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魔法哲学構築記 ~世界ゲームプレイ日誌~  作者: 誰でもない誰か
第三章 世界と個人の相互作用を読む ~天命を探って生きてみる~
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感情をわかってない人だけが、感情的になるのですよ?

人と繋がるのが感情で、考えを分けるのが思考。これを逆に考えを感じて、人を思考するから人類は狂ってる。


そういう星だといえばそれまでだが、それは端的に機能しないし永続性もない。そういう意味でとことん誤謬なのだ。


人を嫌いになるのはいいが、否定をするなよ? 何でもかんでも、無秩序を許して感情に蓋をし続けるなよ?


そういう風には人間も自然もできてないのだよ。

そもそもが知性と感情を分けた方がいいと考えるのが、知性的なやり方なのではあるが、それでもこの分類は最低限は機能するので反省には利用できる。


下手すると知性的な人間は感情の価値を認めないまであるが、知性的な人間こそ、その感情の価値を認めたくないという感情に支配されていることを知るべきだろう。感情的になるというのは悪い意味でしか使われないが、それは制御されてない感情だけを言うので、感情が悪いわけではない。むしろ、感情をわかってないから感情的になるのである。


感情とは基本的に矛盾や葛藤とともにあり、知性的には割り切れないからこそ面白い。議論で決着をつけようとするのも知性的な感情だが、決着のつかない状態に揺蕩うことのできる感情というのは、基本的に知性的な人間より器の大きさを誇る。


世界や宇宙の成り立ちからして、矛盾が基礎にあることを知性は突き止めた方がいいのだが、そういう突き止めようとする運動は実は知性ではなく感情の方の仕事だったりする。探求心というのは、感情なのである。探求する手段に知性を使うだけである。真に深い探究心は、探求の手段などは瞬く間に身につけてしまう。


こういう風に話すと知性なんていかほどのものか? 感情の方がはるかに機能的ではないか? という話にもなるが、これは私が感情優位の人間であって、感情が大好きなので知性を使って知性に反省を求めているからしてしまう一種、業である。でも、地球世界は知性よりも、感情をこそ学ぶべきだというバランス感覚を示すことには、大きな意義があるはずだと、私の知性は告げる。


「普段大人しい人が怒るとものすごく怖い」というのは、感情の制御は感情の機微に通じた人間にしかその可能性が開かれてないから当然なのである。普段大人しいというのは、知性に優れているから大人しいのではなく、感情をわかっているから大人しいのであり、それは知性の能力とは直接は関係がない。


確かに感情を知性は確かに抑え込むことはできるだろうが、感情は表現されなければ抑圧され、時間とともに発現を待つか、もしくは外部の世界に知らぬ間に映し出して被害をもたらす。この精神力学を知性が知ることはない。感情を観察できるのは感情だけだから。感情はうまく表現することこそ大切なのである。うまくの部分で、知性が支援できることは大きいが、そういう知性の必要を認めることも感情の仕事である。


逆に知性の営みであれば、感情は一発で冷却できてしまう。学問より暴力の方が単視眼的に見て効果があるのは明らかだ。正論の前に平手打ちで黙らせるのは簡単だ。だが、そういう行為は感情に基づく衝動ではあるが、感情の理解がないゆえにできる。


知性的な人間ほど、知性に価値を置くから議論で負けることを感情が許さない。感情の未熟さは、そうやって知性が育つ機会を奪うから、知性に重きを置く限り、実質的な人間機能としては感情はもちろん、知性としてもどんどん弱者へと後退する。


知性的な議論を理解するのは訓練次第で簡単である。もっと言えば座学や読書でもできる。だが、感情の訓練は実地でしか行えない。感情の訓練がある程度できた段階でこそ、想像力が活性化することで座学や読書で「経験を広げる」ことができるようになる。


『学びて思わざれば則ち(くら)し、思いて学ばざれば則ち(あやう)し』。感情が伴ってこそ、知性の活動は意味があるし、それは実践へと繋がるのでもある。


人間は知性の生き物ではない。感情の生き物である。ただし、その感情を知性で理解して制御する機能を持つゆえに偉大なのである。だからこそ、知性は感情に敬意を払うべきであり、感情は知性への探求心を併せ持つ必要がある。


結局はバランスではあるが、知性よりも感情の方が根が深いということは理解していないと、人類は道を誤るだろうと思う。感情を理解した上で、知性で交渉すべきなのである。嘘で塗り固めた正当性を使って暴力での弾圧など、人間としてもってのほかである。誇りとか自負心とか自己愛を考えたら、他ならぬ自分に対する最大の裏切り行為である。



知性は知るだけだが、感情はわかるのだ。知性は切り分けることで見分けるだけだが、感情は全体として把握するのだ。どっちが本質的に問題を解決するかは、本当は明らかなのであるが、知性が曖昧さに我慢できないことで問題を次々と発生させるから、知性の方が解決した気になる力によって優位に見えてしまうだけである。感情は理解するのであって、解決まで求めない。理解することが解決と言ってもいい。


「感情的になって」暴走する知性の自作自演に、「知的な」感情はそろそろ付き合わなくていいということを思い定めてもいいのかもしれない。

嫌われる勇気、という人がいるが、それは勇気ではなく、蛮勇だろう。本当に嫌われる勇気、というのは、勝手に嫌えばいい、嫌って困るのはあっちだ、とまで確信できて、実際にそうであるときだけだろう。手前勝手に嫌われていいというものではない。それだけの譲れないものを持ってるからこそ、嫌われることができるのだし、嫌われることよりもその内実を持つことの方に主眼がある。


権力とか財力とか欲しい人が、こういうめちゃくちゃな正当化をしてくることがあるが、嫌われるのは覚悟であって方法なんかではない。心理学者がそういうこと言うと、本当に心の力学がわかってないと腹が立つことがある。心理学は知性の持ち物ではないのである。知性では計り知れないのが感情(心)なのである。


知性というのはこういう勝手な正当化をして、吟味しないから怖い。傲慢さは感情だが、知性に偏ることでそれは生じる。

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