Episode18 嫌な男と、震える青年
まず訪ねたのは、一人目の被害者――被害は今のところ無さそうだけど便宜上、そう呼ぶことにする――、ガレスの屋敷だった。
子爵家の本邸とはいえ、我が家よりも一回り小さく、外壁の塗装も、ところどころ剥げかけている。
門番に来訪を告げると、しばらくして、当のガレス本人が姿を見せた。
……ケツアゴだけど、悪くない顔立ちだ。
見た目だけなら、たしかに女性受けしそうな部類だと思う。
「警邏隊の方が、一体何のご用件で……?」
怪訝そうに、そう尋ねる。
「警邏隊副隊長の、ルシアンです。こちらは、ベルナード子爵家の、エラリー嬢」
「これはご丁寧に。ガレスです」
愛想の良い笑みを浮かべる。
「ああ、ベルナード子爵家の方でしたか」
それだけ言うと、特に気にした様子もなく、話を続けた。
……うちのこと、知ってるんだ。
まあ、貴族の間では、家名くらい知られていてもおかしくはないけど。
「今日は、少しお伺いしたいことがありまして」
ルシアン様が、静かに切り出した。
「リゼット嬢のことです」
その名前を聞いた瞬間、ガレスの笑みが、微かに強張った。
「……ああ、あの女のことか」
吐き捨てるような口調だった。
さっきまでの愛想の良さは、もうどこにもなかった。
「彼女との経緯について、詳しく聞かせていただけますか」
「あの女に、まんまと騙されて。気づいた時には、婚約破棄されてました。それだけです」
……騙された?
ルシアン様から聞いていた話だと、リゼット嬢の方が一方的にアタックしていたと思っていたのに。
「騙された、というのは?」
思わず、そう聞き返す。
「そりゃ、あんな美人に迫られたら、誰だって気を惹かれますよ。でも、本当に結ばれるつもりなんてなかったんだ、あの女には。ただ、俺を弄んでただけで」
忌々しげに、そう吐き捨てる。
「あの女、今は、また別の男に鞍替えしたって噂だが」
探るような目で、こちらを見た。
「今、あの女は、あなたの婚約者に夢中のようですよ」
……私の、婚約者?
一瞬、何を言われているのか分からなかった。
――もしかして、クラウス様のことを、私の婚約者だと勘違いしてる?
「クラウス様のことをおっしゃっているのなら、彼は姉の婚約者ですが」
すぐに、そう訂正する。
「ああ、そうでしたか。失礼しました」
軽く笑って、流すように答えた。
隣で、ルシアン様がガレスの方へ、微かに険しい視線を向けているのが見えた。
……リゼット嬢に付きまとわれてること、思っていたより、もう知られているのかしら。
「その後、リゼット嬢とは?」
「俺が婚約破棄になったら、あっさり他の男に乗り換えやがって」
吐き捨てるように、そう言った。
話の合間、部屋の隅で控えていた使用人が、びくりと肩を震わせるのが見えた。
ガレスが少し声を荒げるたびに、その体は、小さく縮こまっていく。
……日頃から、使用人にきつく当たっているのかもしれない。
――嫌な男。リゼット嬢は何がよかったのかしら。
屋敷を辞去して、門を出たところで、私は少し足を止めた。
「すみません、少しいいですか」
さっきの使用人が、荷物を運んでいたところを、呼び止める。
「え、あの……」
戸惑ったように、こちらを見た。
「ガレス様、いつもあのようなご様子なのですか?」
「――そうですね……特に、リゼット様のことになると、ひどく気が立たれてしまって。……未練がおありなんでしょうね」
使用人は、少し声を落として、そう零した。
「未練……」
「別れてから、ずっとあの調子で。もう随分経つのに」
それだけ言うと、使用人は、そそくさと屋敷の方へ戻っていった。
……未練、か。
でも、さっきの様子は、未練というより、もっと昏いものに見えた。
怒り、というか。恨み、というか。
次に向かったのは、アステールの家だった。
豪商の屋敷らしく、貴族の邸宅にも引けを取らない、立派な建物だった。
応接間に通されると、しばらくして、青年が姿を見せた。
少し痩せ過ぎで、おどおどとした様子で、目を合わせようとしない。
「アステールさん、お時間をいただき、ありがとうございます」
ルシアン様が、丁寧に切り出す。
「い、いえ……あの、また、あのことで……ですよね」
声が、微かに震えていた。
「リゼット嬢との経緯について、伺えますか」
アステールは、俯いたまま、言葉を選ぶように話し始めた。
「最初は……その、悪い気はしなかったんです。綺麗な方に、優しくしていただいて」
「でも?」
「だんだん、様子がおかしくなっていって」
声が、微かに震え始める。
「僕がどこに行ったか、誰と話したか、全部知られてて……そのうち、婚約者にまで、変な贈り物が届くようになって」
アステールは、震える手を、膝の上でぎゅっと握りしめた。
「贈り物、というのは?」
「……ネズミや、蛇の死骸、みたいなものが」
その一言に、思わず息を呑んだ。
「一度、だけじゃなくて……」
アステールは、青ざめた顔で続けた。
「二度、三度と、繰り返し届いて。婚約者が、だんだん眠れなくなって、部屋からも出られなくなって……」
声が、震えを帯びていく。
「相手が、公爵家のご令嬢だから、強く出ることもできなくて。どうすればいいのか分からないまま、ただ様子を見ているうちに……婚約者は、すっかり心を病んでしまって」
「それで、婚約破棄に?」
「……はい。あちらのご実家が、これ以上は無理だと」
アステールは、深く俯いた。
「僕が、もっと早く何かすべきだったんです。でも、相手が相手だから、どうしていいか分からなくて」
悔いるような、力のない声だった。
……無理もない。
相手が公爵家となれば、平民の商家では、強く出ることなんてできないだろう。
肩の上で、フィンが、小さく呟いた。
「これは、ちょっと同情するね」
珍しく、茶化す様子もなかった。




