第五話 [反転]――本能への戦慄
テオとR-09は、廃墟となった都市に到着した。かつてはそびえ立っていた摩天楼も、大半が土に埋もれ、わずかに覗く頂だけが近くに見える。二人はR-09のパーツになりそうなものがないか、辺りを見回りながら歩いていた。
「これは……」
砂埃を被った棚の上に置かれた小さなオルゴール。テオは無意識にそれを手に取り、ゼンマイを巻いた。しかしシリンダー部分に砂が噛んでしまっているのか、オルゴールは上手く動かない。砂を払うように息を吹きつけ、指で無理やりシリンダーを回してみれば、ようやくゆっくりと動き出した。
「マスター。何かありました、か」
「……ただのオルゴールだ」
オルゴールから、かつて世界で人気を博した喜劇の音楽が流れる。しばらく耳をすませていたテオのもとに、歌声が聞こえてきた。
繊細で美しい歌声が風に乗る。振り返れば、歌っていたのはR-09だった。テオは目を閉じ、しばし歌声に聴き入る。気を張り続けた心が、緩むような気がした。
やがてオルゴールが止まる。それと同時に、R-09の歌声も止まった。
「……お前、歌えたんだな」
「はい。私を作った人を、思い出し、ました」
戦闘人形の生みの親。本当は兵器などではなく、人々を喜ばすために技術を使いたいと泣いていた。
「彼は、歌姫を作りたいと、ずっと言って、いました。その心を、私に、埋めたのだと」
コアに手を当て、まるで懐かしむように話すR-09。無機質であるはずの彼女の表情が人間らしくて、テオは思わず息を呑んだ。
「ああ、なんだか、胸が温かいのに、少し疼くような、感覚がします。何かの故障、でしょうか」
「……それは、『懐かしい』という感情なんだと思う、たぶん」
「なつかしい」
小首を傾げ、R-09がテオを見る。テオは戸惑うように視線をそらしながら、言葉を続ける。
「好ましく思っていた過去を思って、親しみを感じている感情……だ」
「それが、『懐かしい』……」
「……そんな感情を持つなんて、戦闘人形としては失格だな」
はっと小さく笑って、テオはR-09に背を向けた。まるで彼女が感情を持っているということを受け入れたくないというように。
「……その技師は、お前に名前をつけていたのか?」
「名前、ですか」
「R-09はお前の型番だ。そうじゃなくて、お前だけの特別な呼び名だ」
「ああ。レナと、呼んでくれていたような、気がします」
「そうか」
「レナ、か」と、小さくテオの口が動いた気がした。
「兵器に心なんて毒にしかならないだろうに。お前の製作者は、お前に地獄を植え付けたんだな」
テオは持っていたオルゴールを元の場所に戻す。そして次の建物へと向かった。
見つけたパーツをR-09――レナに装着し、テオはエネルギーを譲渡する。レナはいつものように、テオの夢を見た。
柔らかく微笑む母が、子守歌を口ずさみながらまだ幼いテオに頬ずりをする。テオはそれをくすぐったそうにして、また笑い声を上げた。
その日の夜、母の子守歌を口ずさむレナの歌声を聴きながら、テオは眠りについた。
「このまま目が覚めなければ、母さんの歌を聴きながら逝けるのに……」
レナはその願いを聞いていた。それでも何も言わず、歌い続けた。
そうして静かな夜。眠っているテオの上に、人影がのしかかる。テオの首筋にゆっくりと伸ばされる手。ひんやりとした手が、その首に触れた。
《戦闘プログラムの起動――目標の排除》
レナの紅色の瞳に、プログラムが走る。しかし彼女は、テオの首筋に手を当てたまま動かない。
《目的の排除を実行――エラー。排除を実行――エラー》
レナの手が震える。それはまるで、テオの首を絞めるのをためらうかのようだった。
それでも徐々にレナの手に力が入る。力を込めてぐっと、テオの喉元を締め上げた。
「っは、」
息苦しさにテオが目を覚まし、上に覆いかぶさるレナに焦点を当てる。自分が殺されそうな状況だと理解した瞬間、彼は微笑んだ。
「……ああ。ようやく家族のもとに、逝けるのか」
テオのその言葉に、レナは眉尻を大きく下げた。
「マスター」
泣き出しそうな、困ったような顔をするレナ。
「手が止まりません、マスター。私はこの行動を、容認していません」
首を締め上げる力が増す。苦しみに、テオの身体が跳ねる。
「いい、ぞ……。そのまま、力を込めろ」
「いやです。マスター。……だめ。殺したくない。だめです」
《排除を実行。排除を実行。排除を実行》
無情なシステム音が響く。レナは顔を歪ませた。
「――だめです! マスターを殺させはしません!」
それは、レナの初めての感情的な声だった。
それと同時にレナの手が離れ、テオは空気を求めるように大きく息を吸い込む。酸素を求めて何度も咳き込むテオの背を、レナは何度もさすった。
「申し訳ありません、マスター」
テオの首筋には、指のあとがはっきりと残されていた。
「……謝る必要は、ない。お前がそうなるように、私が仕向けているんだ」
殺されなくて残念なはずなのに、テオはまだ生きていることに安堵している自分がいることに気づいた。
――死にたくないと思い始めている。その事実に、テオは戦慄を覚えた。痛む首元に触れる。死にたくないと願うことは、あの日死んだ彼らを裏切る行為だと頭をよぎった。
一方でレナもまた、自分の両手を見つめながら心が恐怖で震えるのを感じていた。
殺したくない、守りたいと思ったはずなのに、身体が言うことを聞かない。自分がテオを殺す可能性に気づいて、彼女は初めて自分の存在を恐ろしいと思ったのだった。




