Episode2 小麦粉と居候
まず証拠を集めることにした。
そのために必要なのは、小麦粉だ。
前世の知識によれば、指紋は油分が表面に付着することで残る。
それを粉で浮かび上がらせる方法がある。
厨房からボールに小麦粉を少し分けてもらって、飾り棚に向かった。
「エラリーお嬢様、なぜ小麦粉を」
「指紋を調べるの」
「しもん?」
「人が触ると跡が残るの。本当は専用の粉や耳かきみたいな道具を使うんだけど、この世界にはないだろうし……小麦粉で代用できないかなって」
「耳かき?聞いたことないですが…」
「耳かきについてる綿毛みたいなとこで、こう…ポフポフって」
私は宙で手を動かして実演する。
「それで誰がさわったかがわかるのですか?」
「……たぶん」
マリアは不安そうな顔をしている。
私はボールから小麦粉をひとつまみ取って、飾り棚にそっと振りかけようとした。
その瞬間、鼻がむずっとした。
「……っくしゅん!」
白い粉が盛大に舞い上がり、棚を覆い、絨毯に降り積もり、マリアの顔にもかかった。
沈黙。
「…………エラリーお嬢様」
「ちょっと待って絶対うまくいく!ポフポフを貸して!」
「もう!うまくいくと思えないんですけど!」
マリアは白くなった顔のまま、深々とため息をついた。
「お嬢様、お召し替えを。お召し物に粉がついています」
「私は袖に少しかかっただけだから。マリアは顔洗っておいでよ」
マリアはじっと私を見た。
「……何も、なさいませんね?」
「しないしない」
「……ではお言葉に甘えて、顔を洗ってまいります」
「あ、うん。ごめん」
マリアが出ていった。
「失敗しちゃったなぁ」
少しだけ反省しながら袖についた小麦粉をはたき落としていると、声が聞こえてきた。
「……ずいぶんおかしな調べ方するなぁ」
高くて、涼しい声だった。
私は振り向いた。
窓枠に、何かいた。
手のひらほどの、小さな人影。
ピンクがかった金色の髪に、背中には薄い羽が四枚。 金色の瞳が、じっとこちらを見つめていた。
目が合った。
「……妖精?」
返事がなかった。
私はもう一度見た。まばたきした。
まだいた。
廊下から足音がして、マリアが戻ってきた。
顔はすっかり元通りだったけど、前髪の生え際にほんの少し、白い粉が残っていた。
指摘しないでおいた。
「マリア」
「はい」
「あれ見える?」
マリアがきょろきょろした。
「……何がですか?」
「……なんでもない」
どうやらマリアには見えてないらしい。
妖精が目を見開いて話しかけてきた。
「……ねえ、キミ。僕が見えてるの?」
「うん、見えるけど」
「へえ……」
妖精は楽しそうに首をかしげた。
そして、粉まみれの飾り棚と、私と、マリアを順番に眺めて吹き出す。
「それにしても、なんか色々すごいなぁ、この部屋」
「捜査中なの!……それで、キミは誰?」
「僕はフィン。ねえ、その首飾りがどこにあるか、知りたい?」
悪びれもしないごく普通のトーンで、フィンはとんでもないことを言った。
私は思わず固まる。
「……今、どこにあるか知ってるの?」
「うん。感じるんだ……でも教えるかわりに交換条件」
フィンは窓枠からふわりと飛び立つと、私の目の前で滞空した。
「僕をここに居候させて。しばらく退屈しなさそうだし」
「そんな、なんとなくな理由で……?」
呆れる私を見て、フィンの金色の目が細くなった。
「キミ、なんだか楽しそうな顔してるね」
「……そんなことない。事件が起きて困ってるの」
「嘘つくの下手だね。図星でしょ?」
「……っ」
反論できなかった。
悔しいけれど、前世で憧れた「事件の捜査」に、私の心が躍ってしまっているのは事実だ。
私は観念して、小さく咳払いをした。
「わかった、居候を許可する。ただし、こっちからも条件」
「なに?」
「私が調べものをするとき、手伝うこと。探偵の助手みたいにね」
フィンはしばらく羽をゆっくり動かしていたが、やがて満足そうに微笑んだ。
「いいよ、面白そうだし。よろしく、エラリー」
私は思わず鼻息がフフンっと漏れるのを抑えられなかった。
人ならざる助手。 しかも私にしか見えない。 ……最高だ。 異世界の名探偵には、こういう相棒が必要よね!
