かわいいは正義、を証明せよ!
知性と感情の話、第1弾、です。
思うのだが、思考したときには宇宙には優劣は存在しないという知識が重要になると思う。実際に宇宙とは二元性ではないと理解すべきだからだ。しかし、だからと言って全ての人に対して、同じ態度で接するというのは無理だし、おかしい。つまり、感情レベルで好きとか嫌いというのはあってしかるべきなのだ。好き嫌いというのは、これはきっと魂の親和性に近いものだと私は思うが、根拠も証拠も何もないから与太話だ。
そういう意味において、いや、そういう意味になるかどうかはわからないが、私は「女性の敵は人類の敵」と定めておこうと思う。女性の敵が女性である場合はもちろんその女性も敵でいい。うーん、逆か。「女性の味方こそ人類の味方」あるいは、「女性や子どもの味方こそ人類の味方」かな。
生き延びるための知識や力の存在が、結局は人間から賢さを奪う。生き延びるための知識や力の差が優劣と勘違いされるからだ。宇宙の本来の姿を忘れる原因になる。その点、女性や子どもというのは弱さを抱えながら世界を生きる必要があるから、その分、宇宙の本来とは近い状態を保つ。地上での力が弱い上に、宇宙から引き剥がされたらまず生き延びられないのだから、その分、宇宙には守られているのだ。
そんな宇宙に守られている、すなわち本能的なレベルで宇宙をわかっている存在である女性や子どもの味方であろうというのは、つまりは宇宙をわかる存在であり、宇宙がわかるのであれば人類を守る力も授かるのである。本能的なレベルでの理解というのは思考ではなく、感情反応としてポップする。だから、女性の方が感情を豊かに発達させる人が多いのかもしれない。
賢い人間であるなら、思考でこそ、宇宙には分離はないこと、すなわち関心によって分化されたときに物は実在となる力学などを理解しておくべきだろう。その理解の上で、人間は感情で生きればいいのだ。それなら嫌いであってもまさか排除しようとか、害そうとは思わないだろう。一生懸命、嫌いの克服にすら努められるかもしれないし、ヘイトの表現だってソフィストケイトされてくれば一種の文化ともなろう。
人間は思考として宇宙を理解し、感情に素直に生きればいい。生き延びるための知識ではなく、宇宙の知恵を持ち、感情の判断についても上手に表現する術をもって生きればいいだけのことだ。感情こそ、根拠なく宇宙と繋がる道である。だから、改めて定めるが「女性や子どもの味方こそ人類の味方である」。
「かわいいは正義」をこんな文章で力説することになるとは…。
もとより証明するつもりはなく、説明してみるだけでしたが、
世界になぜ弱者がいるかと言えば、弱者を通して人は宇宙の摂理を知るのですな。
自分が弱者であることで、それを実感しやすいというのはあるのですが、
それ以上に、共感を使って寄り添うことで、深い観察となることもあります。
これから、私は知性-脳の働きへの偏りが、
人類の不幸であることを、それこそ力説していくかもしれません。




