閑話 或るシスターの回想
※ランドールが女の敵すぎて作ってしまった設定です。
かなーり暗いです。
雪の降る夜。
石造りの冷気が、毛布の上からでも容赦なく身体の芯を冷やしていく。
手元を照らすのは、溶けかけて芯が揺れる、一本の頼りない蝋燭だけ。
吐く息は白く、手先は凍えて感覚が鈍い。
それでも、私は机に向かい、羊皮紙にペンを走らせる。
もう何度目かの、この作業。
過去を振り返ることでしか、今の自分と、向き合えなかった。
あの時の私は――
リゼットさんを見るたびに、いつも、胸の奥が、ちくりと痛んでいた。
あんな風に、堂々と殿方に声をかけられたら。
わたくしには、とても、真似できなかった。
物怖じせず、まっすぐに、想いをぶつける。
断られても、けろりとした顔で、また、次の相手を探しに行く。
……羨ましかった。
素直に、そう思ってしまう自分が、今思えば、少し、嫌だった。
そんな鬱屈を抱えながらも、わたくしには、心のよりどころがあった。
ランドール様を慕う令嬢たちの、あの集まりだった。
取り巻きの一人として、稽古の後の中庭や、稽古の合間の回廊など、ランドール様のいらっしゃる場所には、いつも、誰かしらが顔を出していた。
わたくしも、その輪の中にいることが、当たり前になっていた。
「今日は、たしか、午後から剣術の稽古がある日ですわ」
そう言って、稽古場の見える回廊に、皆で足を運ぶ。
遠目に眺めるだけの、何でもない時間。
それでも、皆で、何時間でも語り合えた。
誰かに、必要とされている。
その場所にいるための、自分の役割がある。
……それが、たまらなく、嬉しかった。
だからこそ、リゼットさんの存在は、余計に、疎ましかった。
せっかく皆で守り抜いてきた「秩序」を、彼女ひとりが、いとも容易く乱していく。
そのことが、許せなかった。
だから余計に、リゼットさんの噂を、聞かれるたびに大袈裟に、話してしまったのだと思う。
「あの方、本当は、もっと、酷いことをなさっているのよ」
そう言うたび、少しだけ気持ちが晴れた気がしていた。
そういえば、以前、リゼットさんが眠れない夜が続いていて、誰かから特別なハーブを貰った、と話していたのを思い出した。
……それも、ちょうどいい噂になるだろうと思い、誇張して言いふらした。
「殿方を虜にするために、怪しいお薬を使っているらしいですわ」
そう言えば、余計に、真実味が増す気がしていた。
リゼットさんに、ランドール様は最初こそ、少し心動かされているように見えた。
でも、いつしか、そんな素振りも見せなくなった。
……やっぱり、ランドール様は、見た目に惑わされない、誠実な方なんだわ。
そう、勝手に思い込んでいた。
本当のところ、ランドール様が、どう感じていたのかなんて、わたくしには、分かりようもなかったのに。
「わたくしたち、ランドール様には、誰も抜け駆けしないって、決めておりますの」
いつも、そう、皆で口を揃えて言っていた。
でも、リゼットさんが離れた今なら。
……今なら、少しくらい、いいんじゃないかしら。
そんな考えが頭をよぎるようになった。
ある日、皆に内緒で、ランドール様に手紙を書いた。
「今度お茶でもご一緒しませんか」
震える手で、そう書き綴った。
返事が来た時、心臓が飛び跳ねるかと思った。
「では来週の午後、庭園で」
短い返事だったけれど、それだけで十分だった。
当日、精一杯めかしこんで庭園へ向かった。
ランドール様は、少し驚いたような顔をしたけれど、優しく微笑んでくれた。
他愛のない話をしながら、お茶を飲んだ。
「君と話す時間は楽しい。また機会があれば、お茶でもしよう」
その言葉だけで、胸がいっぱいになった。
……夢のような時間だった。
でも、夢は長くは続かなかった。
2,3週間後、いつもの集まりで、皆の視線がいつもと違うことに気づいた。
「ローザンヌ様」
一人が静かに、そう呼びかけてきた。
「先日、ランドール様とお二人でお茶をされたとか」
心臓が跳ねた。
「あの……それは」
「わたくしたち、抜け駆けはしない、と約束していましたわよね」
その声にはこれまでにない冷たさがあった。
「そ、それは、たまたま、庭園でお会いして……お誘いくださったのは、ランドール様の方で」
必死に嘘を並べ立てる。
「わたくしから、誘ったわけでは……」
言いながら、皆の目が少しも和らがないことに気づいた。
「……せっかくお誘いくださったのに、お断りする方が、失礼かと思って」
つい、そんな言葉が口をついて出た。
