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目を閉じれば  作者: さち
第2章 動き出した時間
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歯車






今日も赤い液体が腕から伝い指から

床に落ちていく

それが綺麗だった


床に赤い斑点が浮かぶ


いつの間にか自傷行為は

辛いから、苦しいから

という理由でやるわけじゃなくなっていた

切る場所に困り、

手首だけではなく腕にまでその痕は広がり

触ればボコボコとしていた

切っていない右腕と比べれば一目瞭然で

同じ人間の腕とは到底思えないほどだった


その行為は

歯磨きをするのと同じ感覚で

日常の一部になっていた





「また、したの?」

「ごめんなさい…」

「謝るんじゃなくて、どうしてしちゃったの?」

「なんとなく」


日常の一部になってしまったこの行動に

動機なんて存在しなかった



8歳の自分が

いまの自分を無意識下で蝕んでいってるようだった


心に負った傷は徐々に体をも侵食していく


この頃はまだ判明していなかった

PTSD、解離性健忘、パニック障害も

その一部だったのだろう


心が不安定なときは

パニック障害の発作である

・胸の痛みや不快感

・窒息感

・めまい、ふらつき

・非現実感、違和感、外界との遊離感

・ほてりや悪寒

・吐き気、腹痛、下痢

・しびれまたはチクチク感

・動悸や頻脈

・息切れや呼吸困難

・発汗

・振戦、震え


ほとんど毎日、そして1日に何回も起きていた


動悸や頻脈が多発していたことで

大学病院の循環器科にかかったことがあったがそこでは何にも発見されなかった

心臓自体に問題があったのではなく

脳の神経伝達物質に異常を来していたからだった





高校3年の9月末

臣史くんの異動が決まった

グループの整骨院だから

配属先に変更があるのは当たり前のことで

基本的に1年で異動することが多かった


椎名先生もこの半年前に

自分が高校3年になるタイミングで

松戸にある院に異動になっていた


でも臣史くんは大学を卒業してから

ずっと、2年半もここの院にいたのだ

例外であることは間違いがなかった

本人も周りの人も

どうしてそこまで異動の話が持ち上がらなかったのか不思議そうだった



「今日でここに来るのも最後かー

あずさちゃん、今までありがとな」


「んーん…」


「連絡はいつでもしてくれていいし」


「うん…」


どんどん視界がぼやけてきて

喉が絞まるような感覚がした

ぼろぼろと

一つ二つと次々に涙が頬を伝った


「泣くなよ…」


顔の横に置いてあったハンドタオルで

拭われた


「ふぇ…」


自分は子供のように情けなく泣くしかなかった


こつん


何かがおでこに当たった

目を開けるとそこには臣史くんの顔があった

臣史くんの顎がおでこに乗っていたのだった


「泣くな…

会おうと思えば会えるだろ?

あずさちゃんに泣かれると俺も泣きそうだから」


なんでそんなこと言うの…?

期待しちゃうじゃん…

臣史くんのバカ…



整骨院を出るときも

頭を撫でられた


周りの人たちはそれをいつものことと思って

気にも止めていなかった


臣史くんという

自分のことを常に守ってくれていた人と

簡単に会えなくなる

仕方のないことだったが苦しかった


背中を向け帰路に着く

この日は妙に風が冷たくて

心に開いた僅かな隙間にさえ入り込むようだった

そのとき疼いた

左腕の傷や心はこれから起きることを感じ取っていたのかもしれない




幸せだった時間に終止符が静かに打たれていた

そのときの自分はそれに気づいていなかったのだ







ここから徐々にまた歯車は狂い始めていた

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