↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生令嬢は今日も推理する  作者: 深見きくり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
48/50

Episode42 盗人の手に



 グスタフが車椅子を押して屋敷へ戻っていくのを、私は庭の入口まで見送った。


 肩の毛布を返そうとすると、グスタフは小さく首を振った。


「旦那様が、お嬢様にと。……どうか、そのままお持ちください」


 角灯は、グスタフが目立たぬように片付けてくれた。像の頬には、拭いきれなかった紅が、ほんのわずかに残っている。夜のうちなら、誰も気づかないだろう。


 アデライン様は、それより前に庭を去っていた。


 先に広間へ戻ります、とだけ言い残して。




 先ほど像のそばで見た黒い背中は、馬車溜まりのほうへ消えた。


 馬車溜まりの傍には、招かれた家の供の者たちが控える部屋がある。


 そこには、うちのマリアもいる。


「エラリーお嬢様?」


 控えの間を覗くと、マリアがすぐに立ち上がった。他家の侍女や従僕たちが、ちらりとこちらを見て、また目を逸らす。


 私はマリアを廊下へ連れ出した。


「マリア。少し前に、ここから外へ出ていった人はいなかった?」


「外へ、ですか」


 マリアは少し考えて、声を落とした。


「……フォルクマー家の従僕の方が、しばらく席を外していらっしゃいました。つい先ほど、戻ってこられましたけれど」


「どんな様子だった?」


「少し息が上がっておいででした。それから」


 マリアが、自分の袖口に目を落とした。


「このあたりに、赤いものが付いていて。しきりに袖を引いて、隠そうとしておいででした」


 赤いもの。


 ……像の目に塗り込められていた、あの蝋だ。


「ありがとう、マリア」


「お嬢様。……また、何か」


「大丈夫。今度は、一人で動かないから」


 マリアは、心底疑わしそうな顔をした。


  * * *


「……それで、先に俺のところへ来たと」


「約束しましたから」


「広間の中で、とも約束したはずなんだが」


 ルシアン様は、額に手を当てて、深々と息を吐いた。


「庭へ出たのか。一人で」


「……少しだけ」


「少しだけ、ね」


 呆れた声だった。けれど、私の話を最後まで聞くと、その顔が引き締まった。


「フォルクマー家の従僕か。今すぐ押さえることもできるが」


「待っていただけませんか」


 ルシアン様が、目を細めた。


「姉様の晴れの日です。できれば、騒ぎにはしたくないんです」


 それに、と言いかけて、やめた。


 庭で泣いていたアデライン様の顔が、頭から離れなかった。


「まず、わたくしに話をさせてください。その前に、確かめたいことがあるんです」


 ルシアン様は、しばらく黙って私を見ていた。


「……私も側にいる。それが条件だ」


「はい」


「今度こそ、守ってもらうぞ」


  * * *


 クラウス様は、話を聞くとすぐに頷いた。


「曾祖父の書いたものなら、一冊残らず書庫にある。案内しよう」


 宴の喧騒から離れた廊下の奥に、書庫はあった。


 壁一面の書棚に、古い背表紙がぎっしりと並んでいる。奥の一角は、まるごとアウグスティン様の作品で埋まっていた。重く分厚い本が、何十冊も。


 私が読んだ何冊かは、このうちのほんの一握りにすぎなかったらしい。


 クラウス様は棚の端から、薄い冊子を一冊、抜き出した。


「これだ。曾祖父が若い頃に、詩を寄せたという」


 受け取って、頁を繰る。


 あった。


 手紙と同じ六行。けれど、手紙にはなかったものが、一つだけ添えてある。


 詩の上に、小さく。


  妹エレノアに


 ……やはり、妹君のための詩なのだ。


 そこまでは、噂の通りだった。


 私は、冊子の最後の頁を開いた。発行の年が記されている。


「クラウス様。エレノア様が亡くなられた年は、お分かりになりますか」


「家の系図を見れば」


 クラウス様が、別の棚から分厚い帳面を下ろしてきた。指で辿りながら、頁を繰る。


「……あった。エレノア。曾祖父の妹だ」


 その下に、二つの年が書き添えられていた。


 嫁いだ年と、亡くなった年。


 私は、手の中の冊子と見比べた。


 寄稿集が出た年は、エレノア様が嫁いだ年と、同じだった。


 亡くなったのは、その数年後。


 ……おかしい。


 妹君を悼んだ詩なら、亡くなった後に書かれるはずだ。


「クラウス様、これを」


 私が指さした二つの年を、クラウス様が覗き込んだ。


「……亡くなるより、何年も前だな」


「はい。まだ、生きていらした頃です」


 妹君が、嫁いだ年。


 その年に、兄が妹へ贈った詩。


 私は、もう一度詩に目を落とした。


 乙女は紅の涙を流し、盗人の手に攫われゆく。


 亡くなった妹君を悼む詩として読めば、どこまでも悲しい。


 けれど、嫁いでいく妹に贈った詩として読んだら。


 ……だとしたら、盗人とは。


「クラウス様。エレノア様が嫁いだお相手のことは、何かご存知ですか」


 クラウス様は、系図に目を落としたまま、首を振った。


「名前が書いてあるだけだ。曾祖父の若い頃のことは、ほとんど知らない」


 少し考えてから、言い添えた。


「グスタフに聞いてみるといい。この家に、誰よりも長く仕えている者だ」


  * * *


 グスタフを探して、エレノア様が嫁いだお相手のことを尋ねた。


「エレノア様の、ご夫君でございますか」


 グスタフは、少し遠くを見るような目をした。


「わたくしがお仕えし始めた頃には、エレノア様はもう亡くなっておいででした。ですが、ご夫君はその後も、折々にお見えになりました」


「旦那様とは、学生の頃からのご友人だったと伺っております。お顔を合わせれば、いつも言い合いばかりしておいででした。……それでいて、お帰りの際には、旦那様は必ず門まで見送りに出られたものです」


