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第35話 交差する正義

機械の止まった空間は、ただ人の気配だけが滞留している。


入口側に、美桜たちが立つ。


その正面——コンクリートの床に、壁にもたれ、あるいは段ボールの上に腰を下ろした日本人たち。


その先頭に、中山がいた。


視線がぶつかる。


誰も、口を開かない。


その沈黙を破ったのは、ハンスだった。


「……では、改めて名乗らせていただきます」


一歩、前へ出る。


「私は、冒険者ギルド・ヴェルナ支部の責任者——ハンス・クロイツです」


短く、無駄のない名乗り。


それだけで、場の空気がわずかに動く。


ハンスは続ける。


今起きていること。


この街の状況。


外で確認されている“異変”。


言葉は淡々としていた。


だが、その内容は——重い。


聞き終えた瞬間、堰を切ったように声が上がる。


「ふざけんなよ……!」


「ここは俺たちの土地だろうが!」


「さっきのあの光……見たよな……」


怒り。戸惑い。否定。


それぞれの感情が、統制のないまま空間に広がる。


誰もまとめる者はいない。


その中で、ひとつの声が割って入った。


「……じゃあ、俺たちはどうなる?」


ざわめきが、一瞬だけ収まる。


声の主は、中山だった。


視線は逸らさない。


真っ直ぐに、ハンスを見据えている。


ハンスはわずかに間を置き、答えた。


「現時点で現実的なのは——冒険者として登録していただくことです」


空気が、わずかに張る。


「ギルドが身元を保証する形になります。少なくとも、無秩序な状態は避けられる」


淡々とした説明。


だが、その言葉が落ちた瞬間——


中山の表情が変わった。


「……なるほどな」


ゆっくりと立ち上がる。


足音が、やけに大きく響いた。


「今の話をまとめると——この工場も、俺たちの家も、お前らのものだと」


一歩、前に出る。


「で、俺たちは勝手に入り込んだ“よそ者”」


わずかに、声が低くなる。


「だから、そのよそ者は大人しく従って、監視下に入れ——そういう話でいいんだな?」


空気が、変わった。


誰かが息を呑む音がする。


美桜は、無意識に肩に力を入れていた。


張り詰める。


一触即発——そんな温度。


だが、ハンスは動じなかった。


「……そう捉えられても、否定はできません」


静かな声だった。


しかし、そのまま続ける。


「皆さんの主張も理解しています。自分の住んでいた場所を、突然奪われたように感じるのは当然でしょう」


一度、視線を巡らせる。


「ですが、今は“誰のものか”を決める段階ではないと、私は考えています」


中山の眉が、わずかに動いた。


「皆さんから見れば、我々は自由を奪った側です」


「しかし、我々から見れば——皆さんが侵入者になる」


その言葉に、空気がざらつく。


「どちらも、自分の正しさを主張している。ならば、このままでは平行線です」


わずかな間。


「——では、誰が決めるのか」


言葉が、落ちる。


その瞬間、中山が割り込んだ。


「決めるのは国だ」


即答だった。


「日本っていう国がある。自治体がある。そういう仕組みで管理されてきたんだ」


一歩も引かない。


「ここは俺たちの土地だ。そうやって判断される」


断言。


迷いのない声。


ハンスはそれを受け止め、わずかに息を吐いた。


「……ニホン、ですね」


小さく繰り返す。


「では、こちらはヴィルツ=オルデという国家に属しています」


言葉を選びながら、続けた。


「仮に——その二つの国が、同じ土地の所有権を主張した場合」


一瞬の沈黙。


「何が起こるか、想像はつきますか」


誰も答えない。


答えたくない、という空気。


「——戦争になります」


その一言で、先ほどまでの怒気が、形を失う。


代わりに滲み出てくるのは、別のものだった。


理解しかけてしまった現実。


誰かが、目を逸らす。


ハンスは続ける。


「これは、個人の問題ではありません」


「そして——おそらく、この街だけの話でもない」


視線が、美桜たちへ向く。


「カイさんたちから、外の状況は聞いています」


「同じような衝突は、他の地域でも起きている可能性が高いでしょう」


言い切った。


その言葉が、静かに広がる。


誰も、すぐには否定できなかった。


ざわめきが収まらない中——


「……すまないが、少し話させてくれないか」


声が、割って入った。


視線が一斉に動く。


カイだった。


一歩、前へ出る。


そのまま中山をまっすぐに見る。


「中山さん。あなた達の気持ちは、分かります」


静かな声だった。


「僕も日本人です。同じ立場なら、同じことを思ったはずです」


間を置く。


「……だからこそ、今は少しだけ冷静になりませんか」


中山は、すぐに返した。


「俺は冷静だ」


間髪入れない。


「高橋を助けてくれたことには感謝してる。そこは事実だ」


視線が、エナへ一瞬だけ流れる。


「だが、それとこれとは話が別だ」


再び、ハンスへ。


「ここは俺たちの場所だ。家であり、職場だ。簡単に渡せるもんじゃねぇ」


言い切る。


