Episode13 宝飾商ローウェン
彼女の視線の先、入り口の方に、私も釣られて目を向ける。
「それでは、恒例の——ハーフォード商会のローウェンさんを、お呼びいたしましょうか」
マグダレーナ夫人がそう言うと、会場の空気が、ふわりと華やいだ。
さっきまで、あれほど居丈高だったローゼンダール侯爵夫人が、ふと視線を入り口の方へ向けた。
扇を持つ手の動きが、心なしか速くなる。
「……あら」
小さく零れた声は、いつもの棘のある調子とは、少し違って聞こえた。
「――失礼いたします」
涼やかな声とともに、入り口に、一人の男性が姿を見せた。
黒髪に、少し伏せがちな紫の瞳。
華美すぎない、でも品のある装い。
歩き方一つ、視線の配り方一つにも、無駄がない。
まるで、この場にいる誰よりも、この空間の主役は自分だと知っているような。
そんな余裕が、彼の周りだけ、違う空気を作っていた。
「まあ……」
「今日もいらしたのね」
「相変わらず、素敵な佇まいだこと」
あちこちから、ため息混じりの声が上がる。
扇の陰で頬を染める者、隣同士でこっそり囁き合う者。
会場のあちこちで、ちょっとした熱気が広がっていた。
彼の後ろから、宝飾品を並べた台が、従者と思われる男性によって運ばれてくる。
「……う〜ん、只者じゃないね」
肩の上で、フィンが、ぽつりと呟いた。
「たしかに」
この短い間に、会場中のご婦人方をすっかりメロメロにしている。
……只者じゃない。
でも、その視線をまるで気にした様子もなく、彼は優雅に一礼した。
「ローウェンと申します。本日も会場が一段と華やかですね。皆様にお目にかかれて幸運です」
歯の浮くようなセリフを自然に言える男性のようだ。
「まあ、お上手ね」
「相変わらず、口が達者なこと」
頬を染めながらも、まんざらでもなさそうな声が、あちこちから上がる。
ローウェンは、そのまま会場の中を回り始めた。
一人ひとりの持参品に丁寧に相槌を打ちながら、時折、商人らしい知識を披露しては、ご婦人方を感心させている。
その賑わいから少し離れた場所で、マグダレーナ夫人が、お母様の首飾りに、もう一度視線を向けた。
「その首飾り」
まじまじと見つめる。
その目が、少し考え込むように細まる。
「本当に素敵ね。これ、どちらの作かしら」
「実は、主人がオークションで見つけてきたものですの。わたくしも、詳しいことは存じませんのよ」
お母様が、少し困ったように微笑んだ。
「まあ、そうだったの」
マグダレーナ夫人は、まだ考え込むように首飾りを見つめていたが、やがて、まだ人に囲まれているローウェンの方へ声をかけた。
「ローウェンさん、少しこちらへ」
ローウェンは、周りのご婦人方に「少し失礼します」と断りながら、人だかりを抜けて歩み寄ってきた。
「マグダレーナ様、本日もお招きいただき」
「ええ、いつもご苦労様。それより、見てほしいものがあるの」
マグダレーナ夫人が、お母様の首飾りに視線を向けた。
「エヴェリン様の首飾り。どちらの地方の作か、それにいつ頃、どんな技法で作られたものか……あなたなら、分かるかしら」
「エヴェリン様、いつもお世話になっております」
「ええ、こちらこそ」
お母様が、慣れた様子で微笑み返す。
「拝見してもよろしいでしょうか」
お母様が頷くと、ローウェンは懐からルーペを取り出し、首飾りに顔を近づけた。
石の輝き、金具の継ぎ目、彫りの一つ一つを、丁寧に確かめていく。
しばらくの間、誰も口を開かず、その様子を見守っていた。
少し離れた席から、こちらの様子を、ローゼンダール侯爵夫人がじっと見つめているのに気づいた。
扇の陰に隠れた口元は、笑みの形をしていない。
……あれ、絶対いい感情じゃないやつだ。
気にしないでおこう。いや、何も見てない。
「……随分と古いものですね。この細工の跡から見て、おそらく数百年以上は前のもの。この石留めの仕方は、アルドラ期以前によく使われていた技法です」
