Episode14 違和感の正体
「あら、マグダレーナ様。そちらのブレスレット……」
ローゼンダール侯爵夫人が、さも今気づいたというように、口を開いた。
「よくよく拝見すると、石のカットが少し気になりますわね。こんなに粗く仕上げられているなんて」
にっこりと、笑みを浮かべたまま。
でも、その言葉には、隠しきれない棘があった。
「まあ……そう、かしら」
マグダレーナ夫人の笑顔に、微かな戸惑いがよぎる。
「石と台座で技法の年代が食い違っている場合、後から作られた模造品を疑う手がかりになる……と聞いたことがありますの」
ざわり、と空気が揺れた。
近くにいたご婦人方が、思わず顔を見合わせる。
――模造品。
その一言が、はっきりと耳に届いた。
「パトリシア様、それは……」
「あら、あくまで、可能性の話ですわ」
ローゼンダール侯爵夫人は、扇の陰で、微かに口角を上げた。
「これほど繊細な台座の細工に対して、石の仕上げだけが、いささか素朴に過ぎるように思えましてね」
「そんな……」
誰かが、小さく息を呑む。
「もちろん、わたくしの思い違いかもしれませんけれど」
そう言いながらも、その口調には、勝ち誇るような響きがあった。
マグダレーナ夫人は、何も言い返さないまま、ブレスレットに視線を落としていた。
動揺しているというより、どこか呆れたような、そんな表情だった。
――厄介なことを言い出したわね、とでも言いたげな。
会場の空気が、完全に凍りついていた。
誰も、何も言わない。
パトリシアだけが、その沈黙を、心地よさそうに味わっているようだった。
「――失礼ながら」
口を開いたのは、お母様だった。
「わたくしも、それなりに宝飾品は見てきたつもりですけれど……この石の仕上げ、模造品にしては、少し腑に落ちませんの」
「あら、どういう意味かしら」
「ええ。あえて石の粗さを残しつつ、台座には緻密な細工を施す……一見、ちぐはぐに見えて、けれど全体としては、きちんと一つのデザインとして完成されている。後から作られたものであれば、ここまで釣り合いの取れた仕上がりには、なかなかならないものですわ」
静かだが、はっきりとした口調だった。
ローゼンダール夫人は、鼻で笑うように、ふんと息を漏らした。
「あら、子爵夫人にしては、ずいぶんとお詳しいのね」
悪びれもせず、そう言い返す。
「でも、わたくしはこれまで、あなたよりずっと多くの、それも一級品を見てきていますのよ。積み重ねてきた年数も、目にしてきたものの質も、そう簡単に埋まりませんわ」
「――失礼いたします」
静かに割って入ったのは、ローウェンだった。
「たしかに、パトリシア様のおっしゃる通り、後から作られた模造品には、そういった事例がございます。ですが、こちらの品に限っては、そうとは申し上げにくいかと」
「あら、あなたまで、そんなことを?」
ローゼンダール夫人の声が、微かに上ずった。
「以前、あなた自身がおっしゃっていたはずですわ。『石を粗いままにして、既製の台座に組み合わせただけの、質のまばらな品が出回っている』と」
「ええ、よく覚えていてくださいましたね」
ローウェンは、驚きもせず、むしろ嬉しそうに目を細めた。
「さすが、日頃から熱心に勉強なさっているだけありますね」
「まあ……」
周りのご婦人方から、ほう、と小さなため息が漏れる。
——その涼やかな受け答えと物腰の柔らかさに、思わず見入ってしまう。そんな空気だった。
「ただ……」
彼は、ルーペも使わずに、ブレスレットへ視線を落とした。
「こちらのブレスレットに関しては、二百年ほど前に流行した技法なんです。石をあえて粗く研磨することで、灯りを受けた時、より複雑に光を乱反射させる……当時の職人たちが好んだ、贅を尽くした仕上げでしてね」
「まあ、そんな技法が」
