Episode30 倒れた男
お姉様の婚約披露パーティーが、いよいよ、来月に迫っていた。
「エラリーにも、ちゃんとした格好をしてもらわないと。当日は、わたくしに、ずっと付き添ってもらいたいの」
セレナお姉様が、そう言って、ふんわりと微笑んだ。
「わたくしのドレスは、侯爵家で、もう仕立てを手配してくださって――あとは出来上がりを待つばかりよ」
うっとりと、頬を染める。
「クラウス様が、生地選びにまで付き合ってくださって。あの方、そういうところ、本当に細やかで――素敵でしょ」
お姉様はのろけないと気がすまないようだ。
「エラリー、あなた、今まで何も準備していなかったのでしょう? わたくしのドレスとの釣り合いを考えると、今からお仕立てじゃ、とても間に合わないわ」
お姉様が、少し呆れたように言った。
「既製のもので、十分ですし…」
数えるほどしか、袖を通していないドレスも、まだあるのに。
前世の感覚だと、もったいない気がしてしまう。
「だめよ。既製品のままだなんて。……メゾン・ヴェルニエで、多少見劣りしないものを見繕って、サイズだけ直していただきましょう」
母様が、そう助け舟を出してくれた。
「あちらのお店なら、既製のラインでも、十分見応えがあるはずですもの」
そんな流れで、既製のドレスを、メゾン・ヴェルニエで見繕ってもらうことになった。
王都の令嬢たちが、今、一番、通いたがっている店だという。
店内に足を踏み入れると、既に、幾人かの令嬢たちが、生地見本を前に、あれこれと相談していた。
落ち着いた店構えながら、その活気は、噂に違わなかった。
……予約を取るだけでも、一苦労だと聞いていたけれど。
王都で今、一番人気の店だというのも、頷ける賑わいだった。
一通り選び終える頃には、すっかり、日が傾きかけていた。
「少し、休みましょうか」
母様の提案で、近くのカフェに立ち寄る。
窓際の席に座り、注文を終えた頃、通りの向こうが、なにやら騒がしいことに気づいた。
「まあ、何かしら」
母様が、そちらへ目を向けた。
「見てまいります」
マリアが、そう言って、席を立った。
しばらくして、戻ってきたマリアが、少し声を潜めて言った。
「――大柄な男性が、倒れているようです」
母様たちが、心配そうに眉をひそめる中、不謹慎にも、胸の奥が、わずかに高鳴った。
「わたくし、少し見てまいりますわ」
母の制止も待たず、席を立った。
人だかりをかき分けるようにして、近づく。
……何か、事件かもしれない。
そう思うと、自然と、足取りが速くなった。
うつ伏せに倒れた、大きな体が見えた。
薄茶色の髪。伸びっぱなしの、もみあげから顎まで繋がった髭。
着ている服は、薄汚れ、あちこち擦り切れていたが、仕立て自体は、悪くないように見えた。
……ただの、行き倒れ、ではなさそうだ。
体格だけ見れば、屈強な傭兵か、猟師のようにも見える。
誰も近づこうとはせず、遠巻きに様子を窺っているだけだった。
肩の上で、フィンが、不意に身を乗り出した。
「――お、なんだ、この感じ」
鼻先を、くんくんと動かすように、そちらへ向ける。
「なんか、すげぇ気持ちいい気配がする」
これまで聞いたことのない、弾んだ声だった。
「フィン?」
「わかんない。……でも、この人、何か、いいもの持ってる気がする」
フィンが、男の懐のあたりを、じっと見つめながら、そう呟いた。
しゃがみ込んで、様子を窺う。
「もしもし、大丈夫ですか?」
肩を叩いてみたが、男は、うっすらと目を開けて焦点が合っていない。
乾いた唇が、かすかに動いた。
「……め……し……」
「……え?」
思わず、耳を近づける。
「めし……くれ……」
「……お腹が、空いていらっしゃるんですの?」
思わず、拍子抜けした声が出た。
呆れつつ、放っておくわけにもいかず、給仕を捕まえて、パンとスープを頼む。
しばらくして、追いついてきた母様が、その光景に、目を丸くした。
「まあ、エラリー……」
湯気の立つスープが運ばれてくると、男は、震える手で、それを掴むように受け取った。
「――すまん、助かる」
夢中で、かき込むように、口へ運ぶ。
