↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生令嬢は今日も推理する  作者: 深見きくり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
49/50

Episode43 書いて、よいのだ



 やはり、そうだったのだ。


 手紙の主がアデライン様だと知れれば、今日のことも、アデライン様が命じたものと思われる。


 だからヨナスは、何もかもを一人で背負おうとした。


「お嬢様。……どうか、それ以上は」


 ヨナスの声は、掠れていた。


「私が勝手にしたことでございます。お嬢様は、何もご存じない」


「もう、およしなさい」


 アデライン様が、静かに首を振った。


「わたくしが書いたと、もう申し上げたの」


 ヨナスが、何か言いかけて、口を閉じた。


 肩から、少しずつ力が抜けていく。


 やがて、深く頭を下げた。


「……申し訳ございません」


 私は、ヨナスに向き直った。


「どうして、あんなことを」


 声が、思ったより小さくなった。


 しばらく、答えはなかった。


 暖炉の火が、ぱちりと音を立てた。


「……お嬢様が、あの詩を書き写しておられるのを、お見かけいたしました」


 低い声だった。


「花は枯れ、鐘は鳴らず、乙女は紅の涙を流す。……あのようなものを書き写されるほど、お心を乱しておいでなのかと思いました」


 ヨナスの目が、床に落ちた。


「お嬢様は、苦しいときほど何も仰いません。あの詩が、そのままお心のうちのように思えました」


 声が、わずかに低くなる。


「そうして封をして、それきりになさるおつもりなのだと」


 言葉が、少しずつ速くなる。


「クラウス様はご婚約なさって、お嬢様のご縁談だけが、また先へ延びていく。お嬢様ほどの方に、どうして相応しいお相手が見つからないのか」


 膝の上の拳が、固くなった。


「……納得がいきませんでした」


 ヨナスが、ひとつ息を吐いた。


「クラウス様は、何一つ隠されません。想う方の隣に立って、その手を取って、皆の前で赤くおなりになる」


 声が、わずかに掠れた。


「眩しゅうございました。それだけに、腹立たしくもございました」


 ヨナスは、そこで一度、口を閉じた。


「何かが変わるとは、思っておりません。これでご婚約がなくなるとも、思っておりませんでした」


 ゆっくりと、首を振る。


「人が気づこうが気づくまいが、どちらでもよかったのでございます」


 声が、いっそう低くなる。


「この晴れの日に、ほんの少しけちがつけば、少しは気も晴れる。……そう思ってしまいました」


 誰にも気づかれなくてもいい。


 ただ、今日という日が、ほんの少しだけ濁ればいい。


 ……そんなことのために。


 膝の上で、私の指も固くなっていた。


「愚かなことをしている、と分かっておりました」


 ヨナスが、また口を開いた。


「花に灰汁を垂らしながら、これは違う、と思っておりました。鈴の舌を抜きながらも、庭へ出ながらも」


 言葉が、そこで途切れた。


「それでも、手が止まりませんでした」


 分かっていて、やったのだ。


 分かっていて、止められなかったのだ。


「お嬢様のためだと申し上げるつもりは、ございません」


 ヨナスが、ほんの一瞬だけ、主のほうを見た。


 すぐに、目を伏せる。


「……私が、そうしたかっただけでございます」


 アデライン様が、ヨナスを見つめていた。


「……責められないわ、ヨナス」


 声が、掠れていた。


「わたくしも、同じことを思っていたのだもの。……ほんの少し、けちがついてしまえばいいと」


 そこで、言葉が途切れる。


「わたくしが取り乱したときも、あなたはいつも静かでいてくれたでしょう。ずっと、それに助けられてきたのよ」


 アデライン様が、小さく息を吸った。


「……わたくしが、書いたりしなければ」


 声が、震えていた。


「あなたが読み違えたのも、無理はないの。不吉に読まれるだろうと分かっていて、書いたのだもの」


 ……読み違え、と言った。


 不吉に読まれるだろう、とも。


 正しい読み方を知っている人の言い方だ。


 アデライン様が、首を振る。


「でもね、ヨナス。最近のご縁談がまとまらなかったのは、わたくしが断っていたからなのよ」


 ヨナスが、顔を上げた。


「クラウス様のことは、家族のように大切に思っておりました。慕ってもおりましたわ。……けれど、殿方として、というのとは違うの」


 アデライン様が、一度言葉を切った。


「いずれ嫁ぐのだろうと言っていたのは、周りの大人たちだけ。正式なお話があったことは、一度もございません」


 小さく、息を吐いた。


「わたくしも、どこか他人事のように聞いておりました。……知らないお家へ行くよりは、まだいいのかもしれない。その程度のことだったの」


「アデライン様」


 私は、一度息を吸った。


「あの詩は、不吉な詩ではありません」


 二人が、こちらを見た。


「寄稿集が世に出たのは、エレノア様が嫁がれた年です。亡くなられる、何年も前でした。……一見不吉な文言が並んではいますが、嫁いでいく妹君に贈られた、祝いの詩なんです」


