第33話 3分の猶予
その時だった。
バタッ――と、何かが倒れる音が響く。
美桜たちは一斉に振り向いた。
そこにいたのは――
エナだった。
呼吸は荒く、体を支えきれず横に崩れている。
「エナさん!」
美桜は反射的に駆け寄る。
エナは意識を保っている。
だが、額から首筋にかけて大量の汗が流れ、顔色も明らかに悪い。
その様子を、あの男も見ていた。
「……よくわからんが、今のうちに運ぶぞ」
そう言って、怪我人の方へと踏み出す。
先ほどカイと言い合っていた男を先頭に、数人が身体を持ち上げようと手を伸ばした――
その瞬間。
ガシッと、腕が強く掴まれた。
「……待って、ください!」
掠れた声。
エナだった。
息も絶え絶えに、それでも男の腕を離さない。
シズカと美桜が、両側からエナの体を支えている。
「あと少し……もう少しだけ、待ってください……!」
必死に訴えるその瞳は、弱っているはずなのに、不思議と強い光を宿していた。
男は、その視線に一瞬だけ言葉を詰まらせる。
だが――
「……もう十分待った!」
すぐに怒声を上げた。
「さっきから何も変わってないじゃないか!」
その言葉が、空気を荒く震わせる。
エナが何か言い返そうとした、その時――
「いいえ。そんなことはありません」
静かな声が、背後から差し込んだ。
視線が集まる。
美桜の隣に立つ、シズカだった。
「血は、もう止まっています」
男は鼻で笑う。
「……ふん。時間が経って止まっただけだろう」
シズカは、ゆっくりと首を振る。
「これだけの損傷です。動脈が傷ついていてもおかしくない」
「……確かに血は止まってる……?」
誰かが、半信半疑の声で呟く。
ざわつきが、ほんのわずかに変わる。
そう言って、怪我人の顔へ視線を向ける。
「それに――見てください」
周囲の視線も、自然とそちらへ引き寄せられる。
「先ほどまで、あれほど苦痛に歪んでいた顔が……今は、呼吸が落ち着いている」
確かに。
荒かった息は、わずかに整い始めていた。
男は、言葉を失う。
男は舌打ちした。
「……チッ」
視線を逸らし、苛立ちを押し殺すように吐き捨てる。
「……3分だ」
低く言い放った。
「3分でどうにかしてくれ」
それが、最後の猶予だった。
「……はい」
エナは、短く答える。
美桜はエナの顔を覗き込む。
「エナさん……大丈夫ですか?」
「……大丈夫です」
無理に口角を上げる。
「少し、疲れただけです」
だが、その呼吸は浅く、体はわずかに震えている。
近くで様子を見ていたグロスが、低く問う。
「……それで?どうする」
「お前も、限界だろう」
エナは一度俯き
「……はい」
かすかに頷いた。
それでも顔を上げ、視線を横へ向ける。
「……でも」
その先にいたのは、シズカだった。
「シズカさんが、いれば……」
「え……?」
美桜が声を上げる。
「お母さん……?」
シズカ自身も目を見開いた。
「わ、私……?何もできないわよ?」
戸惑いが、そのまま声に滲む。
だがエナは、静かに首を振った。
「大丈夫です」
そして、ゆっくりと手を差し出す。
「……何も、しなくていいです」
一拍、呼吸を整え――
「ただ、私の手を……握っていてください」
その言葉に、
場の空気が、わずかに変わった。
それが何を意味するのか、
まだ誰も、理解しきれてはいなかった。
エナは、シズカに向き直った。
その眼差しは、先ほどまでとは明らかに違う。
迷いを押し殺し、ただ一点に集中している。
「……今から、シズカさんの魔力を借ります」
静かに、しかしはっきりと告げる。
「魔力を……?どうやって貸せばいいの?」
シズカは戸惑いながらも、視線を逸らさずに問い返した。
「私が引き出します」
「シズカさんは、そのまま……何もせず、流れに身を任せてください」
短い説明。
だが、それ以上の余裕はない。
「……わかったわ」
シズカはすぐに頷く。
「さあ、早くしましょう」
その即答に、エナの呼吸がわずかに揺れた。
「……待ってください」
一拍、置く。
「まだ……大事な話があります」
声が、少しだけ低くなる。
「もし、この魔力の受け渡しに失敗すると――」
「……死ぬの?」
シズカが、あっさりと聞いた。
エナは一瞬、言葉を失う。
「……い、いえ!」
慌てて首を振る。
「そんなことはありません……!」
「ただ……魔法が使えなくなる可能性が、あります……」
最後の言葉は、少しだけ落ちた。
視線も、わずかに下がる。
その空気を、シズカはあっさりと切り裂いた。
「……なんだ」
拍子抜けしたように、軽く息を吐く。
「死ぬのかと思ったわ」
小さく笑う。
「それなら、問題ないわね」
一呼吸おき
「さあ、やりましょう。時間がないわ」
「……でも、もし失敗したら――」
エナは、まだ言葉を重ねようとする。
「魔法が使えなくなるんでしょう?」
シズカが、先回りして言った。
「別に困らないわよ」
肩の力を抜いたまま、淡々と続ける。
「元々、そんなものなかったんだし」
少しだけ、口元を緩める。
「……まあ、ちょっとくらいは使ってみたかったけどね」
その軽さが、逆に覚悟を際立たせていた。
そして、シズカはエナを真っ直ぐに見据える。
「――上手くいく自信、あるんでしょ?」
逃げ場のない問い。
エナは、息を吸い――
「……はい」
迷いなく、言い切った。
その声には、先ほどまでの揺らぎはなかった。
「じゃあ、、、いきます」
エナがそう告げる。
「いいわよ」
シズカは、短く答えた。
二人は向かい合い、静かに目を閉じる。
触れ合った手のひらから、かすかな熱が伝わった。
呼吸が、重なる。
外の喧騒が、遠のいていく。
まるで、瞑想にも似たその光景を
美桜たちは、息を呑んで見守っていた。




