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転生令嬢は今日も推理する  作者: 深見きくり


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Episode40 乙女の涙



 ルシアン様は、広間の隅の同じ場所にいた。


 私が近づくと、すぐにこちらへ目を向けた。それから、わずかに眉を上げる。


「……眼鏡?」


「気合いが入るんです」


「そうか」


 それ以上は聞かれなかった。ありがたい。


「何かあったんだね」


「はい」


 私は、握りしめていた呼び鈴を差し出した。


「主賓の卓の周りの薔薇が、枯らされていました。花瓶に灰汁を入れられて」


「灰汁?」


「洗い物に使う、あれです。それから、これ」


 呼び鈴を、軽く振ってみせる。音は鳴らない。


「中の舌が、抜かれていました。姉様の席の、真正面に置いてあったんです」


 ルシアン様が、眉を寄せた。


「あの手紙の詩、覚えていらっしゃいますか」


「花は枯れ、鐘は鳴らず、だったか」


「はい」


 私は、声を落とした。


「どうも、誰かが詩の見立てをしているみたいなんです」


「見立て?」


「詩に書かれたことを、ひとつずつなぞって起こしているんです。花を枯らして、鐘を鳴らなくして」


 見立て。


 前世で読んだ推理小説に、よく出てきた言葉だ。まさか自分が口にする日が来るとは思わなかった。


 言ってから、手の中の呼び鈴に目を落とした。


「……鐘というには、ずいぶん小ぶりですけれど」


「宴の席に、鐘は置かないからな」


 ルシアン様が、少しだけ口の端を上げた。けれど、目は笑っていなかった。


 呼び鈴を受け取って、中を覗く。それから、主賓の卓のほうへ目をやった。


「……花のことは、気づかなかった」


「侯爵家の方が、すぐに取り替えてしまわれましたから」


「詩の順に、か」


 ルシアン様の声が、少しだけ低くなった。


「次は、乙女が紅の涙を流す」


「はい」


「セレナ嬢のことだと思うかい」


「……分かりません。でも、この宴で乙女と言えば」


「そうだな」


 ルシアン様は、呼び鈴を懐にしまった。


「俺はセレナ嬢の傍にいる。クラウスにも伝えておく。……エラリー嬢は」


「わたくしは、花のことをもう少し調べます」


「広間の中で、だな」


「はい」


「広間の中で、だ」


 念を押された。

 


  * * *



 厨房へ続く扉の近くで、年配の給仕を捕まえた。先ほど花を下げていた人たちの、まとめ役のようだった。


「今朝、花の支度をなさったのは、こちらのお屋敷の方だけですか」


「はい、私どもで。……ああ、いえ」


 給仕が、少し考え込んだ。


「ご親類の方から、お手伝いにお一人来てくださっていました。何しろ人手が足りませんで」


「ご親類の」


「はい。どちらのお家の方だったか……」


 給仕は首を傾げ、それから思い出したように小さく頷いた。


「フォルクマー伯爵家でございます。花の水替えなども、よく動いてくださいまして」


「どなたが」


「従僕の方でございます。お嬢様付きの」


 ……お嬢様付き。


「主賓の卓も、その方が?」


「卓の支度は、皆で。……何か、ございましたか」


「いいえ。花がとても綺麗だったので、どなたのお仕事かと思って」


 給仕は、少し誇らしげに頭を下げた。



  * * *



 フォルクマー家。


 アデライン様の家だ。


 萎れた薔薇を見て、考え込んでいた顔を思い出す。


 アデライン様のことをクラウス様のはとこ、とお母様は言った。


 ……アデライン様にとっても、老侯爵は曾祖父にあたる。


 老侯爵の作品は、リンデンベルク家にはあるだろう。けれど、フォルクマー家も親戚なのであれば、曾祖父の本が家にあったとしてもおかしくはない。


 親類の従僕が、支度を手伝った。それだけのことだ。身内の祝いなら、当たり前のことでもある。


 けれど。


 顔を上げて、広間を見渡した。


 アデライン様を、探す。


 いた。


 窓際に、一人で立っていた。外を見ている。


 その背中が、ふいに強張った。


 窓枠に手をかけて、庭の一点を見つめている。


 次の瞬間、彼女は踵を返した。人の間を縫うようにして、広間の出口へ向かっていく。足早に。けれど、走りはしない。宴の最中に令嬢が走れば、誰かが必ず振り返るから。


 庭の、どこを見ていたのか。


 窓の外を見ていた、老人の横顔を思い出した。


 ずっと、庭の像を見ていた。


 生垣に半ば隠れた、女神の彫像。


 ……乙女は、紅の涙を流し。


 乙女とは、姉様のことではないのかもしれない。


 ルシアン様のほうを見た。姉様の傍に立って、クラウス様に何か耳打ちしている。


 呼べば、あの場を離れさせることになる。


 私は、アデライン様の後を追った。


 一人で突っ走らないこと。


 ……約束は、覚えている。


 覚えているのと守るのとは、また別の話なのだ。



  * * *



 庭に出ると、夜気がひやりと頬に触れた。


 広間の喧騒が、背中で遠ざかっていく。噴水の音だけが、やけに大きく聞こえた。


 生垣の向こうに、ぼんやりとした明かりが見える。


 ……さっき窓から見たときは、あそこに灯りなどなかったはずだ。


 足を速める。


 生垣を回り込もうとしたとき、向こう側で砂利を踏む音がした。


 誰かが、足早に遠ざかっていく。


 生垣の切れ目から、一瞬だけ、黒い背中が見えた。馬車溜まりへ続く小径のほうへ、闇に紛れるように消えていく。


 顔までは、見えなかった。


 追うべきか、一瞬迷った。


 私は、生垣を回り込んだ。


 女神の像が、そこに立っていた。


 胸の前で組まれた像の両手に、小さな角灯が一つ提げられている。下から照らされた白い石の顔を、何かが伝っていた。


 両の目から、頬へ、顎へ。


 赤い筋が、ゆっくりと流れ落ちている。


 その前に、アデライン様が立ち尽くしていた。


 アデライン様の手が、ふらりと持ち上がった。


 震える指先が、像の頬に触れる。流れ落ちる赤いものを、拭おうとするように。


 指が、赤く染まった。


「……どうして」


 かすれた声だった。


 誰に向けたものなのか、分からない。像にか、ここにいない誰かにか。


「どうして、こんなことまで……」


 指先を見つめたまま、アデライン様の膝が、かくりと折れかけた。


 私は、思わず一歩踏み出した。


 足元で、砂利が鳴った。


 アデライン様が、弾かれたように振り返る。


 角灯の明かりが、その顔を下から照らした。


 今にも崩れてしまいそうに、歪んだ顔だった。



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