 ヨナスの顔から、血の気が引いていくのが分かった。


 けれど、アデライン様は驚いていなかった。


「アデライン様は、ご存知だったんですよね」


 私は、静かに尋ねた。


 アデライン様が、暖炉の火を見たまま、しばらく動かなかった。


「……存じておりました」


 静かな声音だった。


「北の隣国では、婚礼をわざと不吉な言葉で寿ぐのです。花嫁が、紅の涙を流す。嫁ぎ先の夫を、盗人と呼ぶ。……どちらも、あちらで婚礼を寿ぐときの言い回しです」


 国境に近い領地のご令嬢だ。あちらの本を手に取る機会も、あったのだろう。


「けれど、こちらでそれを知る方は、ほとんどおりません」


 アデライン様の声が、低くなった。


「不吉な詩として読まれるだろうと、分かっていて送りました」


 祝いの詩に、呪いの顔をさせて。


「クラウス様とは、幼い頃から、親類の集まりのたびにお会いしてまいりました。想い合う方と結ばれるのは、本当に、めでたいことだと思います」


 そこで、アデライン様は小さく息をついた。


「……ただ、それが叶わないわたくしには、少しだけ、妬ましかったのです」


 ヨナスの肩が、かすかに揺れた。


 アデライン様は、そちらを見ようとしない。見ないのではなく、見られないのだと、なぜだか分かった。


 庭で、赤く汚れた指先を見つめていた顔。一人でやったと言い張る、さっきのヨナスの声。


 ……ああ、そうか。


 それ以上は、言葉にしないでおいた。


 暖炉で、薪が小さく音を立てて崩れた。


 衣擦れの音に、私は振り返った。


 老侯爵が、目を開けていた。


 落ち窪んだ目が、ゆっくりと部屋を巡り、アデライン様のところで止まる。


「……クリスティーネ」


 アデライン様の肩が、跳ねた。


 私は、後ろに控えていたグスタフにそっと近づいた。


「クリスティーネ様、というのは」


 グスタフも、声を落として答えた。


「旦那様の、ご長女でございます」


 グスタフが、手のひらを上に向けて、壁の一角をそっと示した。


 小ぶりの肖像が並ぶ、端の一枚。


 結い上げた髪の若い女性が、こちらを見ている。目元が、アデライン様によく似ていた。


「嫁がれて十年ほど経った頃に、涸れ病で亡くなられました。もう三十年以上前になります」


 グスタフの目が、アデライン様に戻る。


「……アデライン様の、お祖母様にあたられます」


 グスタフは、そこで少し迷うような顔をした。


「クリスティーネ様は、物を書くのがお好きでいらっしゃいました。……奥様が、決してお許しになりませんでしたが」


「こっちへ来なさい」


 老侯爵の声に、アデライン様がびくりと顔を上げた。


 けれど、動けずにいる。


「聞こえんのか。こっちへ来い」


 裾を握りしめたまま、アデライン様が一歩、前に出た。


 車椅子の前で、ゆっくりと膝を折る。


 皺だらけの手が持ち上がって、結い上げた髪に触れた。


 幼い子にするように、何度も撫でる。


「読めたのか。わしの詩が」


 アデライン様は、答えられなかった。


 ただ、何度も頷いた。


「……さすが、クリスティーネだ」


 老侯爵が、目を細めた。


「また、隠れて何か書いておったろう」


 アデライン様の肩が、大きく震えた。


「隠さんでいい」


 撫でる手は、止まらない。


「……母さんには、わしから言うておく」


 グスタフの喉が、小さく動いた。


「紙に向かえば、誰も彼も、ただの書き手だ。娘だの嫁だのと言う奴には、言わせておけ」


 ふん、と鼻を鳴らす。


「お前は、わしより上手になる」


 それから、声が少しだけ低くなった。


「だから、書け。クリスティーネ」


 撫でる手が、ふと止まった。


「……書いて、よいのだ」


 アデライン様が、声を上げて泣き出した。


 取り繕うことも、隠すこともなく。ただ、子どものように。


 老侯爵は、また頭を撫で始めた。


 ヨナスが、音を立てずに一歩前へ出た。


 アデライン様のすぐ後ろで膝をつき、白い手巾を差し出す。


 私は、黙って見ていた。


 暖炉の火が、小さく音を立てた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。