第34話 疑惑の証明
エナは、ゆっくりと目を開いた。
「……よし」
小さく息を整え、シズカへと視線を向ける。
「シズカさんは、そのまま目を閉じて……流れに身を任せてください」
「……わかったわ」
シズカは静かに応じ、目を閉じる。
その手は、まだしっかりとエナと繋がっていた。
エナは向き直る。
視線の先――傷ついた男。
その体の上へ、ゆっくりと手をかざす。
そして――詠唱を始めた。
「――命の光よ、失われし流れを辿り」
声が響いた瞬間。
美桜は、微かな異変を感じた。
(……あたたかい)
それは熱ではない。
肌に触れるでもなく、ただ“内側”を撫でるような感覚。
(なんだろう、この感じ……)
言葉にできない違和感が、静かに広がっていく。
「――途絶えた道を、再び結び直せ」
詠唱が続く。
かざされた手のひらの周囲に、淡い光が滲んだ。
最初は、細い線だった。
それが、円を描く。
さらに、その内側に――見たことのない文字が浮かび上がる。
線が重なり、絡み合い、形を変えながら組み上がっていく。
それは“描かれている”のではない。
まるで内側から、何かが“構築されている”かのようだった。
「……な、なんだあれ」
「本当に……魔法なのか……?」
誰かが、思わず声を漏らす。
ざわめきが、恐る恐る広がる。
それでもエナの声は、揺るがない。
「――崩れた均衡を正し、全てをあるべき姿へ」
一瞬。
空気が張り詰める。
「――ネクスヒール」
詠唱が完結した。
同時に、魔法陣が“完成する”。
複雑に重なり合った光の円が、静かに回転を始めた。
次の瞬間。
淡い緑の粒子が、魔法陣から零れ落ちるように降り注ぐ。
それは、ゆっくりと――確実に、傷ついた足へと集まっていく。
潰れていたはずの脚が、淡く光を帯びた。
光の中で、何かが“戻っていく”。
歪みが、ほどける。
断たれたものが、繋がる。
美桜は思わず、エナとシズカの方を見る。
二人とも、全身に汗を浮かべていた。
呼吸は浅く、今にも崩れそうなほどに消耗している。
(……頑張って)
(お母さん……エナさん……)
声には出さず、心の中で願う。
時間が、引き延ばされたように感じられた。
やがて――
光は、ゆっくりと収束していく。
粒子が消え、魔法陣もまた淡く薄れていく。
そして、完全に消えた。
そこに残っていたのは――
**何事もなかったかのように、元の形を取り戻した足だった。**
静寂。
次の瞬間――
「……嘘だろ」
「マジかよ……」
「すげぇ……!」
抑えきれないざわめきが、一気に爆発する。
その中に、湊の声も混ざっていた。
エナは手を下ろした。
肩で息をしながら、どうにか言葉を絞り出す。
「……終わりましたよ」
視線を、あの男へ向ける。
男は、すぐに怪我人へ駆け寄った。
「おい……わかるか?」
呼びかける。
しばらくの沈黙。
やがて――
「……あれ……中山さん……?」
ゆっくりと、目が開いた。
「高橋……!」
中山と呼ばれた男は、思わず声を上げる。
「足は……痛くないのか?」
「足……?」
高橋は、ぼんやりと呟き――
「あ……そうだ、俺の足……!」
はっとしたように、両手で脚に触れる。
確かめるように、何度も、何度も。
「……あれ?」
戸惑いの声。
「俺……ぺちゃんこに……なったはずじゃ……」
信じられないものを見るように、中山を見上げる。
その瞬間。
周囲から、**歓声が爆発した。**
「うぉぉぉぉ!!」
高橋は状況を理解できないまま、視線を巡らせる。
ざわめきと興奮の渦の中で――
中山は、静かに息を吐いた。
「……よかった」
そう呟き、高橋の背中を軽く叩く。
そして、ゆっくりと立ち上がった。
中山は、ゆっくりと立ち上がった。
一度だけ、エナとシズカの方へ視線を向ける。
その目に、先ほどまでの険しさはなかった。
そして――
深く、頭を下げた。
「……数々の非礼、申し訳ありませんでした」
静まり返った空間に、その声が落ちる。
あまりにも突然の謝罪に、美桜たちは言葉を失った。
(……また、何か言ってくると思ったのに)
胸の内で、驚きが静かに広がる。
中山は顔を上げ、まっすぐエナを見た。
「エナさん……だったな」
一拍。
「本当に、すまなかった」
そして、もう一度。
「……ありがとう」
再び、頭を下げる。
エナは完全に面食らっていた。
「あ、え……あの……」
言葉が出てこない。
視線が泳ぎ、どう反応していいのか分からない様子だった。
その後ろで、シズカが静かに立ち上がる。
額に滲んだ汗を拭いながら、一歩前に出た。
「……先ほどの言葉」
空気が、わずかに引き締まる。
「詐欺師などという侮辱は、撤回していただけますね?」
穏やかな声だった。
だが、その奥に揺るがない強さがあった。
中山は即座に頷く。
「……はい」
迷いはなかった。
「先ほどの発言は、すべて撤回させていただきます」
言葉を選びながら、はっきりと続ける。
「……本当に、申し訳ありませんでした」
もう一度、深く頭を下げた。
それを見ていた周囲の人々も、次々と頭を下げ始める。
ざわめきは消え、
代わりに、重たい静寂が広がっていく。
――なぜか。
先ほどまで横たわっていた高橋も、ぎこちなく立ち上がり、頭を下げていた。
その光景を見て、カイが小さく呟く。
「……母強し、だね」
誰に聞かせるでもなく、ぽつりと。
そして一歩、前へ出る。
「中山さん、でしたよね」
視線を合わせる。
「……では、お話を聞いていただけますか?」
中山は顔を上げる。
その表情には、もう疑いは残っていなかった。
「……もちろんだ。」
まっすぐに、カイを見返して答えた。
工場の中は、静まり返っていた。




