知らないことはあっても、わからないことなどあり得ないという魔法
魔法使いとしての最終奥義にして、入門知識となります。
「構造が機能を産むのではない。機能が構造を要求するのだ」
この文を体験することが、魔法使いとしての第一歩です。
魔法使いとは何か?
神を明確に知る者であり、自身がそれを目指す者です。
わからないことを放置できないというのは哲学者としての特性なのか、それはきっと科学者にも通じるものだろうが、でもこの性質は割と珍しいものであることは、こんな歳になってみればなんとなくわかる。
私は中学生になる前には素粒子物理学に興味を持って、宇宙とは何だろうと考えていたし、小学校2年生の時には死んだらどうなるかというのをとことん考えて、学校の先生を悩ませたりもした記憶がある。
そんな私にとって、それらの疑問は解決したのか?という話は出てくると思う。私も高校受験を考えだしたころから、その手の疑問は薄れていき、大学受験の時もうっすらと湯川秀樹さんなどへの憧れはあったが、そういう道は辿らなかった。
せいぜい、変り者としての矜持は「未来の人類のエネルギー問題を解決する」という野望に託されていた。だが、大学に入ってから、それまで封印されていたゲームにはまったり、今だったら絶対に付き合ったりしない種類の友人に混じって麻雀をやっているうちに、すっかりあほになった。
そして、産業に入ってみれば、緻密な仕事ができない大雑把な抽象的な能力は淘汰される結果となった。緻密な仕事をそれまで必要と感じなかっただけだから、伸ばす機会があれば伸びたと思うがそれ以前に、深層心理学の悪意によって生活は崩壊した。
そして、哲学者に回帰した。だから間違いなくそれは出会いとしては最悪だとしても、運命である。
さて、疑問。宇宙とは何であるか? 死んだらどうなるか? 私はそれらを科学が用意しないことは知悉している。何より、実際に死を体験してしまったし、物理学では描けない世界もずっと生き抜いてしまった。
シュタイナーなら超越感覚とか言いそうだが、私はそんなものはない。ただ、世界は物理ではないということだけは分かった。その足かせを外すだけで、真理はずいぶんと近いものになる。
私が支持している見解は「構造が機能を産むのではない。機能が構造を要求するのだ」という文に尽きる。これは実際に本当に宇宙のことも、死後のことも説明してしまう。
この文、私のオリジナルであるのだが、たぶんオリジナルなんかではない。気が付いたらこの文を私は「知っていた」。そして、その射程が異常な範囲であることも、あとから気が付いた。
この文は実際には、この文の機能も構造も説明しない。ただ、この文を使うと、まずヘーゲルがわかる。そしてカントが理解できる。理解という点において「機能が構造を要求する」という方向の発見は、恐ろしいほどの作用をもたらす。
人類はそれくらい「構造が機能を産む」と思って生活しているのだ。だから、この逆転は説明してわかる種類のものではなく、聞き流しているうちに「アハ体験」するしかない。
宇宙とは、愛という心理ゲームを行うのに最適化された構造である、とか荒唐無稽な言説も、アハ体験の後ならおそらく理解できる。
人生が一回きりでないことも当たり前だと思うようになるし、輪廻転生がものすごく複雑な仕組みになるだろうことも理解できる。千夜一夜物語では到底語り尽くせない。
複雑な構造というのは、非常に単純な機能へ還元できる。これは機能が先にあるからこそ可能なのであり、機能の方が構造を要求しているのである。
そして、哲学者としての探求は、要求ってなんだよ? 要求の仕組みってなんだよ? ということになる。
この視点を持ったことにより、私は知識を膨大に身につけることが全く苦にならなくなった。というより、知識相互の関係が完璧に理解できるようになった。だから、虚構や嘘も簡単に看破できてしまう。
機能を意図して作られた構造は基本的に虚構である。機能が要求した結果生まれた構造は必然である。これが人工と自然の定義であるかもしれない。
謙虚になってこの文を味わって「アハ体験」してみると面白いと思う。
この体験に出会って、私は「神を見つけた」と確信した。
今は、見つけた神はどうやったら働いてくれるのかを研究している。どうも彼女は気まぐれだということは、物理世界がありようを見ればわかるが、それでも概念の必然は果たしてくれる。
この概念の必然を詳細に述べられたのがヘーゲル『大論理学』だし、これを理解できるのが『精神現象学』の絶対精神である。絶対精神はすなわち「構造が機能を産むのではない。機能が構造を要求するのだ」というアハ体験後の精神であるが、おそらくヘーゲルはもっと精緻にその境地を見出している。
この「アハ体験」がないと、おろらく一生は生活になる。そしてこの宇宙がなぜこの構造なのかの理由もわからない。この宇宙がこういう構造であるのは、自身の人生がそのように機能するために最適だからだ、というのが究極の人生の真理である。
汎用性が高すぎて、何も語ってないに等しいが、逆転思考を持てる「アハ体験」の重要性は、異常に重要である。本当に理解すれば、世界の全てが理解できるのだから。
お前が理解した気になってるだけだろう?
そういう言葉が出てくる理由も説明できる。オッカムの剃刀で言えば、この「アハ体験」があれば虚構も実体も、知としての在り方から存在意義に至るまで、完膚なきまでに理解できる可能性の出発点に立てる。
この「アハ体験」は出発点に立つだけである。ただ、この出発点に立たないと、人生は何もわからないまま終わる。
魔法使いが魔法使いであるのは、ただその宇宙の秘密を生きているだけである。そのまだ解明と検証が始まったばかりの人生に身を捧げているのである。
だから、神は魔法使いにとっては自身が目指すものである。「アハ体験」をすれば、これは冒涜でも何でもないことは容易に理解できる。科学の描く世界は、「アハ体験」以前の硬直した構造に縛られた世界なのである。
さあ、魔法使いになって、
カントも促す「知る勇気」と立ち向かいましょう。
サルトルの言う「自由の刑」を楽しみましょう。
物質も精神も魂も神も、全てが実感として理解できる世界になるのに、
それほど時間はかからないはずです。
なにしろ、本当に人生の意味を知る、
あるいは定義すればその世界は開かれるのです。
それほど、「機能」は強烈です。
自覚してないだけで、誰もが「機能」をこそ生きています。
それを自覚すること、それが「アハ体験」にすぎません。
そこからがスタートなのです。