「ええ。この台座の緻密さをご覧いただければ、既製品との違いは一目瞭然かと」
感心したような声が、あちこちから上がる。
「そんな……」
「私の説明不足でしたね。パトリシア様ほどの方であれば、まさか歴史あるアンティークと、質の劣る模造品を見間違えるはずがない……そう信じておりましたが」
ローウェンは、困ったように、眉尻を下げて微笑んだ。
「もちろん、パトリシア様が仰った"手がかり"自体は、正しいのですよ。ただ、それはあくまで一般論としてお話ししたまで」
にっこりと、悪びれもせず。
「もし、私のお話を、こちらの品のことだと勘違いなさって、それで軽率な物言いをなさってしまったのだとしたら……それは、私にとっても、なんとも残念なことで」
私は、思わず、顎に手を当てた。
……フォローのふりして、完全に追い打ちだ。
「それに、こういった行き違いが重なりますと……私としても、パトリシア様との今後のお付き合い方、少し考え直さなければならなくなりそうですね」
声を、少しだけ落として。
熱を帯びた、囁くような調子で。
「これまでのように、気安くお伺いすることは……もう、できなくなってしまいますね」
まるで、名残を惜しむような、そんな響きだった。
ローゼンダール夫人の顔から、みるみる血の気が引いていく。
「そ、そんな……!」
扇が、かたかたと震えて、手から滑り落ちそうになる。
「お、お待ちくださいまし、ローウェンさん!わたくし、決してそんなつもりでは……!今のは、その、言葉の綾と申しますか……!」
声が、みるみる裏返っていく。
周りのご婦人方が、その豹変ぶりに思わず顔を見合わせた。
「ど、どうか、今のお言葉だけは、撤回していただけませんこと……!」
縋りつかんばかりの勢いに、会場が、しん、と静まり返った。
……さっきまでの、あの余裕はどこへ。
同じ人とは思えないくらいの、変わりようだった。
「まあまあ、ローゼンダール侯爵夫人」
そこへ、お母様が、のんびりとした調子で口を挟んだ。
「そう気になさらなくても大丈夫ですわ。先ほどのお話は、あくまで一般論だった、ということですし。マグダレーナ様のブレスレットが、素晴らしい品であることも、もうはっきりしましたもの」
「ええ、そうね」
マグダレーナ夫人も、表向きは穏やかに、その言葉に頷いた。でもその目の奥には、笑みとは裏腹の冷ややかな色が浮かんでいた。
夫人に続いてローウェンが、涼しい顔で付け加えた。
「さて、せっかくの機会です。今日はまだまだ、皆様の目を楽しませる品をお持ちしておりますので、ぜひご覧くださいませ」
軽やかにそう言って、優雅に一礼した。
場の空気が、少しだけ和らいだ。
でも、ローゼンダール夫人の耳には、もう届いていないようだった。
「そ、そんな……ローウェンさんに、あんな風に思われてしまうなんて……」
呆然と呟いたきり、ローゼンダール夫人は、その場に立ち尽くしていた。
張り詰めていた空気は、それでも、少しずつ緩んでいった。
しばらくして、フローラが、小声で耳打ちしてきた。
「ローゼンダール侯爵夫人、いつもマグダレーナ様に張り合っていらっしゃるんですけど……今日は、一段と失礼でしたわね」
「あ……そうなんですね」
「毎回、ちょっとした嫌味を言うくらいなんですけど。マグダレーナ様のジュエリーそのものを貶めるようなことまでおっしゃるなんて、今日はいつもと違いましたわ」
フローラが、扇の下で、ひそひそと続けた。
……そう、なんだ。
いつもと違う。
ローウェンは、何事もなかったかのように、また別のご婦人のところへ移り、和やかに談笑を始めている。
その横顔を、私はぼんやりと眺めていた。
私は、談笑を続けるローウェンのところへ、そっと近づいた。
「あの、ローウェンさん」
「はい、なんでしょう」
