T-012
エレベーターの呼び出しボタンの横、あの独特な形状の鍵穴に、応接室で見つけた制御キーを差し込む。
吸い込まれるような手応えと共にキーを回すと、沈黙していた箱の内部から電子音が響き、重厚な扉が左右に分かれた。
中へ足を踏み入れると、背後で扉が吸い付くように閉まり、外部の静寂から完全に遮断された。
3Fのボタンを押す。
足元から微かな振動が伝わり、重力に逆らう感覚と共に上昇が始まった。
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狭い。
一人が乗るには十分だが、二人いれば肩が触れ合うほどの圧迫感がある。
四方をステンレスの壁に囲まれ、鏡のように鈍く光るその面に、スマホのライトに照らされた自分の青ざめた顔が映り込んでいた。
上昇の浮遊感に耐えながら、私はこれまでの断片を脳内で繋ぎ合わせようと試みた。
今日、この「見えないビル」で目撃したもの。
地図には載らず、表札もなく、それでいて電気と空調が脈打ち、執拗なまでに清潔に管理された空間。
2Fには、今も熱を帯びて稼働し続けるサーバーと、スクリーンセーバーが揺らめくPCがあった。
そこには「Erystela Thevale」という署名が記された、既存の認識を解体するような難解な理論の数々。
著者はかつてここで、膨大な時間を費やして思考の城を築いていた。
だが、ある地点を境に、記録の連続性は断たれている。
応接室は、客を招くポーズだけを凍結させた空虚な舞台だった。
物置には、著者の私的な執着――あの布に覆われたフィギュア――が、事務用品や本とは明確に区別され、聖域のように隔離されていた。
そして、引き出しの奥で見つけた、×印のついたUSBメモリ。「T-013」という文字。
「……で、著者は今どこにいる」
独り言が、狭い箱の中で反響して自分の耳に戻ってくる。
理論の断片。執着の残骸。それらは揃っているのに、肝心の主の姿だけが、このパズルの中心から抜け落ちている。
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そもそも、なぜ私はここに来たのか。
ネットの深淵で囁かれていた、その噂を確かめるため。好奇心を埋めるため。
これまでは、そう自分に言い聞かせてきた。
だが、他にも似たような都市伝説や奇妙な噂はいくらでもあったはずだ。
それらには見向きもしなかった私が、なぜこれにだけ、吸い寄せられるように執着したのか。
「……わからない」
引き返すタイミングは、いくらでもあった。
1Fの扉がすべて閉ざされていたとき。屋上で虚無を突きつけられたとき。2Fの文書が理解を拒絶したとき。
そのたびに「帰るべきだ」という理性の声は聞こえていた。
だが、私は帰らなかった。
単なる好奇心にしては、この衝動はあまりにも重く、強制的だ。
まるで、最初からこうなることが決まっていたかのような。
あるいは、このビルに足を踏み入れた瞬間から、私自身が書き換えられてしまったかのような――。
思い出せない。
ここに来る前の自分が、何を考え、何を大切にしていたのか。
その輪郭すら、このビルの静寂に侵食され、曖昧に霞み始めている。
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不意に振動が止まった。
3F。
扉が滑らかに開く。
外に広がる廊下は、2Fまでの無機質さとは異なり、どこか生活の匂いが混じっていた。
私の推理は、まだ結論に達していない。
だが、この先に待ち受けているものが、私という個体を完膚なきまでに解体する「答え」であるという予感だけが、確信となって胸の奥に居座っていた。
なぜそう思うのか、自分でもわからなかった。
ただ、開いた扉の先へ、私は抗うことなく足を踏み出した。




