表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

T-017


一歩、足を踏み出す。


背後で自動ドアが閉まり、外の喧騒がふっつりと途絶えた。

代わりに耳に届いたのは、鼓膜に圧をかけるような、しんと静まり返った空気の音だ。


壊れてはいないし、電気も通っている。

なのに地図には載っておらず、看板も、表札も、郵便受けすらない。


存在しているのに、社会的な記録から徹底的に消去されている。

私は今、その異質な内側に立っている。


--


床は曇り一つないグレーのタイル貼りだった。

想像していたよりもずっと清潔で、管理の行き届いたオフィスのロビーのようだ。


埃っぽさは微塵もなく、天井の通気口からは、かすかに一定のリズムで空調の動作音が聞こえる。

誰かが、今もこの場所を維持している。

それだけは、肌に触れる冷ややかな空気の動きでわかった。


正面には奥へと続く一本の廊下。

手前には、重厚な金属の光沢を放つエレベーターの扉。

そして、突き当たりには左右に二つの扉が並んでいる。


まずはエレベーターに近づいてみる。

呼び出しボタンを押そうとしたが、その横に埋め込まれたシリンダーが目に留まった。

専用のキーを差し込んで回さない限り、ボタンすら反応しないタイプだ。

部外者の上下の移動を、システムが端から拒絶している。


ならば、と廊下を進み、右側の扉の取っ手に手をかけた。

……動かない。

続けて左側の扉も試すが、やはり指先に伝わってきたのは、冷たい金属の拒絶反応だけだった。


「両方、か……」


独り言が、遮るもののない空間に思ったよりも鋭く響いた。

静かすぎる。

自分の吐息や服が擦れる音さえ、場違いなノイズのように感じられて少し恥ずかしくなる。


地図に載っていない。看板がない。表札がない。

一階の部屋はすべて施錠され、エレベーターは徹底的にガードされている。

普通なら、ここで立入禁止だと判断して引き返すべきだろう。


だが、廊下の突き当りに非常口を示す光が淡く点灯していた。


外へと続く扉なのだろうか。

吸い寄せられるように近づき、その取っ手に手をかける。


――軽い。


手前に引いた瞬間、重厚なはずの防火扉が、まるで使用者の意図を先読みしたかのように滑らかに開いた。


だが、開いた先に広がっていたのは、期待していた屋外の景色ではなかった。


「……階段?」


そこは、コンクリートの壁に囲まれた無機質な階段室だった。

建物の深部――あるいは上層へと誘うための垂直な空洞。


逃げ道を確認するように背後の廊下を振り返る。

遠くエントランスの自動ドア越しに、日常の街並みが額縁の中の絵のように小さく見えた。


私は一度だけ深呼吸をすると、逃げ場を失ったような圧迫感を感じながら、薄暗い階段室へと足を踏み入れた。


密閉された空間特有の、自分の心音さえ反響しそうな静寂が立ち込めた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