「先ほど褒めていただいた、このブローチなんですけど」
胸元の、小さな花の意匠のブローチを指し示す。
「これも、詳しいことが分かったりします?」
「ええ、たしか……」
ローウェンは、軽く目を細めて一瞬見つめると、産地も、意匠の由来も、簡単な年代まで、すらすらと答えを返した。
……合ってるのかどうかは、正直、私には分からない。
でも、よどみなく答える様子だけは、確かだった。
帰ったら、セレナお姉様に聞いてみよう。
本当に、こんなに詳しいことまで分かるものなのか。
「マグダレーナ様の首飾りやブレスレット、随分と詳しくご存知でしたし、こんな最近の品まで分かってしまうなんて」
「そういうものを見分けるのが、私の仕事ですから」
「では、あの技法のことも、前からご存知でしたの?石をあえて粗く研磨する、というお話」
「もちろんです」
「でしたら」
にっこりと、私も笑ってみせる。
「これだけお詳しいのに、ローゼンダール侯爵夫人に模造品の石のカットの話をなさった時……マグダレーナ様のブレスレットのことも、一緒にお伝えすればよかったのでは?『こういう特別な技法の品もあるので、誤解なさらないように』って」
ローウェンの笑みが、一瞬だけ、止まった。
「今日みたいなお茶会だと、ご存知の知識だけが独り歩きして、こんな風に誤解を招いてしまうこと、あるかもしれませんし」
「……ごもっともなご指摘ですね」
笑みは浮かべたまま、でも、目だけが、すっと冷めていた。
「まぁ、パトリシア様には、これまでも、ずいぶんとお時間を頂戴してまいりましたから。……その割には、なかなかご縁に恵まれず、心苦しく思っておりましたところです」
穏やかな口調だった。
「今回のことは、ある意味、良い区切りかもしれませんね。これ以上、お互いに、無駄なお時間を重ねずに済みますから」
……あれ、今、結構、辛辣なこと言ってない?
優しい声色に、一瞬、誤魔化されるところだった。
背筋に、ぞわりと、冷たいものが這い上がった。
でも、こちらに向き直った瞬間、彼はすぐに、いつもの人懐っこい笑みに戻っていた。
「……なんて、少し意地悪が過ぎましたね。今のは、忘れてください」
彼は悪戯を見つかった子供のように、肩をすくめて笑った。
でも、あの一瞬。
さっきまでの人懐っこさとは、明らかに違う顔をしていた。
——こうなる可能性を知りながら、あえて、言わなかった。
そんな確信が、静かに胸の中に落ちてきた。
なぜ、そんなことをしたのかは分からない。
でも、少なくとも、ただの人当たりのいい商人ではない。
「では、私はこれで」
ローウェンは、優雅に一礼すると、去り際に、その視線が、私の肩の上を、ほんの一瞬だけかすめた。
肩の上で、フィンが、何も言わずに、じっとローウェンの後ろ姿を見つめていた。
「……やっぱり、只者じゃないね」
最初に言った時とは、少し違う響きだった。
「うん」
私も、同じ気持ちだった。
席に戻ると、フローラが、目を輝かせて待ち構えていた。
「エラリー様、すごいですわ。ローウェンさんと、あんなに気軽にお話しになって」
「あ、いえ、そんな大したことでは……」
「わたくし、いまだに緊張して、うまくお話しできませんの。エラリー様、余裕でいらっしゃるから、羨ましいわ」
曖昧に微笑みながら、内心では、まったく違うことを考えていた。
――余裕だったわけじゃなくて、ただ、探りを入れてただけなんだけど。
「今度、コツを教えてくださいませんこと?」
「あ、あはは……」
曖昧に笑ってごまかしながら、私は、談笑を続けるローウェンの後ろ姿を、もう一度だけ見つめた。
そういえば、マグダレーナ様が、お母様の首飾りの図解が載っている書物と、見比べてみたいと言っていた。
……それが実現したら、絶対について行かせてもらおう。