空気が、またわずかに張る。


カイは頷いた。


「……分かっています」


否定しない。


そのまま続ける。


「だから、まず聞いてほしいんです」


視線を、全体へ向ける。


「僕たちが——あの日から、ここに来るまでに何があったのか」


中山は、しばらく黙っていた。


そして——


一度だけ、カイを見てから、


元の場所へ戻り、座り直した。


それが、許可だった。


カイは小さく息を吐いた。


「……ありがとうございます」


軽く頭を下げる。


「改めて自己紹介します。桜井海、25歳。サラリーマンでした」


一呼吸置いて、


「あの地震が起きた朝、僕はいつも通り準備をして、いつもの道を通って出社していました」


「強い光のあと、目を開けると——」


言葉を選ぶ。


「見慣れた風景の中に、見慣れないものがあったんです」


「森です」


ざわめきが走る。


「都会のはずなのに森があって、周りの人たちもひどく混乱していました」


「もちろん、僕も」


「人は混乱して、車は事故を起こして、街は完全に機能を止めました」


一拍。


「そのあと、魔物が現れました」


空気が静まる。


「悲鳴が聞こえて、そっちを見ると——見たことのない生き物に、人が噛み殺されていた」


誰も言葉を挟まない。


「多くの人が、それを見たと思います」


「皆、一目散に逃げました。僕も必死で走りました」


「森のせいでここがどこなのか分からない。携帯も使えない。建物も閉まっているか、何かが入った形跡がある」


「立てこもることもできませんでした」


少しだけ息を吐く。


「そんな中で、彼らに会ったんです」


後ろを振り返る。


「フォーエッジという冒険者パーティーです」


「グロス、エナ……それと、ここにはいませんがテルマという人がいます」


「彼らは、僕に戦い方と——この世界での生き方を教えてくれました」


「そのおかげで、僕は今こうして生きています」


沈黙。


誰もすぐには口を挟まない。


カイはゆっくりと、全体を見回した。


「皆さんが、場所を奪われたと思う気持ちは当然です」


「でも——」


言葉を、選ぶ。


「今は、ついこの前までの日本じゃない」


静かに落とす。


「ここは……生きること自体が、簡単じゃない世界に変わってしまったんです」


言い終える。


空気が、揺れる。


——そのとき。


「……それが全部、作り話だったら?」


ぽつりと、声が落ちた。


一人の男。


壁にもたれていた男が、こちらを見ている。


「そ、そうだ……!」


「そんな話、信じられるかよ!」


一気に、ざわめきが広がる。


疑いの波。


カイは、わずかに苦笑した。


「……参ったな」


頭をかく。


その空気を、切り裂いたのは——


「じゃあ、外を見ればいいんじゃないですか?」


美桜だった。


全員の視線が、集まる。


一瞬で、静まる。


「嘘だと思うなら、自分の目で確かめればいいと思います。」


まっすぐに言う。


「私も高校生です。弟は中学生」


隣の湊をちらりと見る。


「それでも、ここまで来れました」


言い切る。


外面は、あくまで冷静。


だが、内側では——


(……何なのこいつ)


(人のこと嘘つき扱いして)


(ほんと、こういうの無理なんだけど)


笑顔のまま、毒づく。


その男が、鼻で笑った。


「はっ……外に出して操る気か?」


肩をすくめる。


「着ぐるみでも用意して脅かすつもりだろ。そんなガキみたいな手には乗らねぇよ」


挑発。


空気が、再び張る。


(……あー、もう)


(こいつほんとムカつく)


顔は崩さない。


だが、内側は完全に切れていた。


——そのとき。


「俺、外に行きます」


手が上がった。


視線が集まる。


高橋だった。


さっきまで沈黙していた男。


ゆっくり立ち上がる。


「外を見てきます」


周囲を見る。


「みんながどう思ってるかは知らねぇけど……俺は、この人たちを信じたい」


言葉はまっすぐだった。


「それに、本当に危ないなら——守ってくれるって言うなら、その方がいいでしょ?」


間を置かず、


「俺も行く」


別の声。


隣に座っていた男が、手を挙げる。


「光輝?!」


高橋が笑う。


「陸ひとりじゃ危なっかしいだろ」


口の端だけ上げる。


「俺一人でも大丈夫だっての」


軽く返す。


「……まぁ、お前来るなら安心だけどな」


小さく笑う。


そのやり取りに、張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。


美桜は、小さく息を吐く。


そして、カイの方を見る。


「……すみません。勝手なこと言って」


カイは首を振った。


「大丈夫」


短く笑う。


グロスへ視線を送る。


グロスは、無言で頷いた。


それで十分だった。


カイは前に出る。


「じゃあ、この二人を連れて外に出ましょう」


全体を見る。


「他に、行く人は?」


——沈黙。


誰も手を挙げない。


中山も、動かない。


ただ、腕を組んだまま、こちらを見ていた。

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