フィンは私の肩にふわりと降り立った。全く重みがなくフィンが肩に乗っている感触が全然感じられない。
「エラリーお嬢様、本当に大丈夫ですか……? さっきから虚空に向かって……」
「マリア! 見て! 私の肩に妖精がいるの!」
「……お嬢様、もしや粉を吸いすぎて意識が朦朧と……?」
訝しげな表情のマリアに「違うわよ!」と手を振る。
そのとき、肩の上のフィンが、ふんと鼻を鳴らした。
「ねぇねぇ、その首飾りがあった場所……なんか変な気配がするんだ」
「え?変な気配?」
「僕たちに似てるけど、ちょっと違う。」
私はその言葉を頭の片隅に深く刻んだ。
単なる泥棒の仕業ではないかもしれない。
「……まずは現物を確保しないと。フィン、さっそくだけど首飾りのある場所を教えて?」
「えー、こんなにすぐ答え聞いちゃうの? 少しは推理しなきゃね、探偵さん」
フィンが楽しそうに笑った。
「妖精ってみんなこんなに小憎らしいのかしら?」
「失礼だなぁ。協力してあげてるのに。
ヒントはね……土と緑の匂いがするところだよ。あと、屋根がないけど日陰でひんやりしてて、上のほうで葉っぱが揺れてた」
土と緑。屋根がないけど日陰がある。
私は目を閉じて、意識を集中させた。
雑音が消えて、頭の中が澄んでいく。
頭の中で庭の景色を思い浮かべる。
外、それも庭。屋根がないなら東屋でもない。土が剥き出しで、日が当たりにくい人目につきにくい場所——
そこまで推理して、私は顔を上げた。
「よし、行こう。……でもその前に」
私は自室に駆け込んで、引き出しの奥から黒縁の眼鏡を取り出した。
レンズの入っていない、伊達眼鏡だ。転生してからこっそり作らせておいた、探偵活動用の装備品その一である。
かけた。
それから髪を後ろでひとつにまとめる。いつもは下ろしている髪を、きゅっと結ぶ。
鏡を見た。
うん、悪くない。かなりいい。探偵っぽい。
「……お嬢様、その眼鏡は」
「探偵活動用なの」
「たんていかつどう....」
「気合いが入るの」
マリアが何か言いたげな顔をして、結局やめて、深呼吸をした。
肩の上のフィンが、ぽつりと言った。
「似合ってるじゃん」
「でしょ」
「褒めてないけどね」
「褒めてないの?!」
ひとり言い合う私を、マリアがぽかんと見ていた。
そうだった。マリアにはフィンが見えないし、声も聞こえない。
つまり今の私は、虚空に向かって眼鏡をかけて自慢して、勝手に怒っている令嬢である。
「……エラリーお嬢様、やっぱり少しお休みになられた方が」
「大丈夫だから!後で全部説明するから!」
私はフィンを肩に乗せたまま、さっさと部屋を出た。
「あ、お嬢様待ってください——」
マリアが慌てて追いかけてくる。その途中できちんとメイドたちに指示するのも忘れない。
「カーラ、サラ、この部屋お願いできる?」
「ひっ、部屋が真っ白……!?」「粉だらけ……!?」
後ろから聞こえてくるメイドたちの悲鳴を背に、私は庭へと向かった。
***
庭の東側、三番目の木の根元。
そこには確かに首飾りがあった。
屋敷の庭に埋められていた。 外から来た人間の仕業とは考えにくい。
つまり、犯人は身近な誰か。
少しだけ胸が高鳴る。 そんな自分に苦笑しながら、私は首飾りを握り直した。
「変な気配を辿ったら見つけた」
とフィンが言った。
妖精の言う変な気配ってなんなんだろう。
そういえば、と追いかけてきたマリアの方を見た。
まだ何の説明もしていなかった。
「マリア、さっきのことだけど」
「さっきの、とは……あの、お嬢様がひとりで何もない方を見て話していた件でしょうか」
「本当に妖精がいるの。私にだけ見えるみたい」
マリアの顔が固まった。
それから、はっと私の手の中の首飾りを見た。
「……その首飾り、どこで……まさか!エラリーお嬢様が!?」
「待って」
「なんてことを——!」
鬼の形相になりかけていた。
「違う違う!本当に妖精がいるの!」
「では誰にも見えない妖精が在処を教えたと?そんな都合のいい——」
「だって私が盗ったなら私の服土まみれになってるはずでしょ。庭に埋まってたんだよ?今朝寝起きの私見たでしょ?手も服も綺麗だったじゃん」
マリアが少し動きを止めた。
「それに昨日の夜、マリアずっと隣の部屋で寝てたでしょ。私が抜け出したら気づくはずだよ」
「……確かに、エラリーお嬢様は朝までぐっすり寝ていらっしゃいました。隣の部屋まで盛大ないびきが聞こえて——」
「いびきはいい」
マリアがようやく鬼の形相を解いた。
「……では本当に、妖精が」
「そう。フィンっていうの。今、私の肩にいる」
マリアが私の肩のあたりをまじまじと見つめた。
もちろん、何も見えていない。
「……お嬢様がそうおっしゃるなら」
半信半疑、というより四分の一くらいしか信じていない顔だった。
まあ、見えないものを信じろという方が無理な話だ。
「それより、お嬢様」
「なに」
「そろそろ、お召し替えを」
見下ろすと、ドレスの裾は粉で白く、膝には庭の土がついていた。
「……そうね。着替えたら、次は聞き込みよ」