場の空気が、一段と冷たくなった。
もう言い逃れる余地はなかった。
「ご、ごめんなさい……」
謝ることしか、できなかった。
でも、一度崩れた信頼は、簡単には戻らなかった。
それから、集まりに顔を出しても、誰も目を合わせてくれなくなった。
会話の輪から、静かに、外されていった。
「今日は、この後、皆でお茶に行きますの」
そう言われて、自分だけが誘われていないと気づくのに、時間はかからなかった。
……こんなこと、望んでいたわけじゃなかったのに。
孤独感が、日に日に増していった。
そんな中でも、唯一の支えは、ランドール様との時間だった。
でも、その様子も、少しずつ、変わっていった。
「今日は、少し忙しくて」
会う約束をしても、断られることが増えていった。
顔を合わせても、以前のような、柔らかい微笑みは無かった。
……どうして。
理由が、分からなかった。
ただ、少しずつ、突き放されているように感じていた。
その理由を、考えることさえ、できなかった。
それでも、集まりに、顔を出すことだけは、やめられなかった。
誰にも、歓迎されていないと、分かっていても。
わたくしの分だけ、お茶が後回しにされても。
それでも、そこにいれば、いつか、また以前のように。
そんな、淡い期待を捨てられなかった。
友人と呼んでいた彼女たちは、わたくしの悪口を、わたくしの前で口にするようになった。
ランドール様との時間もだんだん少なくなっていて様子もおかしい。
……なんで、こんなことになってしまったのだろう。
わたくしは、ただ、想っていただけなのに。
日を追うごとに、心の中で、何かがすり減っていった。
そんなある日、街中で、ランドール様の姿を見かけた。
隣には、見知らぬ美しい令嬢がいた。
楽しそうに、笑いあっていた。
その光景に、頭の中が、真っ白になった。
……わたくしを、避けていたのは、あの子のためだったのね。
気づけば、足は、二人の元へと向かっていた。
「ランドール様」
声をかけると、二人が驚いたように振り返った。
「ローザンヌ嬢……」
戸惑うような、その表情。
……ああ、やっぱり、迷惑だったのね。
わたくしなんて、要らないのね。
その瞬間、頭の中の何かが、ぷつりと切れた。
震える手が、外出用に持たされていた護身用の小さなナイフに触れた。
気づけば、それを握りしめていた。
「ローザンヌ嬢、それは……」
ランドール様の顔が、みるみる青ざめていった。
でも、もう止まれなかった。
「どうして……! わたくしが、こんなに想っているのに……!」
叫びながら、刃を振り上げていた。
ランドール様は、咄嗟に両手で、それを受け止めようとした。
鈍い感触と共に、掌から、血が滲んだ。
「うああ……!」
ランドール様の苦悶の声が、辺りに響いた。
その瞬間、我に返った。
手のひらに、ぬるりとした感触があった。
見れば、ランドール様の血が、指の間から、伝っていた。
……赤い。
……何を、してしまったのだろう。
震える手から、ナイフが滑り落ちた。
周囲から、悲鳴が上がった。
騎士たちが、駆けつけてきた。
その光景を、まるで、他人事のように、眺めていた。
事件は、瞬く間に、社交界中に、知れ渡った。
ランドール様は、あの時、庇った右手に、傷を負ったと聞いた。
運悪く神経を傷つけてしまい、以前のように剣を握ることも出来なくなったという。
そのことを知った時、初めて、自分がしたことの重さに、押し潰されそうになった。
聞いた話では、ランドール様は、あの一件以来、女性を前にすると、以前のような朗らかさを失ってしまったという。
どこか怯えたような、翳りのある雰囲気を纏うようになった、と。
取り巻きだった令嬢たちも、そんな変化を前に、次第に離れていったらしい。
わたくしの家は、多額の慰謝料を支払った上、二度と表舞台に出さないことを、誓約させられた。
事件の数か月後、わたくしは北の地の山奥にある教会に、身を寄せることになった。
厳しい寒さの中、静かに、祈りを捧げる日々。
それが、これから、ずっと続いていくのだと思うと涙も出てこなかった。
……こんな結末になるなんて、思ってもみなかった。
ただ、想いを、伝えたかっただけなのに。
窓の外に降る雪を、ぼんやりと眺めていた。
ペンを置く。
今日も、こうして、過去を書き記した。
気づけば、唇の端が、ほんの少しだけ持ち上がっていた。
嬉しいわけではない。
それでも。
あの方もまた、傷を抱えて生きていくのだと思うと、胸の奥に、ひどく甘い安堵が広がった。




