ベルリアンヌ嬢の危機
美しい青空の下、卒業生たちが次々と外に歩み出てくる。学友たちと別れを惜しむ者、名残惜しげに学び舎を振り返る者、野心を胸に空を見上げる者、巣立ちの前の最後のひと時を皆それぞれに過ごしている。
「ベルリアンヌ様、どうかお元気で」
「是非またサロンで会いましょう」
「ご活躍を祈念いたしますわ」
ベルリアンヌも取り巻きを大勢引き連れて前庭に出た。その中には卒業式への出席義務は特にない下級生の姿も多い。セイラたちの騒動の後、ベルリアンヌを支持する者は目に見えて増えた。どうも彼ら彼女らの中で、ベルリアンヌは『皇太子殿下の不誠実な行為を一時の気の迷いと信じて待ち続けた健気なお方』と評判らしい。本人からすれば吹き出しそうになるほどおかしな評価だが、自分以外は毛ほども疑わぬ評判をわざわざ訂正する必要もないと判断し今日まで否定も肯定もしていない。自ら頭を垂れてくれる人間はいくらいても良いのだし。
「皆様ごきげんよう。またお会いしましょう」
いつまでも取り囲んで別れを惜しむ者たちに完璧な微笑みを向けて、ベルリアンヌはアカデミーの出口に向けて歩き出した。皆の気が済むまで、なんて言っていると日が暮れてしまいそうだ。大きな鉄門の先に、セネット公爵家の家紋が描かれた四頭立ての馬車が待っているのが見える。す、と隣に気配を感じてベルリアンヌはお供するように歩く同窓生に声をかけた。
「あらアドルフ、お父様やお兄様とのお話はもうよろしいの? うちに来たら会いたい時に会えるとは限らないわよ?」
「……大丈夫、です。父も兄も、激励してくれました」
ベルリアンヌより頭二つ以上大きい彼はぼそぼそと返事をした。アドルフ・クレヴァリー、代々辺境伯として国境の守りを任され優れた騎士を多く輩出してきた武の名門クレヴァリー家の三男である。顔は浅黒くゴツゴツしている上に傷だらけで美しいとは言い難く、口下手なのも相まって人気者というわけではない。しかし武術の腕は確かで、どの武器を扱っても他の追随を許さず特に槍術では担当のコート先生すら二度も負かすほどの実力者だ。素手での格闘や制圧術でも学園随一という彼の能力を高く買ったセネット公爵が公爵領の治安と秩序を守る兵として勧誘し、アドルフは申し出を受けた。意外な選択として一時はなかなか騒がれたものだ。
鉄門が開き、外の世界へ歩み出る。爽やかな風が吹き抜け、門出を祝う。二粒のオニキスのようなアドルフの瞳を下から覗き込むようにして微笑んでみせた。
「ようこそ、セネット公爵領へ。貴方なら大歓迎よ」
「……ありがとう、ございます。しかしまずは、無事に帰還してから……」
「ふふ、生真面目ね」
思わず笑みが深くなる。気が緩んでいた。
「いた!」
恐らく御者や護衛たちの気も緩んでいた。だから僅かに反応が遅れた。
「いた! いたいたいたいたいたいたいた! ベルリアンヌぅぅぅぅぅぅ!!!!!!! 殺す!!!」
「な――――」
猛然と何かが突っ込んでくる。ベルリアンヌを狙って、まっすぐ突き進んでくる。
「危ない!」
アドルフの大声を初めて聞いた、と思った時にはもう彼は動いていた。その巨体からは想像しづらい敏捷さで襲撃者に肉薄した次の瞬間、腕をつかまえ軽々と投げ飛ばす。容赦なく地面に叩きつけられたその華奢な体をあっという間に組み伏せ、見事に取り押さえてしまった。
「まあ……」
たった瞬き三回程度の間に暴漢が無力化された。怒涛の展開にさしものベルリアンヌも頭がついていけず、ただぱちくりと瞬きする。
「……お怪我はありませんか」
「え、ええ。ありがとうアドルフ」
短いやり取りのうちになんとか我に返り、不届き者を見下ろす。ようやく事態を把握した周りがにわかに騒がしくなってきた。
「クソッ、クソが! 離しなさいよブサイク! ベルリアンヌ! よくも、よくもあたしの幸せをおおおお!」
ボサボサした髪を振り乱して喚く、恐らく若い女。不潔さといいみすぼらしさといい耳ざわりなキーキーした声といい、まるで鼠のようだ。申し訳程度の身だしなみのつもりか、桃色の石が嵌まった安物の髪飾りが頭に光っている。
「…………貴方、何者なの? どこでこの私の名を知ったの?」
こんな下賤の塊のような女の知り合いなど、もちろんベルリアンヌにはいなかった。