「まあ、そんなに古いものだったの」
マグダレーナ夫人が、感心したように頷いた。
「こちらの首飾り、うちにある古い書物の図解に、似たようなものが載っていた気がするのよね。装飾品の意匠を集めた、先祖代々の本があって」
「図解、ですか」
ローウェンの目が、少し面白そうに見開かれた。
「まあ、そんな本が?うちの首飾りにも、何か由来があるのかしら」
お母様が、興味深そうに目を輝かせた。
「ええ。今度、見比べてみたいわね」
「それは、興味深いですね。古いジュエリーの図解となると、他にも様々な意匠が載っているのでしょうね」
「もしかしたら、私が扱っている品の中にも、その図解に載っているようなものがあるかもしれません」
「あら、そうなの?」
「ええ。もしよろしければ、今度、その書物を拝見させていただけませんか。手持ちの品と、ぜひ見比べさせていただきたく」
「あら、珍しい。あなたの方からお願いされるなんて」
マグダレーナ夫人が、面白そうに目を細めた。
「ふふ、いいわよ。今度、いらっしゃるときにでも」
そのやり取りを、私はただ黙って眺めていた。
……図解。
前に、フィンが感じ取ったという、あの気配と何か関係があるんだろうか。
「気になる?」
肩の上で、フィンが囁く。
「うん、ちょっとね」
マグダレーナ夫人が、ふと私たちの方に視線を向けた。
「ローウェンさん、こちら、ベルナード子爵夫人のご息女エラリー嬢よ」
「ああ、これは失礼いたしました」
ローウェンが、こちらに向き直る。
「エラリー様でいらっしゃいますね。お会いできて光栄です」
「あ、はじめまして。エラリーと申します」
「これは、ご丁寧に」
にこやかな笑みの奥で、私を値踏みするような光が瞳をよぎった。
……何、この人。品定めされてるみたいな。
肩の上で、フィンが、じっとローウェンを見つめる気配がした。
珍しく、何も言わない。
「そのブローチ、素敵ですね。小さな花の意匠……こういう控えめな品を選ばれるところ、お嬢様のセンスの良さが伺えます」
「あ、ありがとうございます」
借り物だとは、言えなかった。
軽く笑って、彼はまた次のご婦人のところへと移っていく。
その後ろ姿を見送りながら、私は小さく息をついた。
席に戻ると、フローラが、興奮気味に扇をぱたぱたと動かしていた。
「見ました?エラリー様。今の、ローウェンさんの微笑み」
「あ、はい……見ました、けど」
「わたくし、いつもあの方が来られると、心臓が持ちませんの」
フローラは、頬を押さえながら、うっとりと目を細めた。
「この間なんて、扇を落としただけなのに、拾ってくださって……その時の手が、こう、少し触れて……」
「そ、それは……素敵ですね」
「エラリー様は、どうですの?」
「え、あ……そう、ですね……」
曖昧に微笑んで、話を合わせておく。
内心では、あの品定めするような視線を思い出して、少し身構えていた。
「ふふ、そうですわよね」
フローラが、我が意を得たりというように頷いた。
「あの方を前にして、平静でいられる方なんて、そういらっしゃいませんもの」
フローラとの会話が一段落した頃、少し離れた席から、鋭い声が割り込んだ。
「あら、マグダレーナ様。そちらのブレスレット……」
ローゼンダール侯爵夫人が、さも今気づいたというように、口を開いた。
「よくよく拝見すると、石のカットが少し気になりますわね。こんなに粗く仕上げられているなんて」
にっこりと、笑みを浮かべたまま。
でも、その言葉には、隠しきれない棘があった。
「まあ……そう、かしら」
マグダレーナ夫人の笑顔に、微かな戸惑いがよぎる。
会場の空気が、すっと変わるのを感じた。
肩の上で、フィンが、小さく息を呑む気配がした。
「……これ、荒れそうだね」
うん。
私も、同じことを思っていた。




