Episode29 探究者
週末は、あっという間にやってきた。
馬車に揺られながら、リゼット様と、他愛のない話をする。
でも、頭の片隅では、ずっと、今日という日の意味を、考え続けていた。
……ユリウェンは、何を、狙っているのか。
そんなことを悶々と考えているうちに、アッシュフォード家の門が見えてきた。
屋敷は、伯爵家にしては、静かな佇まいだった。
華美な装飾は少なく、どこか、療養のための場所という空気が漂っている。
通されたのは、日当たりのいい客間だった。本棚には、隙間なく本が並んでいる。
「ユリ、連れてきましたわよ」
リゼット様が、案内された部屋の扉を、軽やかに開けた。
窓辺の寝椅子に、線の細い青年が、寄りかかるように座っていた。
銀の髪。紫の瞳。
ローウェンの顔を、少し幼くしたような、面立ち。
……素顔は、こちらなのか。
ローウェンとして会う時は、化粧か何かで、実際より年嵩に見せていたのかもしれない。
そう気づくと、妙に、腑に落ちるものがあった。
「いらっしゃい。エラリー嬢ですね」
ユリウェンが、ゆっくりと、体を起こした。
その仕草には、商人ローウェンの時のような、隙のなさは、微塵も感じられなかった。
儚げで、どこか線の細い、療養中の貴公子。
……見事なものだ。
内心で、そう舌を巻いた。
「エラリー・フォン・ベルナードです。お招きいただき、ありがとうございます」
努めて、にこやかに、頭を下げる。
「ユリウェンです。体が弱く、あまり動き回れないもので……こうしてお招きする形になってしまい、申し訳ない」
困ったように、微笑む。
……堂に入った、演技だった。
ユリウェンは、紅茶を勧めてきた。
その後は、当たり障りのない会話が続いた。天気の話、最近の社交界の噂、リゼット様の近況。
ユリウェンは、聞き上手だった。相槌の打ち方、話を広げる間の取り方、どれも自然で、警戒心を解かせるような、絶妙な緩さがある。
「そういえば」
思い出したように、そう切り出してみる。
「最近、商会関係の方とお話しする機会が多くて」
唐突な話題転換に、リゼット様が、きょとんとした顔をした。
「商会……?」
「ええ。中に、少し気になる方がいて」
言いながら、相手の反応を、注意深く窺う。
「ローウェン様、という宝飾商の方なのですけれど。……ユリウェン様は、ご存知かしら?」
まっすぐに、その目を見て、問いかける。
ユリウェンの表情は、変わらなかった。
でも、その視線だけが、わずかに、鋭さを増した気がした。
「……名前くらいは。社交界で、噂になっているようですから」
「まあ」
にっこりと、笑ってみせる。
「あまりお外に出られないのに、社交界の噂は、ご存知ですのね」
一瞬、部屋の空気が、ぴんと、張り詰めた気がした。
「……リゼットが、色々と、話してくれるので」
ユリウェンは、穏やかな笑みを、崩さなかった。
「ええ、わたくし、ユリにはなんでもお話ししてますの」
リゼット様が、無邪気に、頷いた。
その一言で、張り詰めた空気が、少しだけ、緩んだ。
「その方、少し、不思議なんです」
構わず、続ける。
「ご家族も、ご友人も、学校に通われた経歴も、何も、見つからなくて」
じっと、その目を見つめる。
「まるで、ある日突然、この世に現れたみたいに。……不思議でしょう?」
小首を傾げて、微笑んでみせる。
ユリウェンは、驚いた様子も見せず、むしろ、口の端を、微かに、持ち上げた。
「――お詳しいんですね」
「趣味なんです。気になったことは、つい、調べてしまう性分で」
「それで、答えは見つかりましたか?」
ユリウェンが平然と聞いてきた。
……試してるの?
油断すれば、こちらの手の内まで、探られかねない。
そう思い、内心、気を引き締め直していた、その時だった。
「リゼット様、少々よろしいでしょうか」
控えていた侍女が、そっと、耳打ちするように、そう告げた。
「あら、何かしら」
侍女と二言三言、言葉を交わすと、リゼット様は、こちらに向き直った。
「ごめんあそばせ、少し席を外しますわね。すぐに戻りますから」
そう言って、部屋を出て行った。
扉が閉まる。
二人きりになった部屋に、静けさが落ちた。
ユリウェンが、ゆっくりと、紅茶のカップを傾ける。
その視線が、ふと、こちらの肩の辺りで――フィンのいる位置で、一瞬、止まった。
……見えて、いる?
