表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/11

T-012


エレベーターの呼び出しボタンの横、あの独特な形状の鍵穴に、応接室で見つけた制御キーを差し込む。

吸い込まれるような手応えと共にキーを回すと、沈黙していた箱の内部から電子音が響き、重厚な扉が左右に分かれた。

中へ足を踏み入れると、背後で扉が吸い付くように閉まり、外部の静寂から完全に遮断された。


3Fのボタンを押す。

足元から微かな振動が伝わり、重力に逆らう感覚と共に上昇が始まった。


---


狭い。

一人が乗るには十分だが、二人いれば肩が触れ合うほどの圧迫感がある。

四方をステンレスの壁に囲まれ、鏡のように鈍く光るその面に、スマホのライトに照らされた自分の青ざめた顔が映り込んでいた。


上昇の浮遊感に耐えながら、私はこれまでの断片を脳内で繋ぎ合わせようと試みた。


今日、この「見えないビル」で目撃したもの。

地図には載らず、表札もなく、それでいて電気と空調が脈打ち、執拗なまでに清潔に管理された空間。


2Fには、今も熱を帯びて稼働し続けるサーバーと、スクリーンセーバーが揺らめくPCがあった。

そこには「Erystela Thevale」という署名が記された、既存の認識を解体するような難解な理論の数々。

著者はかつてここで、膨大な時間を費やして思考の城を築いていた。

だが、ある地点を境に、記録の連続性は断たれている。


応接室は、客を招くポーズだけを凍結させた空虚な舞台だった。

物置には、著者の私的な執着――あの布に覆われたフィギュア――が、事務用品や本とは明確に区別され、聖域のように隔離されていた。


そして、引き出しの奥で見つけた、×印のついたUSBメモリ。「T-013」という文字。


「……で、著者は今どこにいる」


独り言が、狭い箱の中で反響して自分の耳に戻ってくる。

理論の断片。執着の残骸。それらは揃っているのに、肝心の主の姿だけが、このパズルの中心から抜け落ちている。


---


そもそも、なぜ私はここに来たのか。


ネットの深淵で囁かれていた、その噂を確かめるため。好奇心を埋めるため。

これまでは、そう自分に言い聞かせてきた。

だが、他にも似たような都市伝説や奇妙な噂はいくらでもあったはずだ。

それらには見向きもしなかった私が、なぜこれにだけ、吸い寄せられるように執着したのか。


「……わからない」


引き返すタイミングは、いくらでもあった。

1Fの扉がすべて閉ざされていたとき。屋上で虚無を突きつけられたとき。2Fの文書が理解を拒絶したとき。

そのたびに「帰るべきだ」という理性の声は聞こえていた。


だが、私は帰らなかった。

単なる好奇心にしては、この衝動はあまりにも重く、強制的だ。

まるで、最初からこうなることが決まっていたかのような。

あるいは、このビルに足を踏み入れた瞬間から、私自身が書き換えられてしまったかのような――。


思い出せない。

ここに来る前の自分が、何を考え、何を大切にしていたのか。

その輪郭すら、このビルの静寂に侵食され、曖昧に霞み始めている。


---


不意に振動が止まった。


3F。


扉が滑らかに開く。

外に広がる廊下は、2Fまでの無機質さとは異なり、どこか生活の匂いが混じっていた。


私の推理は、まだ結論に達していない。

だが、この先に待ち受けているものが、私という個体を完膚なきまでに解体する「答え」であるという予感だけが、確信となって胸の奥に居座っていた。


なぜそう思うのか、自分でもわからなかった。

ただ、開いた扉の先へ、私は抗うことなく足を踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