ベルリアンヌ嬢の再会
セイラ・ラザフォードはデズモンドに刺傷された後アカデミーで応急処置を受け、命に別状はないと診断されてからグレイフォード修道院に送られた。送られた際の名目は『療養のため』だったが、数ヶ月経ってすっかり傷が癒え普通に歩き回れるようになってもセイラが修道院を出ることはなかった。貴族どころか、商人など国内の情勢に敏感なら平民でも知っている話だ。
その名の通りグレイフォード山の山中にあるグレイフォード修道院に続く山道は長く険しい。それに加え平地では暖かく過ごしやすい今の時期でも雪に重く閉ざされているので、相当の準備もない人間が逃げ出すことはほぼ不可能な場所だ。そのため、かの修道院は古くから祈りの場や行き場のない弱者の保護施設などの他に素行の悪い貴族を封じる役目を担ってきた。娯楽はほぼなく、物資や人間を運んでくる馬車がひと月に一度訪れる以外に外部との繋がりもない。放り込まれた者のうち半数は狂い、もう半数近くは逃げ出そうとして野垂れ死に、残りのほんの少数の者が悔い改め更生すると言われている。
いずれにせよ、グレイフォード修道院に送られた者が再び表舞台で問題を起こすなんてことは長い歴史の中で一度もなかった。セイラの脱走については速やかに報告されたが、途中で凍え死ぬことも飢えて力尽きることも狼に八つ裂きにされることもなく麓の人里に辿り着く可能性はまずないだろうと誰もが考えた。しかし――セイラはそれらの前例や考えを打ち破ったのだ。
男に媚びと春を売り、掠め貢がせ騙しとった金で食い繋ぎ、時に馬車の荷の中に潜り込み。正真正銘の娼婦と成り果てる道を選んでまで、ベルリアンヌに危害を加えるべくセイラは国土を縦断した。庶子とはいえ貴族の子として暮らしてきた小娘の身では到底耐えられない過酷な日々だが、疲労や苦痛はベルリアンヌへの恨みが押し流したようだった。
その執念だけは見上げたものだ。もっとも、意志とは関係なく体はしっかり傷つき壊れてしまっていたようだが。ベルリアンヌはそう思いながら、特殊な水晶で出来た透明な壁越しにセイラと向き合った。
「お、お前、ベルリ、アンヌ」
「ええ、如何にも。お久しぶりですわね、セイラ・ラザフォード」
アドルフが取り押さえたのをまじまじと見たあの時よりも、さらに状態は悪化していた。痛んでボサボサだった髪はところどころ抜けて薄くなっているし、顔色は青白く頬はこけてまるで幽霊だ。拘束衣で動きを封じられ椅子に縛り付けられているので激しく動くことは出来ないはずだが、肩で息をしておりヒィヒィと変な呼吸音が聞こえる。声が掠れているから、ずっと聞くに堪えないような罵詈雑言を喚いていたのかもしれない。胸元の赤茶色の汚れは血か吐しゃ物か。やけに床が綺麗でピカピカ光っているのを見るに、それらで汚れていたのをこの面会のために急いで清掃したようだ。
「お前の、ゲボッ、お前のせいでッ、あっ、あたしはッ」
ベルリアンヌは濁った呪詛を完全に無視してカーテシーをしてみせた。もし作家がこの場にいたなら、化け物に向かって美しい所作で礼を示す可憐な姫の姿を見て舞い上がったに違いない。
「『転生者』の自分が成り上がる花道を同じく『転生者』である私が潰した、と貴方が毎日主張なさっていることは存じ上げています」
まずそう言うとセイラは顔色を変えた。
「やっぱり! あんた、ピュアマ、リ、やってるんでしょっ」
「ピュアマリ? それは何ですの?」
初めて聞いた単語を鸚鵡返しすると、くすんだ頬がみるみる臙脂色に染まっていく。
「そーゆーのいいんだよ! お前、自分が破滅したくないからっ……アイツらを騙してあたしをはめたんだろ! 大人しく原作通り、ごほ、破滅してろよ! あたしはっ、ゲホッ、セイラだぞ!」
咳混じりに吐かれたセイラの言葉に空気がピリピリと危うくなった。隣に立つ父は殺気に近いものすら放っている。ベルリアンヌは眉のひとつも動かさないよう心がけた。相手が取り乱し激情のままに暴力を振るう時こそ、こちらの格の高さを見せつける好機である。
「貴方は何か思い違いをなさってるわ。神話に出てくる聖人のような前世など、私にはありません。私たちの方こそ混乱して困っているのよ。貴方の仰ってることはこちらの知識にない、理解しがたいことばかりなの」
「は? 何ふざけた――」
「そうね。まず、貴方が知っている世界でセイラとベルリアンヌはどういう人物なの?」
涼しい顔で質問する。案の定、臙脂色の顔が苛立ちでぐにゃりと歪んだ。
「知ってるくせに! セイラはピュアマリの主人公! 子爵家の女で大した身分じゃないけど勉強とかで成果出して攻略対象の好感度稼いで王太子とかと結婚するの! ベルリアンヌは公爵家の女でアルバートと婚約してるからって偉そうに、セイラに嫌がらせしてルートによっては殺そうとするの! 最後には罪がバレて火炙りにされるんだよ! お前は! うっ! ゴホッ、ゴホッ」
「まあそうなの。……ホホホホホ、現実に持ち込むには随分と稚拙な物語だこと。デビュタントするような年齢で信じ込むものではないわね」
あまりの滑稽さに堪えきれず、ベルリアンヌは手で口元を隠しながら声を出して笑った。セイラが何がおかしいと椅子をガタつかせながら喚いているが、構わない。こんなものを笑わずにいられるか。ひとしきり笑ってようやく落ち着き、今更扇子を広げて火照った顔を扇ぐ。
「なかなか面白いお話だわ。是非もっとお話しましょう」




