Episode5 犯人はあなたです(多分)
夜通し、証拠を並べ直していた。
使用人たちの昨日の行動記録。鍵の在り処。誰がいつ、どこにいたか。頭の中で何度も並べ替えて、組み立てては崩し、また組み立てた。
気づけば窓の外が白んでいた。
鏡を覗くと、目の下にくっきりとクマができたエラリー・フォン・ベルナードがそこにいた。
我ながら、ひどい顔だと思う。
鍵の管理者。屋敷の間取りを熟知している人物。そして昨夜の不在。
条件だけ見れば、答えは一つしかないような気がする。
でも、その人が盗む姿なんて、どうしても想像できなかった。
きっと、何か見落としている。もう一度、最初から——
瞼が、重い。
考え直す気力より先に、眠気が押し寄せてくる。
だめだ、頭が回らない。
こんこん、とノックの音がした。
「お嬢様、おはようございます」
マリアが扉を開けて、止まった。
「…………」
「おはよう」
「お休みに、なっていませんね?」
「ちょっとだけ寝た」
「目の下がすごいことになっていますが」
「ちょっとだけ、考え事をしてただけ」
「朝食のご用意が整っております」
「あとで! 今はそれどころじゃないの!」
マリアは眉を寄せたけど、それ以上は聞かずに、カーテンを開け始めた。
朝の光が、目に刺さる。
私は伊達眼鏡を手に取った。
当たって砕けろよ!
いや、砕けちゃだめか。
「マリア、みんなを集めて!」
「……犯人が、わかったのですか」
「わかったかもしれない!」
マリアは何か言いたげな顔をしたが、結局
「……かしこまりました」と頷いた。
応接間に、ルーシー、トム、カーラ、マリア、そしてセバスチャンが揃った。
(……よし、容疑者は出揃ったわ!)
……あれ。
「マリア、お父様とお母様は?」
「旦那様と奥様は、お忙しそうですので」
「……そう」
「あ、ココもいない」
「朝餉の片付けに当たっておりますので」
「カイルもお姉様もいない……なんか、いっぱいいなくない?」
「お二人とも、ご予定があるようですので」
……ま、本命は来てるし、いっか。
私は不敵に(見えるように)笑い、ずいと一歩前に出た。
……のだけれど。
なんだか、妙に和やかな空気が流れていた。
ルーシーはエプロンで手を拭いながらニコニコしているし、カーラとサラにいたっては、後ろの方で袖を口元に当ててひそひそと笑い合っている。トムも緊張感なく頭を掻いていた。
マリアにいたっては、完全に肩の力が抜けた、遠い目。「また始まりましたよ」と、言葉にせずともその背中が雄弁に物語っている。
「エラリーお嬢様」
私が口を開くより早く、疑惑の筆頭であるはずのセバスチャンが、いつもの流麗な動作でティーカップをテーブルに並べ始めた。
「少し喉が渇かれましたでしょう。香りの良いハーブティーをご用意致しましたので、まずは一息入れられては」
「セ、セバスチャン! 私は今から、重大な事件の謎解きを……!」
「はい、存じております。……皆さん、お嬢様のお話をお聞きしましょう。マリア、お茶の準備を」
その言葉を合図に、マリアはお茶を、ルーシーは焼き菓子を用意し始める。応接間はあっという間に、いつものお茶会の支度が整っていった。
……おかしい。
泥棒を暴くための、緊迫した尋問の場のはずなのに。
我が家の応接間は、今完全に、いつものお茶会か何かの空気になっていた。
まあいい。真実は、これから明らかになるのだから。
私は伊達眼鏡をかけ直した。
気合いを入れる。
そのとき、マリアがそっと私の前に小皿を置いた。
焼きたてのスコーンだった。
「お嬢様、どうぞ」
昨夜から何も食べていなかったことを思い出し、私は一口かじる。
……おいしい。
続けて差し出されたハーブティーを一口飲む。
温かさが、徹夜でぼんやりしていた頭にじんわりと染み渡った。
「では」
私は口の中のものを飲み込み、眼鏡を押し上げた。
「お忙しいところ集まってもらってありがとう。首飾り紛失の件で、確認したいことがあるの」
全員がこちらを見る。
私はひとつ咳払いをして、推理を始めた。
「首飾りがなくなっているとわかったのは、昨日の朝。セバスチャンが飾り棚を開けた時」
全員が、こくりと頷く。
「一昨日の夕餉の後、お母様が飾り棚の首飾りを見ている。この時は確かにあった。つまり犯行は——一昨日の夜から、昨日の朝までの間」
ここまでは、いい。ここまでは完璧なはず。
「飾り棚には鍵がかかっていた。鍵は普段、セバスチャンが管理してる。……でも、あなたは一昨日から留守だった。留守の間、鍵はどうしてたの?」
「出立前に、旦那様へお預けいたしました」
「そう。つまり鍵は、お父様の執務室にあった」
私は、ぐるりと全員を見回した。
「お父様は一昨日の夜、二十三時頃まで書斎で仕事をしていた。それまで、変わったことは何もなかったそうよ。その後、朝までは無人。……でも書斎にも、鍵がかかっていた」
「執務室の鍵を持っているのは、お父様、お母様、それから仕事を手伝っているカイル。この三人だけ」
「つまり——鍵を壊さない限り、外の人間には盗めない。できるのは、限られた人だけ」
ざわ、と空気が動いた。
「でも家族が盗むなんて、考えられない。だとしたら、残る可能性はひとつ」
私は、人差し指をおずおずと向けた。
「セバスチャン。あなた——昨日の朝戻ってから、お父様に鍵を返してもらって、飾り棚を開けたときに盗んだんじゃないの?」
言い切った、つもりだった。
でも語尾が、ほんの少しだけ揺れた。
「……多分」
セバスチャンが、片眉を上げた。
「……いつになく、歯切れがお悪いようですが」
「うっ」
「お嬢様」
「なに」
「ひとつずつ、確認させていただいてもよろしいでしょうか」
「ど、どうぞ」
「まず、私が屋敷を発ったのは一昨日の朝、9時でございます。旦那様のご命令で、遠方の取引先へ書状を届けに参りました。このことは旦那様ご自身がご存知です」
「……うん」
「先方に到着したのが、日暮れ前。書状をお渡しし、返事を待つ間、先方のお屋敷に泊めていただきました。あちらの執事殿と、夜半まで話し込んでおりましたので、証人もございます」
「……うん」
「昨日の朝、返事を受け取って屋敷を発ち、戻ったのが朝の10時。戻りましてすぐ、旦那様から鍵束をお返しいただきました。その後、首飾りの紛失に気づくまで、私が一人になった時間はございません」
「……え、そうなの?」
「はい。ちょうど廊下でマリアと行き合いまして、応接間の花の相談をしながら、共に参りましたので」
マリアが、こくりと頷いた。
……ん?
