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ヒドインズ・ファイル  作者: 夕狩
子爵令嬢セイラ・ラザフォードの場合

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18/24

ベルリアンヌ嬢の休息

 夕刻。皇帝のおわす城から自身の本邸に帰還したセネット公爵はともに帰ってきた家族のためにお茶の支度を命じ、三十分後には広々とした居間で夫妻と一人娘のベルリアンヌが紅茶を楽しんでいた。


「……でも、まさかここまで大事になるだなんて。婚約解消は予想外でしたわ」


 溜め息を吐くベルリアンヌ。礼装用のドレスは既に脱ぎ、シンプルかつゆったりした服に着替えてくつろいでいる。母であるセネット公爵夫人が鷹揚に頭を振った。解いた銀髪が動きに合わせてさらさらと揺れる。


「当然のことですよ。許嫁がいながら余所見をして――それも皆で一人の女を取り合って誰の忠告も聞かなかったのだから。そのような男のもとに娘をやりたくはないわ」


 おっとりとした口調に似合わぬ厳しい言葉に、夫のセネット公爵は苦笑いするが止めはしない。


 本日は慌ただしい一日であった。家族三人で城に呼ばれ此度の騒動についてあれこれ聞かれたり聞かされたりした後、様々なことが決まった。アルバートとベルリアンヌの婚約解消もそのうちの一つだ。


 皇太子たちに目を覚ましてもらい将来の貴族社会の雛型といえるアカデミーに走った亀裂をどうにかしたいと考えたベルリアンヌだったが、もはや色々と手遅れだったらしい。各人への尋問の結果、全員がセイラと手を繋いだり恋人のように寄り添ったり抱き合ったりしていたことが判明した。その間それぞれの許嫁のことは一切顧みなかったばかりか、隙あらば他の男を出し抜いてセイラを独占し我が物にしたいと狙っていたことも。実際、流石に寝所を共にするまではいかなかったものの、騎士団長の息子ケヴィンや宰相の息子ヴァージルなどは皇太子アルバートらを出し抜いてセイラとキスをしたり『深い会話』をする程の仲になっていた。セイラをチヤホヤして他の者と断絶していた彼らの中でも、キスした者とキス出来ていない者とに分かれていたことになる。この事実を知った貴公子たちは全員が怒り狂い、一旦同じ所に集められた際には共犯同士で罵り合い取っ組み合いを始める始末だった。


 このような者たちが、将来緊密に連携して政治を行い国を運営することなど出来るはずもない。一人一人がいかに優秀だろうが、協力出来なければ国を滅びに追いやる要因となる。激情に任せて魔力で小刀を作りセイラを刺傷したデズモンド以外も全員廃嫡、未来は完全に潰えることとなった。各所は後釜を決めるべく奔走しており、結局、国中がひっくり返る大騒動になってしまった……飲み終えたカップを置き、ベルリアンヌは苦々しく思う。


「ところでベルリアンヌ。子爵令嬢が刺されることは想定の範囲内だったか?」


 公爵が口髭を引っ張りながら聞いてきた。リラックスしている時の癖だ。ベルリアンヌは少々勢いよく首を横に振った。母譲りの美しい髪が頬を叩いた。


「いいえ。いくら非常識な方といえど、傷ついたり命を落とすべきとは思えなかったもの。そうするまでもなく、早晩表舞台から消える方でしたし」


 父は満足そうに笑った。


「うむ、それでいい。お前の手は美しい。不必要に汚すことはないからな。なかなかいい差配だったと聞いているぞ」


 デズモンドがセイラの不実の噂を耳にしたことなど、貴族令息たちがセイラの本性を知ることになったのは大体ベルリアンヌの書いた筋書きの通りだった。自分や許嫁の令嬢たちの取り巻きを使い、一人一人丁寧に現実を突きつけてやったのだ。


 これについて意見を聞きたい、これを教えてほしい、誰それが呼んでいる、見せたいものがある――些細な、そして嘘偽りない本当の用事で標的の男とセイラを引き離し、それぞれ一人にする。その後上手く頃合いを見計らって『餌役』をセイラの元に向かわせ、美男とくれば見境なく媚びる醜態や気に食わない相手を見下し踏み躙る加害者の姿を曝けたその時に標的が通りがかるよう仕向けるのだ。やることは単純だがなかなか骨が折れる大仕掛けだった。協力してくれた生徒たちが全員犬のように忠実で手際が良かったことに感謝せねばならない。


 おめでたくも彼女を天真爛漫で素直な子と思い込んでいた大司教の甥トマスには、気弱な女生徒を脅し突き飛ばし課題を押し付ける姿を。彼女は自分を特別な目で見ていると思い上がっていたオルグレン伯爵令息には前からライバル視していたブラックウッド伯爵令息と抱き合い舌を絡ませる姿を。絶望や幻滅によりどんどんセイラを取り囲む男は減っていき、彼女は苛立ち始めた。取り繕う余裕を失って自ら馬脚を露わすようになった上、ケーキのように膨らみ続けた悪評が残った取り巻きたちの耳に入る。現場を見せる前にいきり立ったデズモンドがセイラを捕まえ、揉めている二人を偶然アルバートが目撃し――後はもう、斜面を転がる岩のようだった。


「自業自得とはいえ、殺人未遂の罪まで負ったことについては少々悪いと思ってますの」


 おかわりの紅茶がカップに満ちていくのを見ながら、ベルリアンヌは小さな声で言った。彼女の中では今回の計略は失敗だった。珍しく落ち込む愛娘に、両親は優しく声をかける。


「なに、お前が責任を感じることはないさ。アカデミーの教員たちもあの件を非常に問題視していて、皇家や各家に報告すべく準備を進めていた。報告が上がれば、どのみち彼らの人生は終わっていたんだ」


「いいこと? デズモンド以外のご令息は貴方の手引きで真実を突きつけられても、馬鹿なお嬢さんを殺そうとはしなかったのよ。彼にも湧き上がった殺意の手綱を引く選択肢はあったはず。それをせず刃でお嬢さんのお腹を抉ったのは他でもないデズモンドよ。他人の罪を背負うなんて馬鹿な真似はおやめなさい」


 ベルリアンヌはそっと笑った。


「お父様もお母様もありがとう。ねえ、アカデミーが落ち着くまで数日うちにいてもいいかしら」


「数日どころか、もっといても構わんぞ。第一数日では全く収まらんだろう。今後のことは一旦考えずゆっくりしなさい」


「ちょうど刺繍がたくさん出来て見せたかったのよ。今日は疲れたでしょうから明日見てちょうだいな」


 ベルリアンヌは笑みを深めた。そう簡単に流せることではないが、笑うことが出来た。今はそれで十分だ。このような心の揺らぎや脆さや年相応の小娘らしい笑みは、作り話の中にはないものだった。


 こうしてセイラ・ラザフォードにまつわる騒動は幕を下ろした、かのように見えた。

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