 グスタフは、そこで少し言葉を切った。


「……その方も、もう二十年ほど前にお亡くなりになりました」


 友人。


 庭で、老侯爵は言っていた。


『あいつは、どこへ行った。花嫁を、こんなところで一人で泣かせおって』


 老侯爵の言う「あいつ」とは、その友人のことなんだろう。


 二十年も前にいなくなった友人を、老侯爵は探していたんだ。


 悲しい詩でも、不吉な詩でもない。


 口の悪い兄が、妹と親友に贈った、祝いの詩だ。




 話をする場所を貸してほしいと頼むと、グスタフは少し考えてから言った。


「旦那様のお部屋でしたら、宴の最中に訪ねてくる方はおりません」


 通された部屋は、暖炉の火が小さく揺れていた。


 老侯爵は、車椅子に身を預けたまま眠っている。


 そして、その向こうの壁に、一枚の肖像画が掛かっていた。


 絵の中にいたのは、微笑んでいるご令嬢だった。


 深い緑のドレスを着て、髪の色は、私のものとよく似ていた。


 ……エレノア様。


 しばらく、その絵から目を離せなかった。


 扉が叩かれた。


 グスタフに伴われて、アデライン様が入ってくる。


 その後ろに、痩せた従僕が一人、従っていた。


 広間で、主に倣って小さく頭を下げた男だ。袖口を、きつく引き下ろしている。


 扉が閉まる。外には、ルシアン様が立っているはずだ。


「お呼び立てして、申し訳ありません」


 私は、アデライン様に向き直った。


「今日の宴で起きたことについて、お話ししたいことがあります」


 アデライン様は、何も言わなかった。


 背筋を伸ばし、微笑みを浮かべて、ただ私を見ている。庭で見せた顔は、もうどこにもなかった。


「数日前、姉様のもとに差出人のない手紙が届きました。古い詩が一篇、書き写されていただけの手紙です」


 花は枯れ、鐘は鳴らず、乙女は紅の涙を流す。


「今日、その詩のとおりのことが起きました」


 私は、一つずつ話していった。


「姉様たちの卓の周りの花だけが、枯れていました。花瓶の水に、灰汁が混ぜられていたんです。今朝、花の水替えを手伝ったのは、フォルクマー家の従僕の方だったと聞きました」


 アデライン様の微笑みは、崩れなかった。後ろの従僕も、目を伏せたまま動かない。


「姉様の席の前には、舌を抜かれて鳴らない呼び鈴が置かれていました」


 そこで、一度言葉を切った。


「それから、庭の像です。宴の初めに、わたくしはアウグスティン様の隣で、あの窓から庭を見ました。そのときは、像のあたりに明かりなど一つもありませんでした」


 庭の像、と言ったとき、アデライン様の指先が、ほんのわずかに動いた。


 庭では、赤く汚れていた指だ。今はもう、きれいに拭われている。


「後になって見たときには、像の手に角灯が提げられていました。目には赤い蝋が塗り込められて、下からの熱で、ゆっくり溶け出すように」


 私は、アデライン様の目を見た。


「その像の傍から、馬車溜まりのほうへ去っていく人を見ました」


 それから、従僕のほうへ目を移す。


「……後で、控えの間にいた者に確かめました。戻ってきたフォルクマー家の従僕の方の袖口には、赤いものが付いていたと聞きました」


 像の目に塗り込められていた、あの蝋と同じ色のもの。


 話し終えると、部屋が静かになった。


 暖炉の火の、はぜる音だけがする。


「……わたくしの従僕を、お疑いですのね」


 アデライン様が、静かに言った。


「はい」


 私は、従僕の袖口に目を向けた。


「確かな証拠と言えるのは、今はまだ、その袖口だけです。見せていただけませんか」


 従僕の手が、袖口をきつく握りしめた。


「それには、及びませんわ」


 アデライン様が、半歩前に出た。従僕を、背に庇うように。


「仮にこの者が何かをしたのだとしても、手紙とは──」


「お嬢様」


 低い声が、アデライン様の言葉を遮った。


 従僕が、一歩前に出ていた。


「ヨナス」


 アデライン様の声が、初めて揺れた。


 従僕は、主のほうを見なかった。私に向かって、深く頭を下げた。


「すべて、私が一人でいたしました」


「ヨナス、黙りなさい」


「花も、呼び鈴も、庭の像も。……それから、セレナ様にお送りした手紙も」


 従僕は顔を上げて、まっすぐに私を見た。


 ふと、庭で聞いたアデライン様の声が、耳によみがえった。


『どうして、こんなことまで』


 ……こんなことまで?


「……違います」


 アデライン様の声だった。


 ヨナスの肩が、びくりと震えた。


「お嬢様」


「違うわ、ヨナス」


 アデライン様は、もう微笑んでいなかった。


 まっすぐに私を見て、言った。


「手紙を書いたのは、わたくしです」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。