「……気のせい、だよな」
フィンが、小さく羽を震わせながら呟いた。
気のせいだと、思い直す。
「――目的は何なんです?」
エラリーは、意を決して、まっすぐにユリウェンを見据えた。
「周到に正体を隠し、商会を大きくして、いったい何を企んでいるのですか」
ユリウェンは、驚いた様子も見せず、静かに紅茶のカップに視線を落とした。
「そんな大層なものじゃないですよ。――目的を言うなら、目の前の疑問を解消したいだけで」
「疑問、ですか?」
「ええ。この屋敷には、古今東西の専門書、それも滅多に手に入らない古い文献まで、数多あります。でも、どれほど本を読んでも、外の世界の『本当のこと』は文字の裏に隠されたままだ。その一つ一つに謎があって、それを自分自身の目で確かめたくなるんです」
ユリウェンは顔を上げ、エラリーの目を、まっすぐに見据えた。
「それらを解明していくためには、ただの病弱な貴公子でいるより、商人の身分がとてもちょうどよかった。それなりに商才があったものですから、気づけば商会も大きくなっていました。――それだけの話です」
淡々と告げられた、その動機に、エラリーは言葉を失った。
「……それだけの理由で?」
「あなたも、自分が気になったことは放っておけない性分でしょう? 危険を承知でここまで嗅ぎ回るなんて、好奇心が旺盛すぎる。……私と、同じですよ」
その言葉に、背筋が凍るような思いがした。
図星だった。
エラリーは、わずかに息を詰まらせ、何も言い返すことができなかった。
「……あなたの言う『好奇心』は、分かる気がします」
絞り出すように、そう答えた。
「でも、興味本位だからって、許されることではありませんわ。パトリシア夫人にされたことも、リゼット様に運命の人だなんて吹き込んだことも。……それだけでは、片付けられない気がします。」
しばらく、沈黙が落ちた。
ユリウェンは、カップを、静かにソーサーへ戻した。
「――面倒なことは苦手なんですよ」
ぽつりと、そう零した。
「面倒……?」
「言い訳をすれば、パトリシア夫人は少し前から、ローウェン―…まぁ私に随分と入れ込んで⋯、何かにつけ呼び出されていました。実のない話に付き合わされて、商談になることは一度もない。……ああいう時間は、どうにも苦手で」
淡々と、そう続ける。
「だから、少し、仕掛けを。二度と、顔を見なくて済みます」
悪びれもせず、そう言い切る。
「リゼット様は……?」
「彼女は少し、違いますね」
ユリウェンは、わずかに、目を伏せた。
「彼女も、放っておくと、しつこく構ってくる。……ただ、腐っても、従妹だからね。別に切り捨てるつもりは無いんですよ」
「だから、運命の人だなんて……」
「ああ言えば彼女は私以外に、目を向けるようになるかと思って――まあ、そう都合よく運ぶとは、思っていなかったけどね」
ユリウェンは、小さく、肩をすくめた。
「うまくいけば、それでよし。うまくいかなくても、別に、困らない。……たまたま、都合のいい方に転がっただけで。ガレスは予想外でしたがね」
ユリウェンは困ったように笑うと、ふと、思い出したように、こちらへ、目を向けた。
「――ああ、そうだ。エラリー嬢には、感謝してるんです」
「……感謝?」
「リゼットが、あなたに夢中になってくれているおかげで、私は、随分と楽をさせてもらっています」
穏やかに、そう続ける。
「……おかげで、私も本来やるべきことに集中できます。」
ユリウェンの笑みは、どこまでも、穏やかだった。
「――お待たせいたしましたわ」
扉が開き、リゼット様が、頬を膨らませながら、戻ってきた。
「もう、大したことじゃありませんでしたのに。侍女ったら、大げさに呼びに来て」
ぶつぶつと、そう零す。
何事もなかったかのように、ユリウェンが、穏やかな笑みを、こちらへ向ける。
「エラリー様も、退屈ではなかったですか? ユリと、何を話していらしたの?」
「……最近流行りのお芝居の話を、少し」
さらりと、そう答える。
ユリウェンは、紅茶に口をつけながら、小さく笑った。
「まあ、お芝居!」
リゼット様の目が、途端に、輝いた。
「わたくし、流行りのお芝居は、大抵見ておりますのよ。今度、その話、わたくしも混ぜてくださいませ」
身を乗り出さんばかりに、そう詰め寄ってくる。
平静を装いながらも、内心では、まだ、鼓動が収まらずにいた。
「今日は、ありがとうございました」
玄関先まで見送りに来たユリウェンに、そう声をかける。
「こちらこそ。また、いらしてください」
穏やかに、微笑む。
「送っていきますわね」
リゼット様が、そう言って、馬車まで案内してくれた。
馬車が動き出す。
フィンが、肩の上で、ぼそりと呟いた。
「何考えてるんだか、全然わかんねぇ。ああいうの、苦手だわ」
窓の外で、小さくなっていく屋敷を見つめながら、ふと、思った。
……また、会う気がする。
それが、良い縁なのか、悪しき因縁なのか。
自分でも、よく分からなかった。