待って。
マリア、その場にいたの?
昨日から今日にかけて、私は使用人たちの行動を調べ上げ、夜通し推理を組み立てた。
昨日ずっとそばにいた人物に——一度も、話を聞いていなかった。
「マリア」
「はい」
「なんで言ってくれなかったの」
「聞かれませんでしたので」
ぐうの音も出ない。
「飾り棚の前に立った時も、マリアがすぐ隣におりました。棚を開けて、中が空だと気づいた瞬間も——マリアが一緒に見ております」
「……」
「ねえ、これ、負けてない?」
フィンが耳元でささやく。
うるさい。わかってる。
「これで、物理的に不可能だとお分かりいただけたかと存じます」
完璧だった。
時間、距離、証人、鍵の所在。帰宅後の足取りまで。全部が揃った、非の打ち所のないアリバイだった。
そして私は、その全部を——隣にいる侍女に聞くだけで、知れたのだった。
おのおの気まずそうな顔でエラリーのことを見ている。
セバスチャンが、応接間の花瓶へすっと歩み寄り、花の角度を静かに整えた。
「本日のお花は、カスミソウでございます」
セバスチャン以外は微動だにしていない。
「花言葉は『無実』だそうで」
誰も、何も言わなかった。
マリアだけが、小さくため息をついた。
気まずい。とんでもなく気まずい。
人差し指を突きつけた体勢のまま、心はもう跡形もなく砕け散っていた。
「お嬢様」
セバスチャンは懐から一冊の本を取り出した。革張りの、やや古めかしい装丁の本だった。
「これは?」
「王都の古書店で見つけたものでございます。『論証の書』と申すそうです。物事の道理を、順を追って確かめるための考え方が記されているとか」
「……これ、どうしたの?」
「お嬢様が近頃、熱心に取り組んでいらっしゃいますので。……この国には、お嬢様が学びたいことを記した書物が、ほとんどございません。ですので、近いものを」
思わず、言葉に詰まった。
てっきり、今日のことで「もうおやめください」と言われるものだと思っていた。
受け取った本は、ずっしりと重く表紙の革は、ところどころ擦れていた。
「……ありがとう、セバスチャン」
セバスチャンは静かにページを開き、指し示した。
「こちらに、こうございます。人の行いを明らかにするには——それが起きた証、それを為し得た手立て、そして為すに至った理由。この三つが揃って、初めて確かなものになると」
「証拠、手段……動機」
「先ほどのお嬢様のお話には、証と手立てはございました。ですが」
セバスチャンは、静かにこちらを見た。
「私が首飾りを盗む理由が、どこにございましたでしょうか」
……わからない。
検討もつかない。
「それに、お嬢様が挙げられた証は、いずれも『そうであった可能性がある』というだけのもの。『そうであった』という証明には、なりません」
「……つまり私がやったのは」
状況証拠だけを積み上げて、犯人だと決めつけていた。
物的証拠は、何ひとつなかった。
「積み木を高く積み上げて、さも立派な塔のように見せていた、というところでございましょうか」
「うっ」
「次に人を犯人と決めつける際は、せめて相手の予定を確認してからになさいませ」
地味に、一番効いた。
そのとき、肩の上のフィンが、ぼそっと言った。
「ねえ。誰か、覗いてるよ」
私は、廊下の方を見た。
扉の隙間から、カイルがこちらをそっと窺っていた。
目が合った瞬間、ぴゃっと身を引っ込める。
部屋をそそくさと出て「カイル」と呼びかけると
足が、止まった。
「……あ、姉上、あの、お父様に頼まれた用事があって急いでいますので...、失礼します!」
「あ、そう」
「で、では!」
そそくさと、行ってしまった。
逃げた。
完全に、逃げた。