ひとしきり食べ終えると、男は、大きく息をついた。
「いやぁ、生き返った。……いかんな、研究に夢中になってると、飯食うの忘れちまう」
けろっとした調子で、そう言う。
……深刻に心配していたのが、馬鹿らしくなるくらいの、元気さだった。
そんなやり取りをしていると、通りの向こうから、紺の制服を纏った男が、こちらへ足早に近づいてきた。
「――何かあったのですか」
よく通る声だった。
振り返ると、日に焼けた精悍な顔立ちに、意志の強そうな金の瞳。
「ルシアン様?」
思わず、名前が口をついて出た。
誰かが警邏隊を呼んでいたらしい。
「エラリー嬢……こんなところで、何を?」
ルシアンが、少し驚いたように、こちらと、地面に座り込んだ男を、交互に見た。
「行き倒れていらっしゃった方に、少し、お食事を」
手短に、事情を説明する。
「なるほど……失礼、怪我などは?」
ルシアンが、大柄な男に向き直り、屈み込んで、様子を尋ねた。
「いや、腹が減ってただけだ。すまんな、騒がせちまって」
大柄な男は、悪びれもせず、そう答える。
「――お名前を、伺っても?」
ルシアンが、警邏隊らしい調子で、問いかけた。
「バルナバス、研究者だ。」
「なぜこんなところに?」
「……マナ含有植物の汎用栽培技術の実証と、その臨床応用について、王室に報告に来た」
おそらく、なぜここで倒れていたか聞いたルシアンに少し角度の違う返答が早口で返ってきた。
「……は?」
ルシアンの頭の上に、大量の「?」が浮かんでいるのが、見えるようだった。
「あー……つまり、涸れ病に効く薬の、手がかりを見つけたから、王室に、金を出してもらいに来た。それだけだ」
バルナバスが、面倒くさそうに、噛み砕いて言い直した。
「――涸れ病、ですって?」
母様が、思わず、声を上げた。
ルシアンも、驚いたように、目を見開いていた。
「それは、確かな話なのですか?涸れ病は、不治の病です。……それが本当なら、大変なことですよ」
低い声で、そう零す。
「行き倒れていらしたのですし、このまま放っておくわけにも参りませんわ」
母様が、そう言って、バルナバスに、目を向けた。
「本来でしたら、我々の方で、身柄をお預かりするのですが……」
ルシアンが、慎重に、そう切り出した。
「涸れ病の件も含めて、こちらとしても、詳しく、お話を伺いたく」
「あら」
母様が、やんわりと、口を挟んだ。
「王城に上がるおつもりのようですし、 このお姿で参られては、まともに、取り合ってもらえませんわ」
バルナバスの、薄汚れた身なりを、ちらりと見やる。
「うちで、お風呂と、身なりを整えて差し上げますわ。その方が、そちらにとっても、都合がよろしいのではなくて?」
もっともらしい理屈に、ルシアンが、わずかに、言葉に詰まった。
「……確かに、そうですね」
渋々といった様子で、頷く。
「……承知しました。ただし、お話は必ず伺います」
律儀に、一礼した。
「俺は、飯と風呂にありつけるなら、正直、どっちでもいいぞ」
当のバルナバスは、話の蚊帳の外で、けろっと、そう零していた。
「まあ、大変だわ。……今日は、ローウェンさんに屋敷まで来ていただく約束をしていたんだわ」
母様が、はっとしたように、そう言った。
「――え?」
思わず、声が漏れた。
「あら、言っていなかったかしら」
母様は、あっけらかんと、そう返した。
……この間、少しばかり、やり合った手前、気まずいのに。
肩の上で、フィンが、ぎょっとしたように、身を強張らせた。
「え、あいつ来んの? 今日はどっちだ?」
小声で、そう零く。
「あの、母様。わたくし、もう少し、バルナバスさんに、お話を伺ってから――」
「だめよ」
母様が、ぴしゃりと、そう遮った。
「ローウェンさんは、今、大変な人気なんですよ。そんな中あなたの宝飾選びのために、わざわざお時間を作って頂いたのよ」
「で、でも……」
「バルナバスさんのことは、ちゃんと、屋敷にお連れするから。心配いらないわ」
有無を言わさぬ調子で、そう言い切ると、母様は、さっさと、馬車の手配を始めてしまった。
……逃げ場は、なさそうだった。




