わかってる。わかってるから、喋りかけないで」
「喋りかけたら起きるなら、それもう寝てるようなもんじゃん」
フィンの声が、だんだん遠くなっていく。
——だめだ。
意識を保とうとした矢先、頭が、こくん、と落ちた。
「あ、寝た」
フィンの呆れた声が、最後に聞こえた気がした。
肩を軽く揺すられて、目を覚ました。
「お嬢様、起きてください」
マリアが、少し困ったように私を見下ろしていた。
「……あ、うん」
寝起きの頭がうまく働かず、間の抜けた返事になった。
「お嬢様、わかりました」
さすがだ。仕事が早い。
「この辺りでは珍しい、貴族然とした身なりの方が出入りしていると、ちょっとした噂になっていたようで。何人かに伺ったところ、皆さん同じ方のことを話してくださいました」
「若様の似顔絵に似た人物と、従者とおぼしき人物が——あるいは、日によってどちらかだけのこともあるようですが——リイナさんという娘さんのお宅に、よく出入りしているそうです。時には、お二人で連れ立って歩いているところを見かけた、という方もいらっしゃいました」
「リイナさん……」
「はい。母ひとり子三人のお宅で、上の娘さんがリイナさん。下に弟がお二人」
マリアは、少し言葉を選ぶように続けた。
「ご主人に先立たれて、借金だけが残ってしまったそうです。お母様が朝から晩まで働いても、生活はなかなか楽にならないようで……」
「リイナさんが、荷車の事故に遭いかけた弟さんを、若様と思しき人物が助けたのがきっかけだとか。それから時々会っていて……食べ物を抱えて訪ねてくる姿も、何度か目撃されているそうです」
食材の減りが早かった理由が、つながった。
私はしばらく黙ってしまった。
そのとき耳元でフィンがぼそっと言った。
「そんなに気にかけてたんだ。……なんでだろうねえ」
私は、答えなかった。
カイルの本当の気持ちは、カイルにしかわからない。
でも、わかる気がした。
「……なんて言えばいいのか、わからない」
フィンは、わかっているのかいないのか、金色の目を細めて、ふわりとそっぽを向いた。
そのくせ口元だけが、少し笑っていた。
マリアがこちらをちらりと見た。
「……また、フィンさんとお話しですか?」
「うん」
「さようですか」
見えない相手との会話にも、マリアは少しずつ慣れてきたようだった。
「リイナさんのお宅、この辺りから少し奥に入ったところのようです」
マリアがそう言うのを聞きながら、私は自分の恰好を見下ろした。
ドレス。当然、ドレスのままだった。
「……この恰好じゃ、まずいわよね」
「今更ですか」
マリアがこめかみを押さえた。
仕方なく商店街寄りまで少し戻って、目についた古着屋に飛び込んだ。
「あの、動きやすくて、あまり目立たない服……ありますか」
店主のおばさんは、私のドレス姿をちらりと見た。
「うちはドレスなんかは置いてないけどねえ」
「あ、いえ、そこに置いてあるようなもので大丈夫です」
店主は少し不思議そうな顔をしつつも、店先に並んでいた服を何着か見繕ってきてくれた。
「これで、いくらになりますか」
私は財布から金貨を取り出した。
店主が目を丸くした。
「……お嬢さん、それ、ちょっと出しすぎだよ」
「え」
「この服、そんな値段するもんじゃないから」
金銭感覚が、まったくもって庶民基準ではなかったらしい。
慌てて銀貨に持ち替えると、店主は苦笑しながら受け取って、お釣りを渡してくれた。
試着室代わりの布の陰で、私は服を着替えることにした。
ボタンが、思ったより多い。
紐も思ったより複雑だった。
普段はマリアに着せてもらう側だ。自分一人で着替えるのはいつぶりだろう。
「お嬢様、お手伝いしましょうか」
布の向こうから、マリアの声がした。
「……お願い」
戦力外通告、二回目だった。
教えられた道を進むと、小さな家の前で、男の子が二人しゃがみ込んでいた。
七歳くらいの子が、三,四歳くらいの子の手を引いて、何かを地面に描いて遊んでいる。
「危ないから、あんまり道の方まで出ちゃだめだよ」
兄らしき子が、弟の服の裾を引っ張った。
弟が、むう、と口を尖らせる。
思ったより、しっかりした子だった。
「……こんにちは」
声をかけると、二人ともびくりと顔を上げた。
見慣れない女がいきなり現れたのだ、当然の反応だった。
兄の子が、とっさに弟を庇うように前に出た。
「……だれ?」
警戒心を隠さない目だった。
「怪しいものじゃないの。ちょっと、知り合いのことで来ただけ」
「知り合い?」
まだ警戒は解けていないようだった。
マリアが「お子さんに」と持たせてくれた飴を思い出し、
「これ、良かったらどうぞ」
差し出すと、ノアの方が先に、ちらっと兄の顔色を窺った。
リアムは少し考えてから、小さく頷く。
「……ありがとう」
二人はおずおずと受け取った。
飴一つで、態度が少し軟らかくなる。子どもというのは、単純で、それでいて正直だった。
「カイルって子、知ってる?」
その名前を出した途端、兄の子の表情が少しだけ緩んだ。
「カイルおにいちゃんの、しりあい?」
「うん、そう、仲良しなの」
嘘ではない。
「カイルおにいちゃん、いつもお菓子くれるの」
弟の方が、ぱっと顔を輝かせて口を挟んだ。
「こら、ノア。知らない人と話しちゃだめだって、リイナ姉ちゃんが」
兄が、ノアと呼んだ子をたしなめる。
「リアムだって、話してるじゃん」
「……それはそうだけど」
思わず、笑ってしまいそうになった。
まだこんなに小さいのに、リアムはずいぶんとしっかりしているようだった。
「リイナお姉さんは?」
「おしごと。もうすぐ帰ってくる」
「お母さんは?」
「まだ。よる、おそくなる」
淡々とした答えだった。まるで、それが当たり前のことのように。
私は、二人の背後にある家に目をやった。
小さな平屋だった。 壁は何度も継ぎ当てた跡があり、屋根も少し歪んでいる。
扉の脇には、大小ばらばらの薪が積まれていた。 子どもたちが手伝って割ったのかもしれない。
決して裕福な家ではない。
それでも玄関先はきれいに掃かれ、できる範囲で大切に暮らしていることが伝わってきた。
リイナ本人にも、会おうと思えば会えたのかもしれない。
でも、今日はやめておくことにした。
見ず知らずの令嬢が押しかけて、詮索するようなことを言えば、この家族を余計に不安にさせるだけだ。
知りたかったことは、もう十分わかった気がする。
「リアム、ノア。今日は、ありがとう」
「ばいばい!」
ノアが、元気よく手を振った。リアムは、少し警戒を残したまま、小さく会釈だけを返してきた。
私は、二人に背を向けて歩き出した。
帰り道、マリアは何も聞いてこなかった。
聞かなくても、私が何を考えているか、なんとなく察しているのかもしれない。
屋敷に戻る頃には、日が傾き始めていた。
カイルは、まだ帰ってきていないようだった。
それなら、ちょうどいい。
先に、こちらの準備を整えておこう。
今度こそ、逃がすつもりはなかった。




