閑話 カイルの想い
書斎に呼ばれたのは、お母様への謝罪を終えた、その夜のことだった。
父上は、いつになく厳しい顔をしていた。
「カイル。お前がしたことの重さを、分かっているか」
「……はい」
「家の品を盗み、処理に困って証拠隠滅のために土に埋めた。見つからなければそれで済むと思っていたのか」
「思って、ません」
「では、なぜやった」
言葉に詰まった。
分かっていたはずだった。悪いことだと。
でも、あの時は、それしか思いつかなかった。
「リイナの家が、困っていて……お金が、必要だったから」
父上の声が、さらに固くなった。
「では、聞くが——盗んだ首飾りを、どうやって金に換えるつもりだった」
「それは……」
言葉に詰まった。
正直、そこまで考えていなかった。
「お前が売りに行けば、すぐに足がつく。誰かに頼むにしても、相手が信用できるとは限らない。……そもそも、盗品と知れれば、リイナという子まで疑われかねないとは、考えなかったのか」
「……考えて、ませんでした」
「だろうな」
父上は、小さく息を吐いた。
「——お前は、貴族の子だという自覚が足りない」
父上の声が、少し低くなった。
「街では、もう噂になっていたそうだ。見慣れない貴族然とした少年が、頻繁にあの家に出入りしていると」
「え……」
「幸い、悪意のある噂ではなかったようだが……これが少し違う形で広まれば、困るのは、お前だけじゃない。あちらの家族の方が、もっとひどい目に遭う可能性もあった」
「そんな……リイナは、何も」
「事実がどうかは、関係ない。噂とは、そういうものだ」
父上は、静かに、でもはっきりと言った。
「お前が守りたかったはずの相手を、逆に傷つけるところだった」
その言葉に、頭を殴られたような衝撃を受けた。
考えたこともなかった。
自分のことばかりで、リイナや、その家族が、どんな立場に立たされるかまでは、頭が回っていなかった。
「——お前が一人で抱え込まずに、大人に相談していれば、もっと早くもっと大きな手で、あの子たちを助けられた」
「……」
「困っている人を助けたいという気持ちは、大事だ。だが、それを中途半端に一人で成し遂げようとするのは、時に——ただの自己満足でしかない」
その言葉が、深く刺さった。
自分で何とかしたかった。
自分の手で、リイナを救いたかった。
でも、それは本当に、リイナのためだったのか。
それとも、ただ、自分が「助けてやった」という気持ちに浸りたかっただけなのか。
今となっては、よく分からなかった。
「……すみません、でした」
「分かればいい。次は、考えてから動け」
父上は、それだけ言って、ため息をついた。
「当分、一人での外出は禁止だ。書斎の出入りも、しばらく許さない」
私は、懐から書斎の鍵を取り出し、父上の机に置いた。
「……分かりました」
うなだれる私に、父上は、表情を変えないまま、続けた。
「——リイナという子のことは、こちらで、手を打っておいた」
「え?」
顔を上げても、父上の顔には、相変わらず何の表情も浮かんでいなかった。
「借金の件は、救済所に話を通した。おそらく、正規の利率に改められて、返済額も半分以下になるはずだ」
「救済所……」
「それと、縁談の話も進めている。堅実な農家の息子だそうだ。お前の知らないところで、あの子が安定した生活を送れるように、話をつけた。良い縁があれば、そのまま新しい生活を始めることになる」
……縁談
「母親と弟たちも、同じ町で働き口を紹介してもらえることになっている。物価も、今より幾分か安い土地だそうだ。家族揃って、環境を変えられる」
「その町というのは……」
「遠方だ、ということ以外教えるつもりはない」
父上は、静かに、でもきっぱりと言った。
「……今後、二度とあの子に関わるな」
父の宣告は、絶対だった。
自分のやり方さえ間違えなければ、こんな結末にはならなかったのだろうか。
あの子との別れを選ばなくていい、別の未来があったのではないか。
今となっては、何を考えても遅いのに。
涙が、頬を伝った。
「……わかりました」
声を絞り出すように、そう言った。
何かが、ずしんと胸の奥に沈んでいくような感覚があった。
これで、リイナはもう、困らない。
それだけで、良かったはずなのに。
「……ありがとう、ございました」
「その礼は、私にではなく——お前自身が、次に何をするかで示せ」
父上は、そこで一度、言葉を切った。
「——私の信用を取り戻すのは、容易ではないと思え」
淡々とした声だった。
たった数日で、父上は、リイナの家族の生活を、根本から変えてしまった。
自分が1ヶ月かけて、こっそり食べ物を届けることしかできなかったのに。
情けなかった。
結局、自分が思いついたことは、盗みだった。
犯罪だ。
大人に頼れば、もっと早く、もっと確実に、リイナたちを助けられたはずだった。
——リイナは、もう遠くへ行ってしまうかもしれない。
父上が手配しているのだから、二度と会うことはないだろう。
最初は、ただ、同情しただけだったと思う。
エラ姉様と同じくらいの年なのに、リイナは、ずっとしっかりしていた。
でも、いつからだろう。
リイナに会うのが、単なる「正義感」からじゃなくて、楽しみになっていた。
彼女が笑うと、なぜか自分まで嬉しくなった。
もう、あの子に会いに行く理由はない。
分かっているのに、心のどこかが、まだ諦めきれずにいた。
苦労しているのに、時々、子供みたいにキラキラ笑う人だった。
「カイル君って、意外と抜けてるところあるよね」
そう言って、笑ってたリイナの顔を思い出す。
もう、二度と、あんな時間はないんだろう。
そう思うと、胸の奥に、小さな穴が空いたような気がした。
でも、いつまでも、うじうじしてはいられない。
自分には、知識や経験が圧倒的に足りない。
——いつか、誰かを守れる人間になりたい。
今の自分には、その力がない。
だから、もっと強くならなくちゃいけない。
あの子が、これからも笑っていられるように。
そして、その笑顔に恥じない自分になれるように。
そう心に決めて、涙を拭った。




