T-009
階段を登る足音が、コンクリートの箱の中に反響して追いかけてくる。
途中、2Fと3Fの踊り場に重厚な扉が見えたが、一度止まれば二度と動けなくなるような気がして、私はそれらを無視して登り続けた。
どこまで続いているのか。このビルに外はあるのか。
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屋上には、驚くほど何もなかった。
見晴らしはいい。だが、それだけだ。
コンクリートの平場に、くすんだ灰色の給水タンクと、低い唸りを上げる空調の室外機が数台。そして雨水を吸い込む排水口。
周囲は高いフェンスに囲まれていた。
隣接するとはいえ、他のビルとは完全に隔離されているようだ。
人が活動している痕跡は微塵も感じられない。
ベンチも、投げ捨てられた吸い殻の入った灰皿も、生活の匂いをさせる物干し竿も、何一つとして存在しない。
「誰も上がってこない場所、なのか」
不自然なまでに外部への情報が隠蔽されたビル。
電気や室外機が稼働していることから、少なくとも管理はされている。
生活痕がないのは、管理者が異常なまでに潔癖症で、頻繁に清掃しているのだろうか。
それにしては、先ほどの扉に鍵がかかっていなかったことが、どうにも引っかかる。
1Fの各室は施錠。エレベーターは専用キー。
徹底して中への立ち入りを拒む層がある一方で、1Fの階段室入り口や屋上の扉は、あらかじめ解錠されていたかのように開いていた。
単なる管理者の閉め忘れか。それとも、このルートを通ることだけは許容されているのか。
室外機のそばにしゃがみ込み、冷えた風を受けながら街を見下ろす。
風が思ったより強い。
茜色の残滓はとうに地平線の下へと沈み、空の端がわずかに赤濁している。その境界を塗りつぶすように、街の灯りが一面にまたたき始めていた。
噂のビルはここではないのだろうか。
「今まで見つかった報告がない」というほど隠密性が高いようには感じられない。誰でも入れる場所があり、誰でも屋上まで来られる。それなのに、ネットの深淵でしか語られないのはなぜか。
「……誰も、ここに来ようと思わないだけか」
物理的な鍵ではなく、認識の鍵。
看板も郵便受けもないこの外観が、人々の意識からこのビルを滑り落とさせているのかもしれない。だとすれば、私はそれに抗ってここまで来てしまったことになる。
ふと、風が止んだ。
遠くの幹線道路を走る車の走行音が、膜を隔てたかのようにくぐもって聞こえる。
世界から切り離されたような静寂の中で、自分の呼吸音だけが不自然に大きく響いた。
決定的な何かを発見したわけではない。
だが、この建物の歪な構造が、少しだけ肌感覚で理解できた気がした。
意図的に閉じられた場所と、不自然に開かれた場所。
その法則が、何を意味するのか。
私は膝についた砂を払い、立ち上がった。
視線は、今しがた出てきた屋上の扉へと向く。
違和感の先に、その答えがあるのかもしれない。




